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コントと現実 (月曜日の図書館179)

雨だから人はそんなに来ないだろうと思い、実際数だけ見れば確かに少ないのだけど、お客さんひとりひとりの輪郭はきわだつというか、雨だからこそやってくる強烈なお客さんというのも存在するのだった。

今日は本の取り置きを電話で頼んだという人が2階にやってきた。予約の本は通常なら1階で受け渡しをするが、レファレンスも込みで依頼を受けた場合、相談窓口のある2階で取り置くこともある。いずれにせよ、貸出券をなぞってみないと状況がわからない。

M木くんが、貸出券を見せてもらえますかと言うと、なぜ見せる必要があるのですか、わたしは先ほど電話でこの本がほしいと頼みました、専門書なので2階にあると検討をつけたのです、本がほしいと言っているのに貸出券の話をしないでください、論点がずれています、本と貸出券、この2つはどう関連するのですか、あなたは職員ですから事情がわかっているのかもしれませんが、わたしは客なのですから瞬時に理解することはできません、そのことをふまえた上で接客すべきなのではないですか、って長い長い長い!

しゃべっていた時間で、本当なら貸出手続きまで済んでいた。

こちらが一言話すと、その10倍くらいの言葉のシャワーならぬアラレがごつごつ降ってくる。賞賛に値する忍耐力でもってM木くんが説明をすると、やっと納得して貸出券を提示し、めでたく本が1階にあることが判明した。M木くんは削り取られてぐったりしていた。

あんなふうに他人とやりとりする度にいちいち引っかかっていたら、さぞかし生きづらいだろうと思う。でも本人にはあの生き方以外ないのだから、特段ハンデを抱えているとは思っていないのかもしれない。対応する周囲の人は確実に消耗するけれど。

つい最近、同じようなやりとりをコントライブで見たばかりだ。一方は独自の価値観を持っていて、ほとんどの人がつまずかないところで立ち止まってしまう「面倒くさい」人。彼の発言や行動に、もう一方が絶妙なつっこみを入れ、笑いを誘う。

そう、笑いだ。愛おしささえ感じていたと思う。こんな人が現実にもいたら、世界はもう少しやさしくなるんじゃないか、なんてことまで考えたのだ。

ひるがえって現実のわたしは、M木くんとお客さんのやりとりをとなりで聞いていただけなのに、最高潮にいらいらしていた。ほとんど発狂しそうだった。わ〜!と叫びながらお客さんを羽毛布団でくるんで放り出したいと思った。ソウルポーカス!貸出券 or 羽毛布団?

雨は激しさを増し、とうとう警報まで出ている。

あんなに笑えたのは、コントという安全な箱庭の中にいるからだった。その囲いを外されたら、「面倒くさい」人は途端に手に負えない不安な存在となる。だってつっこんだからって良い方向に転がるとはかぎらない。余計にこじれてお互いに嫌な傷を作り合う可能性の方が高いだろう。

現実には真顔で向き合わなければいけないからこそ、笑いが必要、とも言えるかもしれない。誰もが経験したことのある嫌な出来事やストレスのたまる状況を、笑いに変える。尊い仕事だ、芸人というのは。そしてできるなら彼らのテクニックをわたしたちも真似して、現実に(心の中で)つっこみ、面白い方へと変えられたらいい。

今日のお客さんだって、こうして文章にした時点で、もうだいぶシュールで面白い。

警報が出たときは職員が順番で図書館に泊まらなければいけない。わたしはてっきり自分の番だと思っていたけれど、S村さんの方が先だったらしく、暗い書庫の中を雨漏りしていないか見回らなくていいことがわかった。首の皮一枚でつながったわたしは、うれしくなって川のようになっている道をかき分けながら帰った。

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