あきこ

ずっと感じていた、このままの自分はダメだという思い。 それは元々ひとつである自己から分…

あきこ

ずっと感じていた、このままの自分はダメだという思い。 それは元々ひとつである自己から分離しているという感覚の産物。 この分離の感覚を軽減して、少しでも楽に生きられるお手伝いをしております。 https://beasyouare.jimdofree.com/

マガジン

  • アルナーチャラ

    2017年にアルナーチャラを訪れた時の体験をまとめております。

最近の記事

  • 固定された記事

宇宙空間に漂ってる感じ

今までオンラインと対面でいただいたご感想をご紹介します。 ​⌘ 宇宙空間に身を委ねて漂ってる感じ! ​⌘ あのまま、寝落ちぃー、よかったです。腕を少し上げてゆっくり落ちるぅ、は、受け止める床が、全く透明で何も無くて、落ちると床との接触の知覚が起こるのが、なんとも面白かったです。横になったら、全部が、チリチリ バイブでした。丁寧に誘導してくださってありがとうございました。 ⌘ 今日はいつもとちがう体感でした、なんだか透明な液体が、気化するような、感じでした。ありがとうござ

    • 恩寵のシャワー

      バガヴァーンのお写真を見る。 お名前を心の中で唱える。 それだけで恩寵が注がれるのを感じます。 光が強く当たれば、闇が照らされるように、真理に触れると現実で辛い思いをすることがよくありました。 自分の不要な思い込み、ヴァーサナ。 部屋にバガヴァーンのお写真を増やすと、それが起こったりするので辛くてしまったこともありました。 それでも現実を夢程度にしか思えないよう、救ってくださるのもまたバガヴァーンですので、やっぱりだんだんと増えてきました。 バガヴァーンの教えに

      • ありがとうございました

        本日 訃報をお聞きし 悲しみというよりは 驚きの方が大きく 今は 身体という 苦しみから解放され 平安に包まれていること 勝手に思っております。 運営されてたサイトのおかげで 彼の地への 心理的距離が縮まり 行くことが可能になった方も多いでしょう。 私もその1人です。 ありがとうございました。 1人でインドまで行き アシュラムでお顔を見れた時は 心からホッとしました。 カンナンさんに 「マイフレンド」 と言ってくださりありがとうございました。 そしてそして

        • バクティ(信愛)

          ふと思い出したこと。 ギリプラダクシナをする前に、バガヴァーンのお写真に祈りました。 「祝福してください」と。 祝福を祈ったことってそれまでになかったのに、なんでそれが出てきたのかな。 日本だと「何々でありますように」と祈ることが多いし、それまでにインドの祈りについて特にどう祈るべきかとかも考えたことも、そうしようと思ったこともないのに。 自然にそう祈ってました。 ギリプラダクシナが成功しますようにではなく。 ただ 祝福してください と祈りました。 そして

        • 固定された記事

        宇宙空間に漂ってる感じ

        マガジン

        • アルナーチャラ
          13本

        記事

          牛のラクシュミー

          ラクシュミーはバガヴァーンの臨在の元で解脱した牛さん。 ラクシュミーは解脱したいと思考したかな。 未来を案じたり、現在を嘆いたりしたかな。 ラクシュミーはバガヴァーンの臨在から放たれる静寂と平安に浸って、それが幸せだから、ただそこに意識を注いだんじゃないかな。 自分はまだ悟ってないとか思考を弄ぶことはなく、ただ一心にそうした。 ラクシュミーの境地を羨んでいたけど、ラクシュミーの信愛ほどに明け渡していなかっただけかも。 そうなりたいと水の中で喉の渇きを訴えるごとく騒

          牛のラクシュミー

          シャラナガティ

          シャラナガティとは サンスクリット語で 「全託」 という意味。 バガヴァーンに全託するなら 全てのマインドが必要なくなる。 それのなんと幸せなことか!! なんせ全託なのだもの。 これは明け渡すけど まだ不安なんです なんてことがなく とにかく全部。 だってバガヴァーンより 自分が上手くやれるなんて 想えるわけもなく。 想念の源を辿り そこにとどまるのは 言葉では簡単だけど なかなか難しく それでも 続けていれば だんだんできるし マインドに気づいたら シ

          シャラナガティ

          ハートに住まわれるお方

          不思議なことに 他の誰かを 思い浮かべる時は 頭の方 上の方で 浮かんでくるのに  バガヴァーンだけは ハートで 感じることができます。 ジャパも ラマナ とか バガヴァーン だと ハートで 響き渡るのです。 想念が 起こり続け 意識を ハートに向かわせるために そこにとどまるために ありとあらゆることを 試しながら 見つけたこと。 もちろん お写真を拝見すれば 自動的に ハートに沈められていきます。 時々 惨めさに襲われることがあります。 まだこんなに 想念が

