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【序章】適応障害になってから退職するまでどんな感じだった?

会社に行けなくなった時、適応障害と診断された時、会社を休むことが決まった時、ちょっとよくなったように感じた時。
そんな時正直何が正解でどう行動するのが自分の状態に良いのかわからなかった。
今思えば別に”正解”なんてないし、人それぞれタイミングや環境、状態が違うんだから誰かのをそのまんま真似しても自分にとっても同じように良いとは限らない。

ただ適応障害という病気の症状と毎度初めましての状態の私は当時、他の人はどんな感じなんだろう、こんな時どうしたら良いんだろう、そんな不安な気持ちを和らげてくれるような経験者がいたらなぁと何度か思っていた。

そんな時に何気なくしっかりと活用し始めたnote。
今思えばすごいタイミングでnoteを始めたなと、なんだか導かれたようなタイミングだったなと思う。
noteを開くと、似たような経験をした人や同じような感覚を持つ人もいて、いろんな人の人生がそこには広がっていた。
顔も本名もどこに住んでいるのかもわからなくても、なぜか勝手に仲間意識を感じちゃったり。

元々文章を書くことは好きだったけれど、適応障害になってから、いや昔から何かモヤモヤした時や落ち込んだ時は感情を言語化したい性分だった。
だからか適応障害になってから書きたくて仕方なかった。
きっとそんな人がここには多いんじゃないだろうか。
心の中にあるものを言語化したい、表に出したい、本当は誰かに話せたら良いんだけれどなかなかここまでの深い話ができる相手がいない、親しい人にも胸の内を話すのが少し怖い。
そんな人、多いんじゃないかなと。

そこまで深く考えずに、単に日記として書いている方や、何かを継続したいからnoteを頑張ってみるという方もいる。

とにかくここにはたくさんの人の物語がある。

その物語が誰かの物語に色をつけたり装飾してみたり、ストーリーが大きく切り替わるきっかけになったりすような場所だと思っている。
そんなこの場所に、私の一つのストーリーも残しておこうと思う。

このストーリーが、誰かの本の参考文献になったり少しお邪魔させてもらったり、少し色付けをお手伝いできたら嬉しいな。


相変わらず長い前置きはこのくらいにして早速本題へ。

順調な社会人スタートからの突然の混乱

1.突然の出来事に頭と心が追いつかなくなった

社会人になり1年が経った頃、ようやく仕事も一連の流れを掴み、先輩方からも「monaさんが入社して一年か〜あっという間だね〜」なんて言われ、「ここからだな」と意気込んでいた4月。
初めて一人で商談も任され自分なりの仕事の仕方も少しずつ確立されてきていた。
今年度は2年目としてレベルアップしたいと思い、当時の部署での数字的な目標や個人目標を考えていた時期だった。
転居を伴う異動が決まった。
この出来事が私の心と体のズレのきっかけだろう。
上司から内示を言い渡される1ヶ月ほど前の面談時、直近での異動の予定はないと言われていた。
また内示の1週間ほど前には今後のキャリアの方向性を社員が上司へ示す面談もあり、その時点で私は異動希望は出していなかった。
そんな中での突然の辞令だった。これは割と異例だったようだ。
直属の上司は数日前に知らされたようで、上司も驚いていた。
上司も知らなかったなんてどんな体制なんだと思っている余裕もなく、私は辞令の内容をとりあえず聞いた。
私の今年度のここでの仕事の目標は?この私の気持ちは?パートナーとの将来の計画は?私の大切にしたい生活は?
全てにモヤがかかった。
でもここで辞令を拒否すれば退職するということになる。
それが会社というものだ。
辞令が出る前に人事部との面談やそういうフォローみたいなものは何もないわけ?私はこのまま行かなきゃいけないの?
そんなモヤモヤを抱えたまま、「君のキャリアにとってとても良い機会だ。栄転おめでとう。」と言われ私は辞令を受け取った。

2.気持ちが追いつかないまま聞かされる不安要素

私の異動が社内でも話題になった。
もう異動?大丈夫?気持ちついていけてる?
そんな言葉をかなり多くの方からいただいた。
そしてなぜか栄転のはずの私にかけられたのは次の言葉たち。
「流石に可哀想すぎる」「ほんとひどい人事だよね、本人の気持ち考えてない」「気をつけてね」「なんかあったらすぐ電話でもメールでもして」「〇〇部署の△△さんは私の同期だからmonaさんのこと伝えておくね、なんかあったら頼りな」
なんだかすごく心配されている?どうしてこんなに可哀想にみられている?
それもそのはず、異動先には有名な方がいた。その方の名前はあまり良い話題では出てこない。(明言は避けさせてただきます。)
私は昔からなんとなく自分と本質的に合わない方や、なぜか攻撃されてしまう相手に対して謎のセンサーがあるのだが、その方と以前お会いした際に、自然と萎縮し身構える自分に気づいていた。
しかしそういう方に限って仕事ができて、社内での発言権も強かったりするんだなこれが。

