見出し画像

言語: Media/英語 #1 | The New Yorker -- Out Loud (podcast)

不確かな記憶に基づく個人的備忘です(誤解/誤記/偽情報を見つけられましたら御指摘あれ。。。)




The New Yorker Out Loud -- 瀟洒なアメリカ文化の万華鏡

ちょっとした感傷も手伝って 英語やドイツ語のNewsをお気に入りのPortable Music Playerにやたらとダウンロードし 通勤時間やスキマ時間に聞き流していたのは 確か 2000年代中盤からの10年くらいだったでしょうか。

その頃 提供されていた ’番組/プログラム’ のひとつが
The New Yorker Out Loud というPodcast でした。

アメリカのPopular Cultureに詳しい人には言わずと知れた 雑誌 The New Yorker が提供元のこのプログラムは 政治、社会、文化、芸術 等々 様々な切り口で区分けされ ホストとゲスト複数人による対談で構成されている印象でした。

いま改めて確認してみると このPodcastの大義は 配信による雑誌 The New Yorker の広告と デジタルメディア化への布石にあったのでしょう。

モノローグ中心のNews番組ばかりを聴くより 対話で進行する番組のほうが 聴いていて論旨展開が明瞭であり 時事的に旬の話題のみに引きずられず 多彩なテーマに触れられます。
従って 日本の日常生活から手が届きにくいアメリカの論壇? の雰囲気を感じるこのプログラムの更新を楽しみにしていました。


The New Yorker Radio Hour -- 転換期のスリル

いつからか 番組を仕切るナビゲーターから プログラムの提供形態が変更される のようなアナウンスが番組の中にきっちり挿入されるようになりました。
当時は 各種WebMediaの有償化が検討され始めた頃だった(=多分そんな時期だった)こともあり 先々の無償提供は困難 のような事前警告に聴こえ 有料化されるのかも?と気を揉んだものです。

結果的に このPodcastはThe New Yorker の単独提供から 他社(WNYC) との協賛に変更となる一方 無償放送は継続され 安堵。
Wikipediaによれば 新名称 The New Yorker Radio Hour として
2015年に船出したようです。

History
Before creating The New Yorker Radio Hour, the magazine had several podcasts dedicated to a variety of topics including politics, culture, and fiction.
The New Yorker Radio Hour is different in that it is distributed to public-radio stations around the country and is co-produced with WNYC Studios. On October 24, 2015, the show debuted on 26 stations around the United States.
The New Yorker Radio Hour began as a podcast on October 23, 2015.
The first episode featured a conversation between host David Remnick and author Ta-Nehisi Coates; a personal story from The New Yorker staff writer Jill Lepore, and New Yorker cartoonists discussing the magazine’s cartoon-submission process.

Wikipediaから抜粋

Wikipediaの記載を辿ると 上述のバタバタの理由の一つに  The New Yorker に比べ Podcastは内容の質や深さに劣ると 内部で問題提起されたことがあるようで 提供物の質をこの転換期に改善したようです。

また、各プログラムは それらのWeb配信と並行して 全米のラジオ局に売り込まれる仕組みを導入したようですね(それなら収益を担保できそう。)

現在も番組の建付けは変わっていなさそうなので このビジネスモデルは成功したのでしょう。流石。
# そういえば 上掲の 2015年10月23日の 'first episode' は拝聴しました。
内容はほぼ覚えてないけど 懐かしい。。。


The New Yorker FICTION Podcast -- これって意外にいい感じ

上記転換期にPodcastプログラムの種類が増し カテゴリ別に名称が付与され分類されたのかは 生憎 判らず。。。
元々それらは Out Loud と並行して存在していたのに 自分が気付かなかったのかもしれません。

The New Yorker のHomepageから表示されるPodcastよりも
Podcast用アプリで表示されるそれらのほうが 選択肢が多いような気が、、、、?

見た感じ 政治、社会、文化、詩歌、等々 複数の専門プログラムが提供されていますが そのひとつの フィクション専門Programがこちら:

Fontも絵柄もアメリカンアートで好み

この ’FICTION’ は ゲスト招聘された作家さんが自身のご贔屓作家とその作品を朗読し 最後に全体の感想をホスト(Fiction Editor) / Deborah Treisman氏と交換し合うように構成されています。

当時の自分が功利的すぎたのか フィクションは有象無象の寄せ集めに映り 時間対効果も算定不能に感じ さほど興味がありませんでした。
ダウンロードしておいて文学話を聴きたくなる気分の時にざっと聞き流し 気に入ればまともに聴き直すような扱いだったのですが、、、、
聴いているうちに 波長が合う作品は 文字を読む以上に意識に引っかかることに気付きました。

例えば Podcastの始まりと終わりに流れるお決まりのBGM、朗読のペース、声色、ホストとゲストの会話の妙など 文章を目で追うよりも豊かに他者との時間を共有している感じに 温かみを感じます。

朗読による音の響きが 通常ではない感覚経路を辿って自分の内部に働きかけてくるのか、読書という書き文字を追う視覚作業では得られない何かが しっとりとした余韻を持って 訴えてきます。

当初の予想に反して 意識に引っかかりすぎて気に入った作品は Paperbackを購入するなど アメリカの文学業界の中を味見する ’Sampler’ のように このProgramを利用させてもらっています。

