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悩みの共有場所は、更なる辛辣な人間関係が裏にある

私は数年前に、人間関係の地獄を見た。アルバイトですら、ろくに出来なかった時期があり、福祉関係の自助会グループに参加していたことがあった。

自助会グループで福祉と聞くと、もっともらしく、善意あふれるグループと誰もが皆、そう思っているだろう。マスコミから流れてくる「印象」というものもあって、良い雰囲気に「見える」のだが、実際はそうでもない。

運用側は、平穏無事に事を収めて、なるべく自分が有利になるようなリスクマネジメントで責任回避をし、実績作りに奔走する。故に、余計な口出しや障壁となりそうな人間の存在を、裏側から後ろ指を指して罵倒する現場を、何度も目撃した。

これが本当に福祉なのか?…、

正直、そう思ってしまうくらいのレベル。対して、そのグループを利用する当事者は、悩みを抱えている事と、自分の人生を何とか好転させたい一心で来ているために、時に感情が暴走し、話が長くなることがある。

そうやって互いの悩みの根幹が見え始めた時、グループ運用側の活動予定の内容・思惑と一致すれば、重宝され、もて囃される。しかし、それはごく一部の人であって、運用側の描くモデルケース、人物像と一致しない場合は、自助会グループの構成要員の一部としての、人数合わせ、として使われるだけだ。

そんな現実を、痛いほど見た。

繰り返しにはなるが、福祉、自助会グループ、と聞いてしまうと世間的には「マトモ」に見える。だが、その内実、人間同士の争いや思惑は乱れ飛んでいる場合は多い。

私の実体験から考えても、そんな難しい人間関係に揉まれるくらいなら、普通にアルバイトをしていたほうが何十倍も楽だ、と言いたいくらいのレベル。

結局お金、というところもあって、グループで行なう活動自体が、ある程度のお金稼ぎになる立場の者と、参加しても一銭も貰えない立場の者が混在しているが故に、虚しくなり、調和が取れなくなってくる。

非営利団体・ボランティア団体の闇っぽさが分かった瞬間に、アルバイトであっても社会へ復帰するほうが何倍も楽だし、何倍も有意義であると自覚できれば自分にとっての好転となるが、そのグループ・団体に依存するしかないと思い込んでいる人は、難しいだろう。

別に全団体・グループすべてが悪いとは言わないが、

現実そんなことはかなり多い。
故に、ボランティアや非営利活動を長く続ける事ができる人というのは、大抵、この活動自体が無くなっても、自分の実生活にダメージを受けない経済的状況、立場を取れる者、非営利活動でも安定的な給与を貰えている立場の者主たる仕事場へ通いながら副業的に活動に参加している者など、最終的にはそんな人間に集約されるのが、この分野。

それ以外の立場の者は、原則、自分の諸問題は自己解決で、一時的な心の捌け口、拠り所として使っては良いけれど、いつかは出ていって下さい、が本音のようだ。

とはいえ、一時的な捌け口、拠り所と言っても、ろくに話を聞いてくれなかったり、傾聴が出来ていなかったり、カウンセラーという立場の者であっても、自分がベチャクチャ喋りたいだけの愚行を繰り返す、そんなグループも存在する。

人間関係というものは実に難しいもので、何らかの肩書きを所持しているだけで、そのグループ内で一番偉くなったような権力を感じたり、逆らったりするなという圧力をかけてきたり、特定の気に入らない人間をイジメたり、お気に入りの人だけを依怙贔屓していたりする。

ある時、その依怙贔屓を指摘した人がいて、「人によって状況が違うから!」ともっともらしい理由で、カウンセラーに押し切られていた光景を目にした。

この時、予め事前に多人数で話し合って、明らかに態度がおかしい、という話し合いで意見が一致。そして指摘へ繋がったのだが、カウンセラーは上記の口振りで巧みに逃げた。

それが分かった瞬間、その日をもって私はグループから立ち去った。(個人的意見としても未だに、誰が見ても分かりやすい依怙贔屓だと思える。その内容は長くなるので割愛。)

他のメンバーも立ち去ったらしいことを後々聞いた。進行役、まとめ役が必要だと言いつつ(確かに必要ではある)、自分ひとりの独演会を開催していたりと、現実はかなり滅茶苦茶な場合がある。

昨今、NHKを中心として、

福祉関係のドキュメンタリーや報道が積極的に行われているために、何らかの悩みを抱える当事者がTV出演する機会も多くなっている。

だが出演したからと言って、必ずしも出演料を貰えるわけではない。貰えたとしても微々たるものだ。金銭的潤いに関しては、グループ幹部は、実績と金銭を懐へ入れるものの、それを配分する量としては、大した額ではないのが事実だったりもする。(経験から)

悩みの渦中にある者は、そういう報道を見て、自分の可能性をそのグループ活動に託そうとする気持ちは出てくるとは思う。しかし、現実は実に苦い。

これからウィルス騒動を通して、様々なサポート機関が登場する気がする。だが、そういう団体やグループを見つけても、過度の期待はしないほうがいい

団体として立ち上げた当初は、誰もが皆、崇高な使命の元に活動をしようと誓い、立ち上げるものだが、行ってゆくうちに金銭的現実、社会的立場を踏まえた世間の評判や目線、印象を気にし始め、自己中心的すぎるリスクマネジメントを実行する。

気が付けば、悩みの渦中にいる当事者は、単なる都合の良い構成要員へ成り下がっていることなど、よくあることなのだ。

これは、どこの組織でも起こりうること。

人を人として見ず、体良く利用してやろうという道具にしてしまう。そして雑に扱ってしまう。気付けば、皆、仲良さそうに見えるがそうではない、異様なる集団になっている。

悩みから抜け出せず、もがいている方は、頭のどこかに入れておいても損はしない、現実的な話。


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