先輩方からあまりにも心配されるため、「その方実際どのような方なんですか?過去にどんなことが?」と聞くとみんな口を紡ぐ。
「まぁ色々ね、聞かないほうがいいよ…」なんて言われた。
いやいやそんなに言われるから気になっちゃうんじゃん!と思いながらも、なんとなくネガティブな想像ばかりが膨らんでいった。

異動前から募るこの不安。これが当時の私の心のバランスを乱していった。

3.辞令で明らかになった会社の体制

上司も知らなかった突然の辞令や辞令を言い渡された際にかけられた言葉により、私の中で会社に対する疑問が浮かんだ。
「もしかして今体制がかなりぐらついている?」
「思っているより中身は古いまま?」

転勤の可能性がある会社だということは重々承知の上で入社したものの、異動希望ましてやまだ当時の業務を一人で一通りこなしてもいない段階での違う部署への異動は望んでいない。
さらには実家の家族のことや、パートナーとの結婚の話までも直属の上司とは話していた。
女性のキャリアの難しいタイミングに想像よりも何倍も早く到達した気分だった。
「monaさんはまだ若いし結婚とか考えてないでしょ?まだいくらでも始められるしね。」と言われてしまった時は、信頼していた上司だっただけにかなりショックだった。
若いから結婚はまだいいとか、今の彼とは考え直した方がいいよとやんわり遠回しに言われ、「あなたが決めることではない。これは私の人生だ。」と言いかけた。流石に言えなかったが。
そして私が真剣に結婚の話も出ていることや異動に対してあまり嬉しい感情が持てないことを話すと「まぁでももう決まったことだから。君は総合職なんだし、プライベートのことは仕事ベースで考えて。」と言われ終わり。
ほんとにそうなのか?
確かに女性のキャリアアップだの、夫婦共働きだの、色々言われている時代ではある。
でも、女性がみんなバリバリ働きたいのか?
総合職の女性は家庭や生活よりも仕事を重視したいと男性社員は認識しているの?
結婚のタイミングまでも上司にとやかく言われなきゃいけないの?
そんな疑問が頭に浮かんだ。
全部言いたかった。もう少し上司がゆっくり時間をとっていたら私はいってしまっていたかもしれない。

「その感覚って、会社としての総意ということでしょうか?それともあなた個人の意見ですか?若いから結婚はまだいいとかいつの時代の感覚ですか?男性目線で言ってませんか?それから、転勤が嫌なら女性は一般職で入社しろという感覚ありませんか?」
喉あたりまではきていたな。
でも辞令を言い渡した上司とはよく話していたし、気にかけてくれていたと思っていたので、この人からそんな言葉が出たことがしばらく信じられなかった。

会社全体として、総合職の女性はまだ多くない。
特に若い女性は少ない。
そして男女ともに若い先輩たちが続々辞めていっているのも知っていた。
その理由がなんとなくわかってきたのもこの日だった。

4.受け入れられないままの引っ越し手続き

辞令を引き受け約3週間後に新しい部署への着任が命じられた。
3週間で引き継ぎと新しい部屋決め。そして突然始まる彼との遠距離恋愛への準備。
振り返って思うが、本当によくやったと思う。
以前の記事でも書いたが、全ての行動に気持ちが伴っていなかったため
どんどん物事だけが進んでいく感じが怖かった。
部屋を決めてしまったらもう後戻りできない、この休みが終われば私はもう新しい環境へいかなければいけない。
そう思いながら心は一向についていかない。
不思議な感覚だった。体(外見)だけは動いているが、中身が全く動いていない。そんな感覚。
この時から既に適応障害の序章がはじまっていたんだろう。

引っ越し作業も全く気が進まなかった。
彼がずっと手伝ってくれていたが、「なんで私こんなことしてるんだろう、なんでいかなきゃいけないんだろう」と何度呟いたことか。
ここまで心が拒否反応を示していることに気づいていたにもかかわらず、
仕事だからという理由で自分のお尻を叩き、心が拒否する方向へ進んでいったのだから、新しい環境で適応できないのもうなづける。

さてここまでが私の適応障害の序章といったところだろうか。
ここから新部署へ着任し、早い段階で会社へ行けなくなるのだが、一旦ここで一つの区切りとしておく。

第2章は次の記事で。

ここまで読んでくださった方、お疲れ様でした。
そしてありがとう。




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