告白2〜事実と記憶〜
※せっかくなのでシリーズものにすることにしました。あらかじめ言っておきますが、割とヘビーな内容なので自己責任で読んでください。性暴力や性被害の話などが苦手な方はやめておいたほうがいいと思います。
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生きることはなんて難しくて、そして楽しいことなんだろうという思いが最近渦巻いている。それにしても、自分には、写真や舞台や踊りといった表現が周りにたくさんあって、そしてそれを楽しみ志す人たちがいて、たくさん揉まれて本当にありがたいなあと思う。芸術がない人生だったらとっくのむかしに事切れていただろう。本当に、心底そう思う。
Sound Horizonの『楽園パレード』という歌がとてつもなく好きなのだが、あの、どこか葬列を思わせる雰囲気とそして楽園という奈落へ向かっていく感覚が激しく共感できる。Revoさんはよく『楽園』という言葉や概念を登場させる気がするのだが、彼は間違いなく『楽園』と言いつつ『奈落』のことを指しているのだろうなと思う。
さて、予告した通り、ここが今のワタシのよりどころなのでいろんなことを書いていこうと思っている。今日は『事実』と『記憶』について書こうと思う。
今日はダンスのレッスンだった。その時に、通ってくれているTちゃんと『分裂』の話になった。御多分に洩れず俺は分裂症だと思うので、分裂に関してはいいイメージを持っている。全面的に支持、というわけではないのだが、人間という生き物でいる以上、生きていく上でどうしたって分裂しないとやっていけない時がある。卵子と精子が出会い受精卵となり、最初に起こる出来事は細胞分裂である。ワタシたちは分裂から始まり、そして他人と一つになりたいと願い、そしてまた分裂し、そしてまた孕むことによって子と一つになり、子が生まれることによって分裂する。だからこそどうしたって『分裂する』という概念や現象からは逃れることはできないし、何よりもそれによって進化してきたのである。だからこそ、ワタシはある意味で『分裂症』も進化するため・前に進むための強硬策なのではないかと思っている。
ワタシの中では、6歳の時に犯されたというのはあくまでも『事実』でしかない。自分史の中で起きてしまった出来事、としか捉えていない。そこに感情も何も乗ってはいない。断片的な記憶だし、何よりもショッキングすぎて封印をしてきたくらいだ。考えるだけで今も動悸がするし嫌な言葉を使えば胸糞悪いということも、信じられないくらいの怒りもある。
前の記事では『私を殺すか、あいつを殺すかどちらかでこの地獄を終わらせてくれ』と書いたが、正直な話をするとこれにはまだ続きがある。
実を言うと、『自分の我慢がきかなくなった時には、自分の手であいつを殺そう。』ということを密かに思っていた。ワタシが通っていた学校には校庭からプールにつながる長い階段があった。その階段からあいつをどさくさに紛れて(朝礼や行事で人がたくさんいる時に)突き落とせばいい、と思っていた。自分で武器を作ったり、例えば給食用のナイフで刺したり、だとか家の包丁を持ち出そう、とはあまり考えなかったがそれでもいろんな方法を模索していた。そのためにたくさんサスペンスドラマも見たし、金田一少年やコナンも見ていた。(それでもコナンはファンタジー寄りだったのであまり参考にはならなかったが・・・)今思うと、たった6歳で誰かを本気で殺そう、と思う幼少期は平和とは言えない。これはきっと、当事者でない限り全くわからない気持ちだろうなあと思う。その時点で、なんと言えばいいのかわからないが、後ろ向きなことを言えば周りとの『決定的な隔たり』ができてしまったと思っている。だからこそ、ワタシは『こう思っているのはワタシとは別の人間だ。』と強く思うようにしていた。自分自身だと思うと、本当に気が狂いそうになる。だからこそ、今、こうやっていろんな目にあって、あいつのことを激しく憎んでどこかへやろうとしているのはもう一人の自分だ、と思うことで平穏な心を少し取り戻していた。不思議だ。自分はなにも悪くないのに、それでも『邪悪だ』と思う自分もその当時にはいた。人間の心というのは本当に複雑で、わかりづらい。だからこそ、分断するということ、分裂するということは決して悪いことだとは微塵も思わない。
