TV: 時代劇 #2 | SHŌGUN (2024)
投稿の対象は 自分で鑑賞したもの と決めている私ですが
今回は 特例で "言い訳" を適用します。
時代劇のハレの日に敬意を込めて。
いまの時代劇が?
”エミー賞” が業界人にどれほどの名誉なのかは ”TV界のアカデミー賞” という喩えから容易に想像できます。
それなのに 作品賞や主演男女優賞をはじめとする各賞を史上最多で受賞とは。
そして その作品が アニメや現代劇ではなく 日本語の「時代劇」 だとは。。。。
黒澤明や小津安二郎の前例はあるとしても 昨今 日本の地上波TVでは稀にしかお目にかからなくなったこのジャンルの退潮を寂しく見守る私のような輩には この朗報 将来から差してきた微かな光のように感じられます。
プロデューサー兼主演俳優の真田広之氏をはじめとする造り手の皆さん、ご関係者の皆さん、おめでとうございます。そして ありがとう。
されど思わしくない第一印象
と書いているくせに
一週間位前まで 私 この 『SHŌGUN』には無関心でした。
あれは約半年前でしたか 地上波TVで何度か目にした本作のCMから 説明しづらい気味の悪さが漂ってきました。昔からよくあるアメリカ人が思い込んだ日本情緒を米国風に転換した作品のように感じたのでしょう。
配信開始前は メディアの下馬評も芳しくなかったように記憶してます。
個人的には 1980年に制作されたオリジナルの『SHOGUN』が おぼろに記憶に残っているので 当時のキッチュ感が21世紀のVFXでお色直しされたような雰囲気を 短いCMの中に感じたのかも知れません。
ですが この数日で続々と増えていくエミー賞各賞受賞の報で
「思い込みを払拭する必要があるのかも?」と 考え直しています。
YouTubeで幾つかTrailerを観ていると (即物的な側面ですが)
最近の日本の大河ドラマより納得感のあるセットや衣装なのが判ってきました。事実 ひとつのエピソードに何億円かが投入されているようですね。
*規模の経済だ とは言いませんけど。
関ヶ原を題材にしていても 家康や秀吉など 史実に忠実な人物は登場せず いい意味でパラレルワールド的に換骨奪胎されていて 先が読めず 面白そう。
逆に 史実と被る展開が含まれるので(=家康が太閤秀吉の死後 他の大老から妬まれるとか) 斬新な作り事でもないことを意識しつつ 物語世界に入っていけそうです。
この脚本 戦国時代への造詣が深い米国人の作家さん達? が編んだのでしょう。思い入れに感心します。
反面 包み隠さぬ大胆な/残虐なシーンが目立つのは 露悪が行き過ぎてて ちょっと胸焼けしそう。。。戦国の緊張感をアメリカの視聴者に理解してもらうための已むを得ない演出なのかもしれませんが。
生憎 Disney+と契約しておらず 自分の目で作品の出来を確かめられるのはいつのことやら です。そのうち地上波TVで民放が共同入札で放映してくれないかな。。。。(無理か。。。)
朽ちゆきそうな時代劇の基盤
以前 駄文でこう綴ったのですが
時代劇は造り手側の多様な分業で成り立つと認識しています。
撮影所、大道具、小道具、殺陣、所作、話し方、撮影・音響機器、等々それぞれの領域の専門家が存在しており それぞれの職を維持できるためには 作品の量が担保されねばならないでしょう。
でも 時代劇作品が減る一方の昨今では NHKが頑張ってくれている時代ドラマや大河だけでは これらのValue Chainに関わる人々は食べていけないでしょう。昭和の時代劇黄金期の作品数に比べれば なんと閑散としていることか。。。
作品数の減少が関わり手の減少を呼ぶ負のスパイラルにより 時代劇のインフラが足元から消失する危機は 極地の氷塊消失と同様 既にお馴染みになってしまっています。
従って 安直な結論は 「時代劇需要が増えればいい」 ですが
かつて時代劇が身近にあった日本の世代は 高齢者層ど真ん中。。。。
結果 狙いを外に向けざるを得ないでしょう。
まずは先立つものを。。。
世界の人たちのアニメ作品を筆頭とする日本のソフトコンテンツへの増え続ける興味、円安が後押しする観光客の伸び。そして押しも押されぬ 日本の食。
