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自惚れラブアンドピース

いつもの喫茶店にいる。珍しく今日は、初めての靴を履いて外へ出た。金色の、キラキラ光るスニーカーだ。日本だと、というか、なんとなく俺のなかで「スニーカーはダサい」というイメージで生きていたのだが、直観で履きたいと感じたのだからそれに従うことにした。俺は、自分の命に逆らわない。休みたいと思えば休むし、遊びたいと思えば遊ぶ。泣きたいと思えば泣くし、怒りたいと思えば怒る。そのままのバイオリズムで生きている。おかげさまで、今日も元気だ。最近は吐血もしていない。そういえば昨日、たまちゃんに、吐血と喀血の違いを教えてもらって、「あれ?ひょっとすると、啄木は喀血じゃね?だとしたら、啄木ってるって、間違いじゃね?」という疑問に行き着いてしまったが、知らぬが仏ということにした。ちなみに吐血は胃から血を吐く、喀血は肺から血を吐く、とのことだった。俺は間違いなく胃だ。肺ではない。胃も辛いが、肺もさぞかし辛いことだろう。想像するだけで胸の辺りがキリキリしてくる。内臓の痛み、というのはなんだろう。筆舌尽くしがたいものがある。簡単に言うならば、身体の内側に切り裂きジャックのような生き物がいて、そいつがあるとき急に覚醒し、内側から身体をズタズタに切り刻む感じだ。それかもしくは、某幽霊漫画に出てくるような鬼の手がひとつひとつの内臓をことあるごとにぎゅううううっと握りしめてくる。それはまるで雑巾絞りかなにかのように、という感じだ。痛みはサインだという。それはわかる。だが、こう、内臓のご都合主義で痛い目に遭わされっぱなしになっているのも癪だなと思うのもたしかだ。それならば、知らぬ振りをするか、アルコールで痛みを紛らわすナドしてもいいのではないかと思う。結局のところ、どう生きるかは自分次第だ。死に至るのは病気でも、死ぬこと自体は病気ではない。命を蹴飛ばしてやるくらいの気概がなければ、本当のロックンロールを語る資格はないと思っている。今日は、ナデシコを植えた。正式には、美女ナデシコらしい。花言葉は、『純粋な愛情、絶えなき情熱』。ひまわりがいなくなって2ヶ月弱、流石にプランターが寂しくなってきたので、なにか植えたいなと考えていた。すると、母がなにかを察したのか、もらってきたナデシコの種をくれた。やはり、ロスの部分にはあらたなものが来る。スポッとはまったような気がして、嬉しくなった。久しぶりにベランダに出る。最後にベランダに出たのは、彼と電話をしたときだ。「同じ月を見ながら話ができるなんて、俺たちはなんて幸せものなんだろうな」そんなことを語りながら、しばらく、闇夜に燦々と輝めく月を眺めていた。彼は月よりも太陽が好きだった。満月を見るとよく、怖い、と言っていた。それでも最後のほうになると、月を恋しがってよく一緒に見上げながら話をした。夏目漱石の有名すぎる台詞があるが、その言葉の意味を、実はあの時本当に体感したのかもしれないと今では思う。そんなこんなで、ベランダを軽く掃除し、プランターの土を耕し、種を植えた。ナデシコの種は、ひまわりなどに比べると非常に小さい。ひどい言い方をすると、まるで"くずれたごま塩"のようでもあった。とりあえず1センチの穴を開けて、種をたくさん入れて土をかけ、水をやった。今回はひまわりのときのように間隔をあけることで失敗したくなかったので、6個の穴をあけて、植えた。久しぶりにお水をあげたからか、土が喜んでるように見えた。当たり前だが、土も生きている。何も植えてなかったとしても、きちんと気にかけてやらねば、機嫌を損ねる。ひまわりを育てたとき、なにが花を咲かせる秘訣だったかということをよく聴かれることがあったのだが、わたしは「毎日話しかけること」と即答していた。これは本当の話で、いくら水をあげても、土を耕して栄養をあげても、見守ったり話しかけたり、気にかける心がなければきっと植物は育ってはくれないのだと思う。子供や犬のように実際、言葉を交わしてのコミュニケーションは取れないかもしれないが、それでも、電磁波や超音波のようなものを介してコミュニケーションを取っているような気もする。昔どこかのニュースで、植物も人間に食べられるとき、悲鳴のような超音波を発しているというのを見たことがある。真偽のほどは定かではないが、無きにしもあらずだと思っている。水をあげ終わって、土に少し手をおき、祈った。「また、一緒に育ってください。一緒に暮らしてくださいね。よろしく。」きっと気が向けば、かわいい芽が顔を出してくれるのだろう。とか言いつつ、種の巻き方が微妙だったので、何も起こらないまま、終わってしまうかもしれない。ここからはまさしく、「神のみぞ知る」領域になってくる。来週の日曜日、外房の海へおよばれしているので植えるのは家を空けない状態になってからにしようかと迷ったが、思い立ったが吉日、ということで今日植えることにした。植物と暮らすのはいい。辻さんがダックスフントのサンシーと暮らしているように、人間はやはり、ひとりで暮らすべきではない。ひとりでもいいが、誰かと暮らすのも大切なことだ。すっかり自惚れラブアンドピース野郎みたいになってしまったが、全くもってロックンロールやらパンクスやらの魂は捨てていないので、どうかご心配なさらないでほしい。それか、わたしが腑抜けになっていたらお手持ちのグレッチで颯爽と殴りに来て欲しいと思っている。

🩸ANATOMY GIRLS🩸
By MINAMI Stevens Photography


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