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死んだ祖母に裁縫を手伝ってもらう

こんばんは、桃園(ももぞの)です。
今年はワンピースを仕立てるのを、亡くなった祖母に手伝ってもらいました。

何を言っているか分からないと思いますが、私も何が起きたのか分かりません。

まず少しだけ、祖母の話をさせてください。

祖母の丁寧な洋服づくり

祖母は若いころより裁縫が得意で、仕立ての仕事をしていました。縫うだけではなくパターン(型紙)を引くのも得意だったようで、オリジナルの洋服を娘、つまり私の母の身体に合わせて作っていたようです。

母と私は、骨格や体型が同じでしたので、私は母のおさがりを着用することもありました。
つまり私は40年以上前の、祖母の手作りの服を好んで着用しておりました。それほどまでに祖母の洋服は丈夫で、瀟洒なデザインのものでありました。

彼女の縫い目は、手縫いにも関わらずきっちりと幅が揃っており、点々、点々と美しい直線をつくって品格を漂わせています。反対に、縫い目を隠す部分ではどうやって縫っているのか分からないほど巧妙に隠されています。その表と裏とが、一着の素晴らしい洋服を完成させています。

端的に言うと、とても丁寧な仕事です。

そんな祖母に好きな布で自由に仕立てて貰っていた母が羨ましく思うこともありましたし、裁縫を習っておけばよかったと何度も思うことがありました。哀しいことに私の裁縫レベルは義務教育で終了しています。


そんな私が、この夏二度目の洋裁にチャレンジいたしました。
生地はもちろん、大好きなローラアシュレイ
昨年とは違い、今年は自分の身体に合わせて型紙を起こし、
デザインもゼロからやってみました。


「おばあちゃんならどうするの?」

私は不器用ですから、手縫い、中でもまつり縫いが大嫌いです。

まつり縫いとは、布の表側に縫い目がなるべく見えないように、ほんの少しだけ針を布に刺してから、布の糸をとって、また裏側に針を戻す縫い方です。「ほんの少し」とらないと、縫い糸が見えてしまい、あまり美しくありません。
布を凝視して丁寧にやらないといけない作業です。

いっぽうで私はひらひらとしたスカートの裾が大好き。ひらひらとしたスカートはたっぷりの幅の布で出来ています。

つまり私の好きなスカートを作るには、裾の幅数メートルを縫わなければいけない作業が発生するのです!今回のワンピースにはこのスカート周りのまつり縫いがありました。

まつり縫いをしなくても良いようにミシンで縫う設計に自分ですればよかったのですが、自分の中のお嬢様は「私のクラシカルなワンピースの裾にミシンのステッチは厭!」と駄々をこねました。
喧々諤々の議論の末、縫い目を見せないまつり縫いのデザインになりました。嗚呼。

厭だ、厭すぎる。まつり縫いだけバイトを雇いたい。


私は心の中にいる祖母に問いかけてみました。「おばあちゃんならどうする?」祖母は死んでいるので、特に答えはしませんが、おそらくこうするでしょう。「面倒でも、ちゃんと糸を2本だけ数えてとる」
「3本じゃダメ?」「やってみればいいんじゃない」

やわらかいシャーティングの布は、縫い糸よりさらに細い糸で織られていますから、とてもデリケートです。試しに糸目を3本とって20センチほど縫って確認してみます。確かに布はしっかりと止まりますが、ぽつぽつと表から縫い糸が見えてしまいました。裾なので、目線からはまず分かりません。
次から2本にすればいい、私一人ならそう思っていたでしょう。

でも「おばあちゃんならどうする?」と問うてみたのです。すると「ほどく。最初から2本でやり直し」そう彼女は強固に主張します。

私はため息をついて、糸を切って解いて、やり直すことにしました。
再び20センチほど縫って表から見てみると、なんと、ほとんどそれと分からないくらいのまつり縫いが完成しているではありませんか。丁寧に仕立てられた祖母の洋服にそっくりです。

わたしはニンマリして続けることにしました。
「おばあちゃん、ありがとう」


そしてあっという間に綺麗なスカートの裾が完成しました。その晩、私の中には祖母が憑依していたのかと思うくらい、集中して短時間で仕上げることができたのです。おそらく、憑依していたのでしょう。

神は細部に宿ると言ったものですが、祖母の作った洋服には彼女の丁寧な魂が宿っていました。それを愛用していた私は、彼女の薫陶を知らず知らずのうちに受けていたのです。


ローラアシュレイの花々がやわらかく揺れていました。


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