などと 偉そうに書いた割には
興味を持って拝聴できたFICTIONのプログラムは多くはないんですよね。
自分の英語処理能力はそこそこだし 苦も無く多読多聴が可能な英語の猛者ではありませんので。。。


その限られた試聴数の中で Roberto Bolaño 著『Gómez Palacio』は 自分と相性の良い朗読の典型例でした。

作家 Daniel Alarcon 氏の朗読と 彼の声紋で織りなされる ”Gómez Palacio” というスペイン語の音が どういうわけか 自分の内側の何かに引っかかり、 再聴する度に とても短いこの物語世界に引き込まれていきました。

*** 聴書: #1 に続きます ***



<おまけ>

コレ によれば The New Yorker は Vogue, Wired, GQ, Vanity Fair, Glamourなどの大部数雑誌を擁する Advance Magazine Publishers, Inc. 社 の所属部門なのね。。。。
軽めの雑誌を抱えていることが紙面の質に影響しないのかな と(愛読者でもないのに余計なお世話で)気になりますが 杞憂なんでしょうね。

大学生の頃 講義で色々なお話を伺った英語講師の方から ”Harper's か The New Yorker を読むと勉強になるわよー” と助言を頂き 当時 書店の洋書コーナーでそれらを試し読みしたのですが リアルな巷使いの言葉から立ち昇る現代アメリカ文化の突き放したような文章を前に 学生の自分は ゴホゴホとむせながら佇むばかり。。。
この歳になっても それらを難儀せず読み進められる英語力は身に付かずじまいです。勿論 話題に対して事前の背景把握がある程度は必須だし、普段から(仕事だけでなく)英語圏文化に露出し時間を共有しているべきなんでしょうけれど。

と言いつつ (帰国子女でなく)日本国内で英語操作能力を獲得された方でそれらを紙媒体や有償Web媒体で購読される方は 少なくないのかも知れません。語彙とスタミナが共に不足し 遅読まで患う自分から見れば 仙人の領域ですが。。。。
*The New Yorker は 欧米圏出張の際に (日本より廉価なこともあり)お土  産的に書店で買って帰ります、けど、短いPodcastが私の身の丈に合ってます。先々はこの状況に変化が起きるかも知れませんが 当座は 吾唯足知 。


<続・おまけ>

アンチ・リンゴ原理主義の自分が 一瞬だけ iPod の軍門に下ったことがあります。
理由は上に綴った内容通りで Podcastを便利に試聴したかったからです。Podcastは 確か Apple主導の Formatでしたから リンゴユニバースに親和性があるのは当然でした。 

宗主替えと追加投資を余儀なくされる苦渋の判断(=大袈裟な。。。)の背景には 当時の Portable Media Player ガジェットの遷移がありました。

そこには 音楽ソフトウェア産業を傘下に持つS社の不運と Androidスマートフォン普及前夜 という要素も絡んでいます。
*たった十年程度の昔なのに もはや誰も気にしないような過去の都市伝説みたいですが。。。。

そう 当時はこういう(↓) ”メトロポリス”っぽい音楽専用デバイスに PCからわざわざ音楽を転送して聴いてたんですよね。

このデバイス/Playerの不思議なデザインの秀逸さ、ワクワク感、所有満足度は
令和の世でも通用すると思います。S社の他のモデルはダサかったですけど。

「鑑賞者にとって自由であるべき音楽には 複製防止の仕掛けはけしからん」といいたような (経済の仕組みをちょっとでも鑑みれば無責任と思える) ユーザの言い分が巷に溢れてた頃です。

一方 ネット上のPodcastソースからリンゴ社の管理SWを経由するファイル転送がリンゴユニバース内では容易に行われてたんですよね。
そんな中 こんな(↓)デバイスがリンゴ社から登場しました:

これは敵ながら天晴れ。美的に秀逸なHW.

リンゴ社製管理SW "iTunes" の使い勝手に 私は何時まで経っても全く馴染めなかったんですが 悪いところは上手く目を瞑りました(S社の管理SWにも色々不足はあったし。) 
その理由には ネット内のPodcastの指定と選択が容易であるのに加え
この小さなデバイスの窓に選んだPodcastプログラムの扉絵がぴったりハマる美しさがありました(=所有満足感が高い。。。)

いまの若い人から 「なんですかそれ?  みんなスマホ持ってなかったんですか?」 と謗られそうですけど Wintel PC普及期以降の ICT技術の日替わりメニューのような驀進の賑やかさを体感した目撃者達の半生の一コマですから。。。。
どんな技術も少しずつ晴れ舞台に立ち 足早に去っていきます。
当時そこに居た全員が 歴史の生き証人になった時代の思い出話ですね。


<続々・おまけ>

アンチ・リンゴ原理主義の自分ですが このCFはとてもお気に入りです:

ところが コメント欄に ”最悪の広告だ” という意見が溢れており驚かされました(=国籍やデモグラフィー依存があるのか不明ですし あくまで印象頼りですけど。)

異論は主に欧米の方から と見做した上の想像ですが
彼らの感性的にどこが駄目なのか(=曲が気に障る、お祖母ちゃんの扱いが不謹慎、のようなコメントがあるけど、 Racismも?)

世の中は まだまだ知りたいことだらけです。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?