ワタシの愛する『進撃の巨人』にライナーというキャラクターが出てくる。彼は、いわゆる主人公のエレンたちとは敵対する側にいて、パラディ島に潜入し、エレンたちを裏切って仲間だと見せかけ生活をしている。そのために分裂症になり、多重人格になってしまうという描写が出てくる。彼を初めて見た時、とても親近感が湧いた。『この感覚、すごくよくわかるな』と素直にそう思った。人間は、一つの人格だけでは物事の総てを把握することができない。できたとしても、完全に狂ってしまうか、死ぬか、どちらかだと思う。生き延びるためにはもう一つの人格を作り出し、その人格に把握しきれない・理解しきれない現実を経験し、背負ってもらうしかない。いわゆる呪いの人形だとか、そういったもののように身代わりになってもらう。じゃあその人格は一体どうなるのか、という話だが、それは一生付き合っていくしかないのだと思っている。だからこそワタシのセビーチェはいまだに一緒に生きていると思う。ただし、何か肉体的に切り離したりだとか取り出したりだとかそういった事象(ワタシの場合は腫瘍を摘出し、それを医者に見せてもらったこと)によって、リアルな感覚として、『ああ、いま自分の体から取り出すことができた、分離できた。』と感じることは少なからずできる。ただ、気休め程度でしかないのだが、それでもないよりはマシなのではないかと思うことも事実である。
話がだいぶんそれたが、それでもあの事件について、自分を納得させる一番の方法があるとしたならばやはり『あれは、事実でしかなくて自分の記憶とは別だ。』とプログラミングすることしかないのだと思っている。(こう言ったことを理解するのに哲学はとても役に立つ。)ワタシが事実として犯されたのは6歳で、記憶の中でヴァージンを卒業したのは18歳の時、初めてできた彼氏とだ、ということにしている。そして何よりも救いだったのはワタシはおそらくゲイだから、ヘテロの庭は絶滅したと思えば特段そこまでショックを受けるものでもない、と言い聞かせることはできる。いや、ショックはショックだし、心の傷は一生消えない。一番大事なところに深い傷は残っていてそれが後の人生に影響を与えているのは言わずもがなだとは思うのだが、それでも、起きたことはもう何をいっても仕方ないということにしている。性被害の類はよくパートナーシップを通して乗り越える人が多く、その類の書籍やメソッドもたくさん触れてきたがイマイチどれもピンとこなかった。それはあくまでワタシが見るからにヘテロに向けたものであったからなのだろう、ということにしている。あれがもしゲイ向けのものであったとしたらもう少し、違うものを感じたのかもしれない。
こういったことは、やはり書くのがとても難しい。読者を不快にさせているんだろうなと思う描写もたくさんある。だが、これは個人的な開示型の日記だとあくまで捉えてもらえたらと思う。
この告白によって、おそらく、抱えきれないと思ってワタシの元から去っていく人も少なからずいると思う。だが、それはそれでいいと思っている。ワタシも、何も抱えてもらおうとは思っていないし、重いなと感じるのも当然だと思う。ワタシが逆の立場だったら、おそらくいなくなっている可能性もある。否定はしない。ただ、こういったことが意外と身近にあるということを知っておいてほしいなという思いは少なからずあって、これはTちゃんがいってくれてかなり心が救われたのだが、ワタシを犯した奴は要するに『バグ』の類の人間であり、そういう人間もこの世にはいるということ。(そう言った意味ではワタシは『運が悪かった』。)それはどこにでもいる。きっと、どんなに平和で治安がいいと言われている場所でも、国でも関係なく、いる。そしてこれぐらいの歳の子供に性的暴行をしておいて『合意があった』と言っている事件や裁判官など、本当に狂っていると思う。合意もクソもあるか。性のなんたるかもわかっていない子供に対して合意だと言っている社会があることに、絶望を覚える。ワタシが子供を産みたくない、と思う理由に、幼少期に地獄を経験したからという理由が実は一番根深いのだと思っている。もしかしたら、考えたくはないが、それが具現化して不妊症になっている可能性もある。うまく言えない。だが、これは正直な気持ちだ。親がいくら守ろうと思っても、子供を完全に守ることは無理だ。親のせいじゃない。学校のせいでもない。誰のせいでもない。いや、バグに関してはもう、許せないと思う気持ちも全くないわけではないが、もう人生に関係ないとぶった切っているので、これは赦しなのかは不明だが兎にも角にももう、ワタシはそこに関して感情を荒げることはない。
だが、開けてしまったパンドラの箱、という感じはする。だからどこまでも開けて行こうと思っている、今現在のターンである。
次は、トランスジェンダーのことについて書こうかなと思う。もう混沌でしかないのだが、それでもワタシは今の自分がとてつもなく好きである。
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