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図書室の、あの子。

 5年生になったら委員会活動がはじまった。飼育委員とか、放送委員とか、いろいろあるんだけど、僕はあみだくじで図書委員に決まった。
 女子はアキ。図書委員になりたい人、って先生が言った途端、はい、と真っ先に、まっすぐに、手を挙げた。男子はなりたい人がいなくて、僕に決まったというわけ。
 アキは勉強ができて、作文コンクールに入賞したりしている。お嬢様っぽい雰囲気で、僕はあまり話したことがなかった。

 初めての委員会の日、アキと僕は図書室に向かっていた。
「佐伯くんは本、好き?」ギーギーきしむ2階の廊下でアキが聞く。
「うーん、漫画の方がいい」
 ふーん、と言ったアキの顔が、がっかりした感じに見えて、間違えた、と思った。ここは「うん、本はいいよね」というのが正解だったに違いない。
「でも、本も読むよ」とあわててつけたした。
「どんな本を読んでるの?」
 うわ、さらに難問。
「えっと、建築とかかな」と苦し紛れに言ったら
「えー、かっこいい!」とアキは目を輝かせた。
 これ以上、質問がきませんように、と願っていたら、図書室に到着したので、僕はほっとした。

 図書委員の仕事は本の貸出しが中心だ。当番の日は、お昼休みと放課後に、図書室のカウンターに座る。
 借りたい本をカウンターに持ってきた人の図書カードのバーコードと、本についてるバーコードをピッて読み取って終わり。簡単、簡単。
 僕はアキと二人、木曜日の当番になった。

 実は僕はそれまで図書室にはあまり入ったことがなかった。
 うちの小学校は結構歴史があって、僕のじいちゃんも通っていたんだ。だから校舎も古い。図書室も古い。昔の本もたくさんある。
 昔の本を後ろから開くと、ポケットがついていて、そこに紙のカードが入っている。本の名前とこの本を借りた人の名前と日付が書いてあるんだ。今みたいにピッてして終わりじゃなくて、図書委員はこのカードと貸出ノートに記入しないといけなかったらしい。カードに書かれた名前は、女子は子がついてたり、男子は○郎とか、ちょっと昔っぽい。

「佐伯くんも本読んでいいよ」
 受付カウンターの隣の席に座るアキを見ると、小説を読んでいるようだ。文字が小さい。
「あ、うん、ちょっと探してくる」と席を立つ。
 本を借りにくる人はそんなにいない。そんな時は本を読んでいいことになっていた。

 ぶらぶらと書棚の間を歩く。なんか面白そうな本、ないかなあ。読みやすそうなもので、アキに見られても恥ずかしくないやつ。
 そうだ、建築関係の本にしなきゃ、と探して、目に留まったのが、城の本だ。日本の城が写真やイラストで紹介されている。説明文の文字は小さ目で文章量も十分。これなら合格ラインだ。

 席に戻ってページをめくる。古い本だから、ちょっとカビ臭い。松本城のところを見ていると、アキがのぞきこんだ。
「ふうん、面白そうね。お城好きなの?」
「うん、父さんが城好きだったから。松本城は連れて行ってもらったことがあるよ」
「長野県まで?」
 うん、と僕はうなずく。
「1年生の夏休み、父さんとふたりで行ったんだ」
「へえ、いいね。他のお城は?」
「次は姫路城に行こうって約束していたんだけど、父さん死んじゃって、行ってない」
 アキは目をパチパチさせて、ごめん、私知らなくて、と言った。
「ううん、もう慣れてるから平気」
 アキはちょっとトイレに行ってくるね、と図書室から出て行った。

 僕は本の松本城を見る。
 お城の階段が急で、怖くて、降りるときに父さんにおぶってもらったんだ。父さんの背中は大きくて、ほっとしたんだけど、シャツが汗でじっとり濡れていて、汗臭かったのを覚えている。
 その年の12月、父さんは建設現場の事故で天国に行ってしまったんだ。
 それからは母さんと僕のふたり暮らしで、母さんは隣の、じいちゃんの工務店の事務をしている。僕も学校から帰ったら、じいちゃんのところに行くことが多い。職人のお兄ちゃん達が、リク、サッカーしようぜ、と遊んでくれたりするんだ。

 その時、ガラガラと音がして図書室に男の子が入ってきた。見たことのない顔だ。何年生だろう?僕より小さいから4年生かな。
 その子は書棚に向かったが、手ぶらでカウンターにやってきた。
「あの、探している本がないので、貸出中か調べてもらえますか」
「はい、わかりました。なんて本ですか?」
「『日本の名城100』です」
 僕が今、広げている本だった。
「これですか?」
 その子の顔が輝いた。
「あ、そうです!借りることはできますか」
「もちろん」と言うと、その子はニコッと笑って「ありがとう」と言った。
「城好きなの?」
「うん、特に松本城が好き」
「僕、松本城に行ったことがあるよ」
「えー、いいなあ。僕は本とテレビでしか見たことがないから」

 貸出ししようと、本のバーコードを探したのだけれど、どこを探してもついていない。おかしいな、と思ってひっくり返していたら、その子が、ここ、と裏表紙をめくってポケットに入ったカードを取り出した。
「それは昔のだけど……」
 僕の言葉にその子は不思議そうな顔をして、鉛筆を取り、自分で記入を始めた。
〈5年1組 佐伯幸太郎〉
 え、同じクラス? 佐伯幸太郎って、父さんと同じ名前じゃん。
 僕はびっくりして、その子を見つめた。
「どうかした?」
「ううん、あの、僕の父さんと同じ名前だから……」
「へえ、お父さん、コウタロウっていうの?」
「うん……」
「君の名前は?」
「……リク」
「リク、ってどんな字?」
「大陸の陸、陸地の陸」
「ちょっと変わってるけど、いい名前だね」
「ありがとう……松本城は父さんと行ったよ」
「君のお父さん、城好きなの?名前も城好きも一緒ってすごいなあ、会ってみたいや!」
 その子はうれしそうに笑うと、お父さんによろしくね、と言って本を胸に抱えて図書室から出て行った。

 ガラガラガラ。
 扉を開ける音がして、ハッとして入り口を見た。
「佐伯くん、ひとりにしちゃってごめんね」アキが戻ってきた。
「私がいない間に、誰か本借りに来た?」
「えーっと……ひとり来たよ」
「貸出し、大丈夫だった?」
「うん」

 お昼休みが終わって、教室に戻ったら、僕の机の上に本が置いてあった。
『日本の名城100』 
 僕はドキドキしながら、裏表紙をめくった。

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