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お腹いっぱい!ごちそうさま! #創作大賞感想

妻と結婚してまだわずかしか経っていない頃、多分お昼ご飯だとかだったと思うけれど、炒飯を作ったことがあった。

当時、よく切れる包丁で、とにかく細いキャベツの千切りを切って、毎食それを食べるという食生活だったこともあって、炒飯に入れていた野菜(玉ねぎ・にんじん)はとても細かく微塵切りにできた。

炒飯自体はとても美味しくできて、妻も驚いていたけれど、もっと驚いていたのは、その具材の大きさだった。「微塵切りにする機械、実家から持ってきてたっけ?」と聞かれたので「全部手でやったよ」と応えると、「もう私には炒飯は作れない」と笑っていた。

連載が始まって、なぜ、このタイトル?と気になっていた。完結を待っていると、次第にお皿が積み上がっていく、そろそろ読み始めなければ間に合わないのでは…ようやく紐解いたのが、応援期間の始まりの日だった。

山羊的木村さんの小説「さよなら炒飯!」を読んだ。

小説の主人公に必要なものは、悲哀と決して死なない永遠の命ではないかと、画面をスクロールしながら考えていた。死はどうしたって影響力が強い。何より、主人公が死んでしまったら、物語はどうなるのだろう。

初めから、不穏なものがあった。いわゆる街中華のアルバイト募集で「使い捨てにされたことってある?」とだけ問われるのだから。

しかし書き手は、手の内を明かしてくれない。物語を急がせない、それは読み手がゆっくりとその世界に溶け入るような仕掛けなのだと思う。

見ず知らずの街で、ありえない人物たちが暴れていても、それは映画や御伽噺のようになってしまう。しかし、この書き手はそれを許さないのだ。是が非でも、近くに寄せようとする。

読み手に、その世界を一緒に見ようぜ、と迫ってくる感じがする。時間を戻し、人間関係を丁寧に編み直し、そして然るべき現在に戻ってくる。

レビューを書き続けている者の悪い癖で、気になる言葉をネットで検索してしまうことがあった。とある言葉が、第一話からずっと気になって、読み終えてから調べてみると、それは「太陽」という意味があった。読み終えてからでよかったと、ちょっとだけ安心した。大丈夫、これはネタバレではないはずだ。

きっと主人公は死なないだろうけれど、どうにも安心できなかった。単なる傍観者では済ませられなくなった読み手は、ただ祈るように読み進めていくことになった。栄光の過去と、挫折の今、どうにも幸せからは遠ざかっているのではないか。

しかし、主人公は強かった。自暴自棄にならず、嘘もつかない。自らの判断、をとても大切にしていたし、信頼のおける間柄の人からの忠告には忠実に従っていた。きっと、途中で死んでしまうことはないだろうと確信した。


いったい、どこからこの物語を発想したのだろうかと聞いてみたくなった。ほどほどの今っぽさだったり、さまざまな地名だったり、書き手の近くの情報もそれとなく混ざっている印象があった。まち中華の存在感だって独特だ。

登場する彼らの高校時代に打ち込んでいたこと、そして大人になって熱を入れていたこと、純粋さみたいなものは比べるべくもないが、どちらの自由もまた読み手には眩しいものだった。羨ましいものだった。

作中の子どもが、まさに希望だった。頭がいいキャラクターにありがちな、老成して悲観的なのではなく、聡明そのものであった。それが何より救いだった。

正義とは何か、善とは何か、そんなものは分からなくてもいい。しかし、主人公が持っていたであろう「強くて柔らかいもの」は、何だったのだろうかと、今でも考えている。


書き手の術中にはまり、転がるように物語を読み終えたら、あなたもきっと思うだろう。

美味しい炒飯が食べたい。



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