見出し画像

ムスリムにとって豚肉とは

ドバイにいるときはよかった。豚肉を食べるなんて選択肢はなかったから。
でも、シンガポールの空港でトランジット中に、早速豚肉に出会った。
とんこつラーメン…美味しそう…。。。

私は改宗してないし、ムスリムじゃないですから、別に食べてもバチは当たりません笑。
でも、彼と豚肉をめぐってこれまでに何度か大きな喧嘩をしたことがあります。

ある日、ドバイでフィリピン人家族とシェアハウスをしていたときに、優しいフィリピン人ママがスープをご馳走してくれたんです。
見た目別にそんなに美味しそうではなくて(笑)でもせっかくお裾分けしてくれたので、お礼としてちゃんと食べようと思いました。そのとき彼は私の隣にいたのですが、私も食べるまでそれがなんの肉かは知りませんでした。牛かな?と思って食べました。食べている間ずっと、彼があまりにも怪訝そうな顔で見ているので、「わかったよ聞いてくるよ」と言ってキッチンに戻りフィリピン人ママに聞いてみました。

「スープ、とっても美味しかった!ありがとう!ところで、なんのお肉を使っているの?」

「豚の脳みそよ。(満面の笑み)」

ああ…やってしまった…

部屋に戻り、豚の脳みそだった、と彼に告げると、彼は「あ、そう」と言って不機嫌そうにぼーっとしていました。

突然、私の中に怒りの虫が湧いてきました。
(…なんで?私はムスリムじゃないし、今日まで日本で普通に豚肉を食べてきた。豚と知らずに食べた場合は罪にはならないはずだし、せっかくご馳走してもらったものを無駄にする方がよっぽど失礼だし罰当たりじゃないの???)

私は彼に言いました。
「私はムスリムじゃないし、普通に豚肉を食べて育った。なんでそんなに気にするわけ?別にいいじゃない」
すると彼はもう本当に傷ついたようで、その日は夜までずっとダンマリでした。
別に豚肉を食べないことは構わないけど、豚肉を食べて育った私の文化を尊重してほしい。配慮してほしい。そんな気持ちがあったので、私は頭にきたんだと思います。彼は彼で、豚肉を食べるということは絶対に許されないタブーなのに、そのくらいのことも配慮してくれないのか、と自分の信念を蔑ろにされたように感じたそうです。

そして昨日。ビデオ通話中に、彼が突然
「日本に帰ってから豚肉は食べた?お酒は飲んだ?」
と聞いてきました。

「食べてないよ」
「そう」
「でもなんで私に豚肉を食べて欲しくないの?」
「傷つくし、悲しくなるから」
「日本では豚肉は体に良い食べ物って考えられてるし、みんな食べるよ」
「コーランには、豚肉は体に悪いって書いてある」

もうコーランの話をし出したらキリがないですよね。しまいには「ジャンクフードは体に悪いけど、コーランには書いてないから食べている」とか言い出して、いやいやコーランが書かれた時代にジャンクフードはないから!!と言いたいのを堪えて、
「私はコーランに書かれていることじゃなくて、あなたの気持ちを知りたいの。なぜ傷つくのか」
と聞きましたが、答えられないようでした。私が逆の立場に立って考えられるような良い例はないかと考えていると、

彼「ああ、いい例を思いついた。君の文化では、自然を大切にするね」
私「うん、私たちは自然と共に生きている」(もののけ姫か)
彼「じゃあ、『いや別に僕の文化では自然崇拝とかしてないから』と言って、自然を破壊しようとしたら君はどう思う?赤の他人だったら気にしないけど、愛する人がそういうことをしたらどう感じる?悲しくならない?」

いやいやいや、豚肉と自然破壊は比べ物にならんだろーーー!!!

と叫びたいところでしたが、それも我慢して淡々と質問を続けました。
しかし私の質問の仕方はどうも尋問のように聞こえてしまうようで、彼もだんだん攻撃的になって、今度は私がダンマリになり…。
ついに彼の昼休みが終わって会話は中断されました。

私は、どうして彼が豚肉を食べるくらいのことを許してくれないのか理解できませんでした。愛する人がやりたいことなら、なんでも許せるもんじゃないの?私はそうしているけど?あなたの信仰を否定したことは一度もないけど?

でも。
彼にとっては「豚肉を食べる」ことが「自然破壊」に匹敵するほど大きなことなのかもしれない。
それを私は自分の物差しで判断しようとしているから、理解できない。
私は「どうしても豚肉を食べたい」のではなく、「私の気持ちをわかってほしい」から、彼を質問攻めしてしまったのだ。

それに、彼は一度も「絶対に豚肉を食べないでね」とは言っていません。
ただ、「傷つくから、食べないでいてくれたら嬉しい。」とだけ言っています。
ドバイにいたときに「わかった、豚肉は食べないよ」と言ったら、泣いていました。自分の文化を尊重してくれたことが本当に嬉しかったんだそうです。

異文化理解、と簡単にいうけれど、この豚肉騒動を通じて私には絶対に理解できない価値観がもっと出てくるだろうと思いました。

私が豚肉を食べると、なぜ彼が傷つくのか。

その理屈を説明することはできないけれど、そのままの相手を受け止める努力をすること、自分の物差しで判断しないことが大切です。
自分の物差しに相手の言葉をねじこんで理解しようとしても、そんなのいつまで経っても理解できない。「相手を理解しよう」とする前に、なぜ自分は『相手を理解したい』のか?その根底に「私はあなたのことを理解しようとしてあげているのよ、だからあなたも私のことを理解してね」というエゴはないか?
まずは自分の気持ちをしっかり見つめることが必要だと感じました。

私が恐れていたのは、これから彼との関係が続いて恋愛感情が冷めてきた頃に、彼にぶつかって傷つけてしまうことでした。恋愛関係にあるうちは、こうやって相手を理解しようと努力することができますが、結婚して何年も経ったらどうなるだろうか。だから、コーランが云々よりも、彼の気持ちをちゃんと理解したかった。

でも、「愛する」という行為は「意志」であって、自然発生するものではないんですよね。エーリッヒ・フロムの「愛するということ」に書いてありました。

だから、私は「運命の人」というのは信じないようにしています。
ソウルメイトは信じていますが、ツインソウルは信じていません。
あるかもしれないけど、信じないようにしています。

それは、もし「運命の人」が存在するとしたら、
「あれ、この人は運命の人じゃないかもしれない」
「もっといい出会いがあるかもしれない」
と相手の中にばかり原因を探してしまって、永遠に幸せにはなれないからです。

「愛する」という技術を身につけるには、人格を成熟させなくてはいけないとフロムは書いていますが、本当にその通りだと思います。自分の気持ちの押し付け合いでは絶対に解決しない。特に、価値観の違いについては。

結局空港では、とんこつラーメンは我慢して、唐揚げ丼を食べました。
4ヶ月半ぶりの日本の味…美味しかった…。
豚肉なくても生きていけるんですよね。全然。

これからたくさん衝突して、たくさん学びがあると思うと楽しみです。
長くなりましたが、今回はこの辺で〜

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?