中村さんのコンサルで生き方を考えた
先日、中村洋太さんのコンサルを受けた。
初回セッションは、私にとってかなり価値のあるものだった。将来振り返ることがあれば、きっと「あのセッションで、人生が切り替わった」と思うだろう。それくらい私の心は動いた。
セッションでは、まだライター経験のない私が、目指すライターになるために今やるべきことや今後どのように仕事を広げていくかなど、たくさんの有益なアドバイスをもらった。そして目標に向かって一歩踏み出す勇気をもらった。
今、私はこれからどう生きていきたいか、そのビジョンがはっきり見えている。
1時間という限られた時間で、なぜ私がそこまで思ったのか書き残しておきたい。
私が書きたいこと
以前noteに投稿した『自己紹介』で、私は「自分の経験を通して誰かの役に立てるライターになりたい」と書いた。
そう決意表明しておきながら、“自分の経験”についてまだ書いていなかったので、まずはそこから紹介したい。
私には普通の人とは異なる経験が3つある。
1.生まれつき子宮がない
2.代理出産に挑むもうまくいかなかった
3.特別養子縁組で娘を迎えた
もう少し具体的に話したい。
まず、私のように生まれつき子宮や膣がない疾患を「ロキタンスキー症候群」といって、およそ4,500人に1人の割合で発症すると言われている。
人によって欠損部分や範囲は違うようで、私の場合は子宮がない。子宮がないから生理もないし、妊娠・出産もできない。
ただ、卵巣と卵管は普通に存在していて、女性ホルモンの分泌にも問題はないので、卵子はある。代理出産であれば、自分と血の繋がる子どもを持てる可能性があった。
私たち夫婦は少しでも可能性があるなら挑戦したいと考え、海外で代理出産に挑んだ。高額な医療費を支払い、2回チャレンジしたが、残念ながら望みは叶わなかった。経済的にも精神的にも3回目の挑戦はできなかった。
そして私は、特別養子縁組で娘を迎えて、母となった。
こんなレアな経験のなかで、私が一番辛かったのは同じ疾患を持つ人と気持ちや情報を共有できなかったことだ。
家族には支えてもらったし何度も救われた。それでも、私の心の奥には「どうせ誰にも私の気持ちなんてわかってもらえない」という孤独感がずっとあった。もし誰かと辛さを共有することができていたら、これほどの孤独を感じずに済んだかもしれない。
そんなふうにずっと孤独感を味わってきたから、特別養子縁組で子どもを迎えた方のエッセイを読んだときは本当に救われた。
ちょうど代理出産が失敗に終わった頃だった。養子をもらおうかと考えていた私は、「これから自分が進もうと思っている道には、既に同じ経験した人がいる」と勇気をもらった。「きっとどこかに自分と同じ人がいるんだろうな~」という想像ではなく、「確実にいる」という安心感を得られたのだ。そして多くのことを学んだ。エッセイに出会ったおかげで、私は前向きになることができた。
誰かと気持ちを共有できない辛さと、共有できた嬉しさ。両方を味わったからこそ、私は誰かのために発信したいと思った。
同じ経験で悩んでいる人の心が、少しでも軽くなるような文章を書きたいと思う。もちろん、同じ経験のない人にも読んでもらいたい。私のごく個人的な経験から、何か一つでも感じてもらえることがあれば嬉しい。
また、娘を迎えたことで特別養子縁組がもっとあたりまえの選択になって欲しいと心から願うようになった。そんな社会になるよう、私は書くことで貢献していきたいと考えている。
コンサルを受けた理由
このように私が胸を張って自分の経験や目標を書けるようになったのは、中村さんのおかげだ。セッションの前、私は自信や勇気を失いかけていた。
二か月前、私はまずライティングの勉強とnoteでの投稿を始めた。しかし、すぐに壁にぶつかった。
「自分の文章のどこをどのように改善すれば良いのだろうか」
「目指すライターになるために何をどう書けば良いのだろうか」
「この程度の文章力で、伝えたいことを書けるのか」
いくつもの悩みが出てきたのだ。
解決の糸口もつかめずモヤモヤしていると、次は不安が生まれた。
「そもそも私が書きたい記事に需要はあるのだろうか」
どんどん弱気になった私は、自信と勇気をも失いはじめた。
「誰かの役に立ちたいとはいえ、これまで必要最低限の人にしか話したことのなかった経験を発信する勇気が、自分には本当にあるのだろうか」
何度自問自答しても、私ひとりの力では負のスパイラルに陥った状態から抜け出すことができず、中村さんにコンサルのお願いをした。
中村さんの具体的かつ的確なアドバイスによって、私の悩みや不安は払拭された。そして「珍しい経験こそ発信する価値がある」と、ご自身の闘病経験を踏まえて話してくれた。
生きる姿勢
中村さんは、2019年に「特発性後天性全身性無汗症(通称:AIGA)」という指定難病を患った。患者数は日本でわずか数百人とも言われているかなり珍しい病気だ。
大変失礼ながら私はその事実を知らなかったので、セッションの後すぐにその難病について調べ、闘病について書かれた中村さんのブログやnoteを読んだ。
セッションのなかで、「難病を発信したことで、同じ難病と闘う患者さんたちから感謝のメールが今でも毎月のように届く」と言った中村さんの言葉を思い返した。
辛いとき、誰かと気持ちを共有することほど励みになることはないと、私は身をもって感じている。中村さんの記事によって、患者さんがどれほど救われたことだろう。まさに「発信する価値のある」記事に、私は心を打たれた。
また、ご自身が出演されてたテレビ東京のドキュメンタリー番組『生きるを伝える』の映像も観た。私は番組内で映っていた、中村さんの部屋の張り紙に胸が熱くなった。そこにはこう書かれていた。
ミッション:自分の体験を通しての気付き・感じたことを書いて、人の心を動かしていきたい
自分にしか伝えられないことを誰かのために伝える、それを自分の使命とし、実行している姿に、私はなんてかっこいいのだろうと泣きそうになった。その姿は、私が目指すライター像であり、ありたい生きる姿勢だ。
「私は何をそんなにビビっていたのだろう」
なくしかけていた自信と勇気を取り戻した。
私が経験してきたことを誰かに伝える、それが私の使命であり、これからの私の生き方だと改めて決意した。
おわりに
最後にもうひとつ、心に響いた中村さんのアドバイスを紹介させていただく。私と同じようにライターを目指している方や文章力に自信を持てない方の参考になればと思う。
私が「今の乏しい文章力で書き始めていいのか、もう少し上手くなるのを待つべきか」と質問したところ、中村さんはこう即答した。
「今の実力でいいから、とにかく書くべきです。待つ必要なんてありません。ひたすら書き続ける、それをしないと上手くなっていきません。後からいつでも書き直せるから。たとえまだ経験は浅くても、気持ちはプロでいるべきです」
私は、今やるべきことが分かった。
まだ文章力も乏しいし、伝えたいことを上手に書けないけど、とにかく書きたいことを書いていこう。
ゴールに向かって着実に進んでいこう。
なんだかワクワクしてきた。
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