リップサービスや社交辞令はほどほどに
日本や日本人に興味・関心があるイタリア人(もしくは、外国人)のなかには、日本の「本音と建前」という概念や振る舞いについて知っている人もいる。日本人論を語る上でも、取り上げられることがあるとのことだが、イタリア人や他の国の人の言動を見るにつけ、「本音と建前」を使い分けるのは、何も日本人だけではないと思われる。
以前にイタリアの語学学校でのイタリア語の授業で、「嘘をついたことがあるか?」「嘘をつくのは悪いことか?」というテーマで話すことがあったが、日本には、「嘘も方便」という言葉があるという話をしたことがある。
たとえば、日本の会社で勤務していた時に、同じ課の同僚が就業時間になっても出勤して来ず、本人から上司に電話してきたか、上司が本人に電話したかは記憶が曖昧だが、遅刻の理由として伝えたのが「寝坊しました」だった。それは本当のことを素直に言ったのだろうけれど、どうなのだろうか?社会人としてはこういった場合に正直に言えばいいというものでもないかと思われる。これが、取引先との商談だったとしたら、いっそうとんでもない!と。
イタリア人でお付き合いがあったカップルから聞いた話だが、9月の初めの日曜日に挙式の日取りが決まり、招待客として迎えたい人たちに3月に連絡していたところ、新婦の叔母にあたる方からの返答で、「ああ、その日は歯医者の予約が入っているので、悪いけれど参列できないわ~」と言われたそうだ……
半年先の日曜日に歯医者の予約???
たしかに、イタリアの公立の医療機関で検査や診察のアポイントを取ろうと思うと、その科や内容、地域、担当医によってはなかなかアポイントが取れず、1年先まで空きがないということもわりとよくあるし、もしかすると、忙しい現代人のニーズに合わせて日曜日に開いている歯科もあるのかもしれない。ただ、姪の結婚式と歯医者のアポイントを量りにかけて、歯医者の方が選ばれたということで、その新婦はかなりショックを受けていた。おそらく、歯医者のアポイントというのは嘘ではないか?と訝ってもいた。もし、歯医者のアポイントが本当の理由だったとしても、やっぱり姪の結婚式に参列できない理由としては微妙な気がする。叔母と姪との仲にもよるが、一般的にイタリア人は日本人以上に親類縁者との結び付きが強く、それは、南イタリアや島の方であればより一層強くなるもので、その新婦の家系が南イタリアのナポリが州都のカンパーニャ州ということもあり、そういった理由で結婚式への欠席を告げられたら、それは、日本人や北イタリアの人が同じ返答を受ける以上に衝撃を受けるのだとも思われる。
最近の「本音と建前」の傾向では、嫌なことや納得できないこと、同意しないことには、建前すら伝えず「スルーする」という方法がよく取られているとも感じる。問いかけすらなかったかのように。内容によっては、それでよい場合もあるとは思うが、礼儀に欠けている場合もあるのではと感じることも多々ある。
イタリア人は、相手にとって残念だろうと思われることを伝えづらい/伝えたくない/伝えられない傾向があり、できれば相手にとって心地よいだろうことを口にすることが往々にしてあると思われる。
たとえば、わたしが関係することに参加したいという意思を相手の方から告げられて、声をかけて欲しい旨を何度も念押しされていたので、実際に声をかけたのに……ということもわりとよくある。
今は無理な理由を告げ、いつ頃には可能かも?という希望を残す人、参加するorたぶん参加するかも?と言って音沙汰がない人、返答がない人……反応は色々で、理由をあげた人も一部は本当のことを言っているのだと想像するが、決定的な断りは伝えないのだなぁ、と。
こういったことは、イタリア人のリップサービスなのだなと理解し、必要以上に怒ったり、イライラしたり、残念がったりしないのが、精神衛生上にはよいのだ。
少しの関心はあるけれど、他のことと量りにかけたら、実際に参加するまでの気持ちと状況が整っていないということだ。
なかには、関心もなさそうなのに「参加するよ!」と言う人がいて、それには非常に驚く。そういう人は、たいがい予想どおり参加しないのだが、断言できてしまうことがスゴいと思う。
日本人が「今度、飲みに行きましょうよ!」と言ったり、「今年こそは会えるといいですね!」と年賀状(やメッセージ)に書いたりすることと少し似ている。そこには、全くそういった気持ちがないわけでもないが、時間や状況が許さない場合と、社交辞令で言っているだけの場合と、人によって色々だろう。
とにかく、「本音と建前」も「嘘も方便」も「リップサービス」も「社交辞令」も、人間関係を円滑にするには多少は必要なのだろうとは思われるが、上手に使用するのはよいとしても、使い過ぎで逆に信用されない人になりたくはないものだ。
もっとも、わたしは、あまり思ってもいないことや望んでいないことは口にしないタイプなので、わたしが呼ぶ人は社交辞令かどうかを疑う必要もなく(来てほしくない人は呼ばない)、わたしに誉められた人はお世辞やリップサービスかなと思う必要もないのだが。