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深い海の底を彷徨っていた私に光を与えてくれた「深海」

私は中学生の頃から20代前半まで、ずっと深海を彷徨っていた。
いつ、どこで、どうやって、この命を終わらせようかと常に考えていた。生々しく終焉を感じる事で、ある程度自分の心の痛みに蓋をしていたのかもしれない。

あの頃の私は、絶望感と言うよりは、虚無感にとらわれていた。

でも、周りの誰にもそんな事は言わなかったし(言えなかった)、「悩みなさそうで羨ましい。」と言われるくらい、外では普通に過ごしていた。
何もないかの様に演じる事は、私が抱えていた暗闇を自分自身が引き受けるよりも、断然簡単な事だった。

そんな時に高校の図書館で、赤と緑の2冊の本と出会った。
村上春樹の「ノルウェイの森」だ。
その後、太宰治や三島由紀夫の作品にも出会い、「死」というものが自分の中で益々身近なものに感じられるようになった。

とにかく10代、20代は、「死」について深く考える毎日だった。
そして「死」が私の右足首を常に掴んでいる感覚があって(なぜか左足ではなく右足だった)、ふとした瞬間にそっちの世界へ引きずり込まれるのだろうとさえ思っていた。
「難しい事じゃない。きっと良いタイミングで私を引きずり込んでくれる。」
そう思う事で、自分自身を安心させた。
いつか「死」が私を救ってくれるのだろうと。

今でも右足首を掴まれた感触は残っているし、くっきりと指の跡が残っている様な気がする。
もしかしたら、まだ掴まれたままなのかもしれない。

そんな救いのない暗闇を彷徨っていた時に聴き始めた音楽が、Mr. Childrenだった。
阪神淡路大震災直後に、瓦礫や崩れた家屋を横目にしながら、コンサートが開催される大阪城ホールまで行った日の事を今でも鮮明に覚えている。

そしてそのあたりから、ボーカルの桜井和寿も暗闇を彷徨い、死を意識していた。
そのダークな心情を作品にしたアルバムが、問題作であり最高傑作だと言われている「深海」だ。

アルバムの中で、“今じゃ死にゆくことさえ憧れるのさ”と歌われている。

アルバムのジャケット

このアルバムの解説は長くなるので、ここでは書かないが、

アルバム「深海」はミスチルの中でもかなり異質な作品だ。暗くてダークな曲調、「明日なんて信じるな」などという救いようのないメッセージ、ハードで反社会的なスタンスなどが特徴的で今のミスチルとは真逆である。
このアルバムは当時の桜井さんの"混乱"をそのまま描いており、「深海」作成中は「死にたい」と語るほど追い込まれていたことが知られている。

https://www.outoutput.com/mr-children-shinkai-mdn-90s-cd/

と言われていた。
(次にリリースした「BOLERO」もかなりダークだ。)

このアルバムは、水の音とそこに飛び込む音で始まり、深海から浮き上がろうとしているのか、さらに沈んでいっているのか、どちらにも捉えられる水の音を残して終わっていく。
始めから終わりまで、悲痛な思いがぎっしり詰まっているのだが、「死」を強く意識していた自分を救ってくれる事になった。

どうもがいても消えない虚無感、誰にも理解してもらえない自分の中にある孤独感や暗闇を、そのままそこに描いてくれているように思えたからだ。

「深海」は1996年にリリースされたアルバムなのだが、今でも聴き続けている。

信号のないハイウェイを1人で運転しながら、ボリュームを最大限に上げ、座席から伝わってくる重低音の振動を感じながら「深海」を聴いていると、また海の底へと引き込まれて行く。

かつて私が彷徨っていた「深海」に潜る度に、言葉では説明出来ない心地良さが私を包み込み、恐怖心や虚無感は全く感じない。
必死で光を探し求めていたあの頃とは違い、暗闇に目が慣れるまで身を任せる事が出来るし、そこに確実に存在する生命体や見えないはずの光を感じる事が出来る。
そして「死」だけではなく、「生」について深く思いを巡らせる。

でも、時々ふと思う。

私はなぜ、まだ生きているのだろう。

私の右足首をしっかり掴んでいたあの手はなぜ、私を引きずり込まなかったのだろう。

そして、もし「深海」に出会っていなかったら、私はどうなっていたのだろうと。

だだ確実に言えることは、私にとって「深海」は、かつて強く憧れた「死」が私に訪れるその時まで、なくてはならない大切な作品であり、時々戻りたくなる場所なのだ。


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