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第二の人生

(兄の話)

入社して初めての部署でお世話になった部長が退職をする。僕は、その挨拶を聞いていた。定年退職の挨拶を聞くのは、何人目だろう。いつも知らないおじさんばかりだったけれど、河本部長は、初めての”知っている人”だった。

「いい会社に巡り合って、いい部下に恵まれて、こんな私でも、楽しく仕事ができた。ほんとうに、ありがとう。皆さんの活躍を、陰ながら応援しています。」

いつもの部長だった。穏やかで、温かく、丁寧な挨拶だった。

挨拶を聞く前日、部長に感謝の気持ちを伝えるべくメールを飛ばしていた。

「春からは、大学生です」

返信のメールにあった部長の決断に驚いた。最終学歴は高卒・・ずっと心の中にわだかまりとして残っていたのだという。あんなに忙しかった年明けのさなか、大学入学のために準備していたなんて。

そういえば、僕が大学に入った時、同じクラスには60歳の同級生がいた。いつも校章を襟につけて真面目に授業に参加して、必修の体育の授業では、指導教員の方が恐縮したりして。僕の親よりも年上の同級生に、少なからず驚きと敬意を抱いた記憶がある。

大学に通うこと、僕にとってそれは義務教育の延長のようなものだったし、何を学ぶかというよりは、どこで学ぶか、みたいに大学名だけがもてはやされるような環境だった気がする。

でも、大学に入っていなかったら・・今の会社に入れていないだろう。そして、部長にも会えていない、と思うと不思議な縁があるものだと思う。


(弟の話)

一浪してこの大学に入った・・なんて、恥ずかしいから言えない。と思っていたけれど、その自己紹介の場は一向に訪れないままに、画面越しに講義を聞く日々が訪れている。

大学生だった兄貴は、それはそれは勉強していた・・と言いたいところだけれど、アルバイトやサークルのために大学に行っているように見えた。とにかく毎日が楽しそうで、当時中学生だった俺はウザいと感じてさえいた。でも、テスト前にはゾンビのようになっていたけど。

新型感染症の影響は大きく、さらに症状が出にくいとされている若者世代への世間の視線は、タバコの煙や騒音に向けられるものとよく似ていると感じることがある。とにかく、なんでこんなに窮屈なんだよ。

クラスの同期・・(大学に入ると急に同期とかって言うの、あれ何だろう。)が、オンラインで飲み会をしようと言い出した。正確にはメールが来た。学校から学籍番号に対応したメールアドレスが配布されているから、クラス名簿さえあればメールで連絡が取れる。

メールにあった時間に、ルームに入ってみたら、結構な人数が画面上にいた。

こうしてみると、一浪しているかどうかなんて分かるわけがない。女子も男子も、そりゃちょっと前まで高校生だったんだし、変に大人びている奴なんて・・いた。

クラス担任の教授かと思ったけれど、名前が違っている。俺の親よりも年取ってる感じがする。大人びているんじゃなくて、立派な大人だった。

「大学に行かずに就職したので、定年を潮に、また頑張ってみようと思って、この大学に入学しました。皆さんの3倍くらい年寄りですけど、どうかよろしく」


(部長の話)

定年の年度に、これまでにない状況が日本や世界を襲い、仕事のやり方もずいぶん変わってしまった。リモートワーク、オンライン会議・・新しい技術はとにかくカタカナが多い。それでも、デジタルネイティブなんて呼ばれる若い社員のおかげもあって、なんとか最後の年度を終えることができた。

春、学校に通うものだと思って大学に入っていたら、オンラインが普通だなんて、講義を聞くのも一苦労だっただろう。若い人たちの会話についていけるだろうかと不安だったが、会話そのものがなかった。それは、少し安心することでもあったけれど、残念でもある。

ようやく講義の時間割を決めた頃、クラスでオンライン飲み会をしようという趣旨のメールが届いた。

オンラインの飲み会とはいえ、未成年が多いはずだ。本当に酒を飲んでいい年齢なのは、私くらいじゃないだろうか。ともあれ、赤ら顔で映るのも気が引ける。

若い人たちの顔は、みんな良く似ている。数年もすれば彼らも、社会人になって働くのだと思うと、今の若者は恵まれているとさえ思ってしまう。

自己紹介をする同じような顔の中に、なんだか懐かしいような顔があった。こんなに歳が離れた知り合いなどいるはずもない・・が、似ているのだ。

「俺、山下健二って言います、ケンジって呼ばれてました。」


(三人の話)

健二がオンライン飲み会をしているなんて、全くわからなかった。だから、部屋に入って机の後ろの本棚から漫画を借りようとしたら、話し出したので、振り返ってしまった。

不意に、画面に兄貴が映り込んだ。おい、俺いま自己紹介してんだぞ。彼女ならまだしも、家族が映り込むなんて恥ずかしすぎるだろ。

話をしている人が大きく映される画面の奥に、3月まで一緒に働いていた若い社員がいた。驚きよりも、懐かしさがまさってつい笑みが溢れた。

「こ、河本部長!?」

「部長!?」

「これからも、どうぞよろしく、山下君・・と、山下君」



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