          ハートに住まわれるお方

          探求中に起こること

          探求中だからこそ 起こること。 沈黙や内側に下がって 静かに在ることこそ 重要だと知識で知り そうしようという想いが湧いて そこに向かおうとするのに 逆に 心が急に暴れ出したり 外へ向かおうとして これ以上はもう無理だ と思うことが 起こる。 そう、起こるんです。 起こるべくして 起こってくる。 だからそれは 探求中に起こること と知っておく。 絶望 無力さ ここで諦めずに 内側へ向かうには 確固たる決意と グルへの信頼。 確固たる 内側へ向かい続

          探求中に起こること

          明け渡すって

          ほんとに 明け渡すって グルが そこに居なさい って言ったら そこに居ること ハートから離れないように 教えを実践するように 言われてるのに やらないって 明け渡してない 自分にしがみついてること ぜんぜん 明け渡してなかった〜

          明け渡すって

          人の役に立つということ

          ここ最近 人の役に立つ というトピックを あちこちで耳にしたり 目にするので なんとなく自分にも そのことについて問いかけてみてた。 人の役に立たなきゃ  というのも 観念なんだけど これも個人の観念というより 集合意識的。 わたしのものじゃない。 だからこそ 自然に起こってくることでもある。 人の役に立つイコール 自分を犠牲にする ではなくて そのままでいることで すでに役に立ってる。 役に立つは 役になる 益になる という色付けなく そこにあれば 誰

          人の役に立つということ

          自分が納得のいく答え。 世間に対する言い訳、認められそうな文言。 そういうの全部やめて内側にとどまる。

          自分が納得のいく答え。 世間に対する言い訳、認められそうな文言。 そういうの全部やめて内側にとどまる。

          それ、しなくてもいいよ という福音

          写真は昨日の夕陽。 助手席から娘が撮影してくれました。 やめたいことをやめられる 賢さがずっと欲しかったです。 やめたらいいとわかってても 続けてしまうことが嫌で。 それでも 本当に無益なことは しないのが人間。 熱いストーブを触ったら 火傷をするから触らないのと同じ。 痛みのダメージが少ない、 もしくはダメージが後から来る 「食べすぎ」なんかは繰り返しちゃう。 無益さはわかっていても 痛みはその瞬間少ないから。 繰り返される 過去や未来についての思考。 それも

          それ、しなくてもいいよ という福音

          ちゃんと分離してる?

          私が分離してるってほんと? 分離はやめることではなくて、分離という勘違いに気づくことっていうじゃない。 そのためには、本当に分離ってしてるかな?と自分自身に向かうしかない。 自分自身に向かうってどこに? ここ。 私とそれに気づいてるものは、分離できない。 世界とそれに気づいてるものは、分離できない。 そういうことを言葉で知るのではなく、今ここで自分で確かめてみる。 野菜が欲しかったら八百屋に行くように、自らに満たされたかったら、自らに向かう。 シンプル。

          ちゃんと分離してる?

          解脱さえも

          思考が湧いたら 反応が起きたら それが出てきた源にお返しする。 私の 私のもの   という感覚が湧いたら それが出てきた静寂にお返しする。 喜びも 苦しみも それを気づかせる光に捧げる。 迷いも 悟りも 解脱も 愛にお返しする。 愛だけがある。 静寂だけがある。

          解脱さえも

          慌てない慌てない

          写真はコイン精米機の順番待ち中に撮影しました。 秋ですね♪ 山を歩くとホッとするのは、自然は何も判断したり押し付けてきたりしないから。 そのままという愛。 でも現れは慈悲からの厳しさというのもありますね。 今日は車の鍵が見つからず、歩きと自転車で1日を過ごしました。 車は便利で大好きですが、自転車ならではの解放感や、ゆっくり歩くからこそ気づける小さなことも大好きです。 慌てない、慌てない。

          慌てない慌てない

          直観に明け渡す

          あたまの考えを直観に明け渡して生きるのは、とてもおもしろいです。 例えば、お申込みが入らないヨガクラスがあって、前日の夜にクラス自体をお休みにしようかと連絡しようとしたら直観からストップがかかって、理由もわからずそのままにしてると、開始1時間前にお申込みがあったり。 買い物は少し値段が高いものでも直観がオッケーすることもあれば、すごくお得でもNGが出ることもあって。 昨日は雨で少し約束に遅れてしまったので連絡しようとしてらNGが出て、??と思ってたら、みんな雨で遅れてた

          直観に明け渡す