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直観に明け渡す

あたまの考えを直観に明け渡して生きるのは、とてもおもしろいです。

例えば、お申込みが入らないヨガクラスがあって、前日の夜にクラス自体をお休みにしようかと連絡しようとしたら直観からストップがかかって、理由もわからずそのままにしてると、開始1時間前にお申込みがあったり。


買い物は少し値段が高いものでも直観がオッケーすることもあれば、すごくお得でもNGが出ることもあって。


昨日は雨で少し約束に遅れてしまったので連絡しようとしてらNGが出て、??と思ってたら、みんな雨で遅れてたw


お肉を買おうとして、健康のためにやっぱり魚にしようかなと考えたらNGが出るし。


7月は善意で無理してしようとすることにNGが出てなんでかな?と思ったら、コロナ発症したり。


とにかく直観はなんていうか、全部わかってる!


損得でもない、善悪でもない。

ただ、関わる人みんなが幸せになる。


今まで「善かれ」と思って(頭で考えて)、結果皆んなが不幸になるようなチョイスもありました。


直観は全体なので、頭で考える狭い有限の範囲を超えています。

頭は知ってること(過去)をデータに判断しようとするけど、直観はこの個人が知らないことを知ってるから、個人が ? なことでももちろんわかってます。


ロバート・アダムスはこれを「道を知っているパワーに明け渡す」って言ってました。


阿部敏郎さんの「かんながら」もそうなんだと思。(新しい本、読んでないけど!昔の本は読みました。阿部さんのブログが人生の転機だったし。)



これを繰り返してたら、?? になりつつ従うことで、何が起こるんだろうと楽しみになってきます。


情報で 善い とされていること。
お肉を食べない とかも、置かれてる状況によるんだな〜って。
4月にベジタリアンになろうとして、貧血になって諦めたけど、それぞれでいいんだなって今は思ってます。


ヒンドゥー教はベジタリアンだから、いつかはベジタリアンになりたいとか思ってたけど、その思いがポロリと落ちました。


私は主婦でもあるから、すぐに損得でモノを考えてしまいます。
結果を期待はしてないけど、結果的に得したら嬉しい。
でもいったん損をした気がしても、後で得になることもあるし。



ひとつ言えるのは、得をしようとする必要はないってこと。
得をしたいのは、なんか苦しい。

でも得すると嬉しいという反応は出ます。



かと言って自ら損をする必要もなくて。
無理のない範囲で募金したりするのはいいけど。




意図を捨てて、個人の良心に従うのではなく、直観に委ねて生きると、私が生きてるのではなくて、全体が生きてるって感覚になります♡



それでないことなんてないもんね。

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