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人の役に立つということ

ここ最近
人の役に立つ
というトピックを
あちこちで耳にしたり
目にするので

なんとなく自分にも
そのことについて問いかけてみてた。


人の役に立たなきゃ 
というのも
観念なんだけど
これも個人の観念というより
集合意識的。

わたしのものじゃない。


だからこそ
自然に起こってくることでもある。


人の役に立つイコール
自分を犠牲にする

ではなくて

そのままでいることで
すでに役に立ってる。


役に立つは

役になる
益になる

という色付けなく


そこにあれば
誰かの喜びになってること。


なにもできない
赤ちゃんを見て幸せな気持ちになるように


その人が
そのままその人らしくいることで

あなたも
そのままでいいよ
というメッセージに
なる。


そんな役に立ち方は
自然。


自然すぎて
見過ごされるのは
本来の自己の透明性と
おなじ。




役に立っている人を見ると
尊敬するかもだけど


その人は
無理をしてないかな。

同じように尊敬できる人で

自然にそこにいるだけなのに

勝手にこっちが満たされてしまう人がいる。




それは

ブログでその人がそのまま

その時の感じをシェアしてくれてたり

することもそう。



痛みや弱さだったり

お気楽さだったり

透明さだったり

気づきだったり。


押し付けるアドバイスとは

全く違う

あなたという存在。





勝手にありがたがるこちらとしては


無理して何かを差し出されるより

痛みなく受け取れる。





無理して

差し出されたものは 

深いところで繋がってるわたしたち

同じ海の泡の成分だから

その無理という痛みも

わかってしまうので

受け取るのも

痛みを感じなくてはいけない気がして

幸せとは違う

役に立つ観念という看板の重みを

無意識に受け取ってしまう。

役に立たなきゃ存在してはいけない

という重み。





そういうのも
人間の愛しさともいえるから
否定はしなくていいんだけど

もうそれは要らないって
気づいてもいいんだなって


さっき湧いてきた。




そもそも

私がそうだから。

自分を犠牲にして役に立とうとして

やりたくないのにやっちゃって

疲弊したり
感謝されなくて傷ついたり
むかついて嫌いになって
離れたり

さんざんしたから。




無為自然
無理のないあなたでいい


無為のあなたは
そのままでもう役に立ってる


無為とは
無理やりなんにもしないことじゃなく

自然にあること。


自然に起こること。


やろうとしなくて
起こってくること。


呼吸みたいにね。

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