色々な歯車が日本に有利に噛み合ってきているこのご時世、 他のまだおおっぴらに発見されていないコンテンツにも同様に陽が差してほしいものです。
外国の人が日本で想起するモノコトに ハードウェアが挙がらなくなっている現代ですから ソフトコンテンツの重要性は(他国が追いつくまで)維持されて欲しいなぁ。
『SHŌGUN』の成功要因のひとつに コロナ禍を経た米国人は外国語作品を字幕で鑑賞するスタイルが身についてきたことがある と何かで読みました。そこら中にライバルが居る時代になったんでしょうね。
そしてこの成功は 日本以外の外国語作品にもスポットライトを当てるのでしょう(真田広之氏もインタビューでそう語ってたように。)
いや それは不遜で アカデミー作品賞を受賞した韓国映画やボリウッド映画の米国での普及が 逆に『SHŌGUN』の成功に一役買っているのかもしれません。
いずれにせよ 知られていないものの発見は 大きな商機ですよね。
時代劇というジャンルで比較すれば 韓国や中国は膨大な制作費を投じているそうですし 全ジャンルを対象にすれば 南米やアジアの思いがけない国の作品にもチャンスが巡ってくるかも。
ですが このところ経済的に厳しい日本社会なので(卑しい道理とは知りつつも) 日本の作品に注がれるお金のフローが継続し 増えていって欲しい。
貧すれば鈍するはこの世の定めですから まずはそこから。
そして 先立つもので衣食足りれば 絢爛豪華ではない時代劇などを含めた昭和の素晴らしいドラマコンテンツをもっと世界に知ってもらいたいなあと夢想してしまいます。
音楽の世界で 所謂 ”シティ・ポップ” が世界に発見されたように
映像の世界でも 同じような日本発見が起きるような図式で。
と 希望的観測は勝手に膨らみますが:
例えば世界で支持されている日本アニメは 少年ジャンプ系のわかりやすくて暴力的な作品が中心なので 時代劇にも同様に わかりやすさが求められ 何度も再生産されるのは 『SHŌGUN』テイストの作品ばかりになってしまうのかも知れません。
そんなんじゃぁ 昭和ドラマは 遥か急坂の上の雲か。。。。。。
でも大丈夫。夢は 時々 現実化しますから ね。
追補 240923
御祝儀の期間が過ぎ ようやくこういった意見がメディアで発出されるようになりました:
そうなんですよね。誰も当時を観たことがないのに 過去の時代作品との相対比較だけで 「リアルな日本」と結論付けているのをYahoo!コメントの投稿で見かけました。祝宴で線香を焚くような真似をしたくなかったのでこの投稿では敢えて否定的な事項を書きませんでしたが 雰囲気に乗せられず リアル の持つ客観性に気をつけないといけないよね と感じます。
<おまけ>
昭和のオリジナル『SHOGUN』には アメリカで道路沿いに見かけるアジア料理屋さんの バンブーっぽいフォントが似合いそうです。
アメリカで非常に話題になり 日本のお茶の間でも放映されましたが、島田陽子さんが出演されていたこと以外に思い出すものは なし。。。。
ところが:
もっと子供の頃に観た 『ROOTS』 は 深く自分の意識に刻まれ いまでも当時の感情を思い出せます。
黒人奴隷の酷い扱われ方や 新大陸に連行された彼らが負ってしまった苛烈な人生が紹介されるこのTVドラマは 面白いコンテンツは文化や人種の境を越える というお手本のような作品でした。
<続・おまけ>
もちろん時代劇の支持者が減ったのにはそれなりの事情があるでしょう。
例えば つまらない、マンネリだ という声とか。
一方 玉石混交の中にも光る作品は多いと思います。
時代劇という設定は フィルターのように 日本ならではの組織に所属する人間の在りようや価値観を浮き出たせるところが面白いと感じています。
お茶の間で観られてなんぼですから 癖のある登場人物も目白押しですし。
、、、、、、好みに任せて引用すると 『SHŌGUN』に比肩する暴力的でアナーキーな作品ばかりになってしまいますが、、、、、、。
でもまあ 時代劇の裾野って意外と広くて バイオレンス控え目の人情噺も沢山ありますし 越前守や鬼の平蔵さんとか 殺めない皆さんもいらっしゃいますんで、これはこれで、ねっ。