脳内はお花畑

メンタリストDaiGoが2度謝罪した。
そのことについて、また書こうと思う。
ひとつ前の記事『ホームレスは猫より価値が低いのか?』では、彼を擁護する側に対する疑問を投げかけ、彼が弱者を排除しようとするのは 元々彼が弱者側の人間だったからなのではないか?……という話をした。
前の記事同様に、私はメンタリストDaiGoを烈火のごとく責める気はまったくない。

1度目の謝罪で、彼は「助けたいと思っている人、抜け出したいと思っている人に対して、さすがにあの言い方は良くなかった。差別的だった」と言い、「僕もいじめられたので、打ち砕かれる思いっていうのはよくわかっているはずなんですけど」とも言った。
「活動を自粛してもいいが、自粛するよりも、実際に現場の人に話を聞いて勉強しようと思う。動画の収益は全額寄付する」そうだ。
私はこの時「炎上商法だな」と思ったので、動画は見ていない。(だからニュース記事で読んだ範囲でしかわからない)

寄付って、節税にもなるんだよね。
だからお金持ちは寄付をすることで節税になるし、好感度も上がるから、寄付をする。
さらに社会的に良いことをしたという満足感も得られるわけだ。
(全員が全員そういうわけではないと思うが)
……だからと言って、私は寄付を否定したいわけではない。
「やらない善より、やる偽善」という言葉がある。
私はその考えに大賛成だ。

ただ炎上商法の何が悪いって、ひとつの動画が注目されることによって、他の動画も見る人が多くいることだと思う。
つまり、その謝罪動画の収益は寄付したとしても、他の動画が見られることによって その分利益が出るという仕組みだ。

正直、私にとっては、彼が本気で謝罪しようがしなかろうが、どっちでもいい。
言ってしまったことは取り消せなくて、どんなに謝ったところで、彼の思想に影響を受けた人は思想を変えないかもしれないし、傷つけられた人の心は簡単には癒えない。
本当に反省しているのであれば、本人の今後の行動にあらわれることだろう。
信頼を形成するのは難しいが、壊すのは簡単。
彼がどんな誠意を見せて、信頼を取り戻すのかは、まだまだわからないことばかりだ。

支援団体や芸能人が「彼の謝罪は形だけ」と非難しているようだ。
私は動画を見ていないので、そう感じるような素振りがあったということなのだろうか?

2度目の謝罪では、内容がまとめられていたものがまだなかったので、途中からだったが 動画を見てみた。
彼は泣きながら、自身の母親のことや イジメられていた過去について話していた。
コメント欄では、彼に影響を受けて 彼の思想を肯定していた人が、謝罪を込めて 寄付したいと思い 投げ銭をしていた。
ということは、やはり彼に影響された人はいたわけだ。
投げ銭をした人は 考えを改めたから、良い方なのだろう。

おそらく、急に考えを改めたメンタリストDaiGoに、怒りを感じる人もいるのではないだろうか。
「裏切られた!」と思う人もいるのではないだろうか。
そうやって、宗教はいろんな宗派に分かれてきたのだから。
一時期有名になった、過激派組織ISILだってそうだ。
イスラム教のなかの、過激派として、分離されたものだ。
そしてやはりISILと同様に、こういった人たちが、殺人を犯すのだ。

根強く劣等感があって、今の生活に不満がある人は、誰かのせいにすることによって なんとか心の安定を保つことができている。
ドイツ ナチス政権のように「あいつらは金食い虫だ。そのせいで自分にお金が回らないんだ」と考える。
その怒りの矛先がどこに向かうかはわからない。
自身の家族に向かえばまだ良いが、他人に向いた時、特に弱者に向いた時……テロが起きる。
秋葉原の事件しかり、福祉施設の事件しかり。

きっと、もしもそういった事件が起きた時、メンタリストDaiGoは 自身の罪の重さに 打ちひしがれることになるだろう。
本当に反省したのであれば、なおさらだ。

私は彼を擁護するわけではない。
しかし、烈火のごとく責め続けても、あまり意味がないように思う。
それは、結局彼を排除することになり、新たな犠牲を生むことになりかねない。
私たちは、彼の人格を否定するのではなく、行動だけを叱ればいいのだ。
(人格を否定したら、それはモラハラなので、自身の心を見直した方がいいと思う)
そして、見守るのだ。
彼がどのように考えを変えていくのか……。
ホームレスは猫より価値が低いのか?』の記事に書いたように、劣等感が強いならば、彼にもカウンセラーが必要だろう。
責めるのではなく、その劣等感を拭ってあげることは、できないのだろうか?

彼が過去に動画で話していた論文の内容を引用して、彼の矛盾をついている人がいた。
最初読んだとき、私は思わず笑ってしまった。
「自分で自分のことを否定しちゃってたのか」と。
きっと、多くの人も同じことを思ったと思う。
しかし、よくよく考えてみれば、人は矛盾する生き物だ。
それは、意識してしまうと、生きづらくなってしまう矛盾だ。
だから、多くの人は意識せずに生きている。

私は、それなりに交友関係は広かったが、多くの人が矛盾を抱えていたことに気づいていた。
「この前Aさんの悪口言ってたのに、その悪口の内容と同じことをしてるじゃん」ということが、多々あった。
悪口はわかりやすい例だが、些細なことでも、人間はいろいろ矛盾してる。
私自身もだ。
「約束破りは嫌い」と言いながら、「やる」と宣言したことが長続きしない。
やると言ったのにやらないのは、約束破りだろう。
極力誠実に生きようと努力していても、矛盾は発生する。
みんな、自分のことを棚にあげて生きているのだ。

少し前に、ニュース記事で読んだ。
パナソニックの創業者である松下幸之助は、たくさんの良い言葉を残している。
しかし、実は彼自身は、すごく良い人だったわけではないという。
むしろ、人を傷つけることも多かったようだ。
それでも、彼は人の心に残る言葉をたくさん言った。
なぜなのか?
それは、良い言葉を発することで、彼自身を戒めていたのではないか……と、その記事には書いてあった。
つまり、自分が悪いことをしてしまうのがわかっていたから、あえて良い言葉を口にすることで、自制しようとしていたのではないか?ということだ。
私はその見解にすごく納得した。

「普通は」とか「常識的に考えて」とよく口にする人がいる。
私は、普通や常識は、その人の理想だと思ってる。
つまり、「普通はこうするでしょ」と話す裏には「こうするのが理想だ」という考えが隠れているということだ。
「○○すべき」というのも同じだ。
「○○するのが理想だ」と考えているのだ。

最近は、いろんな心理学者や精神科医が「生きづらさをなくすためには、○○すべきという思考はやめましょう」と言っている。
なぜ「すべき思考(○○すべきと考えること)」が、生きづらさを生む原因になるのか?
結局、「すべき」と考えてやることは、不自然だからだ。
本当にその人がやりたいと思っているなら「○○しなきゃ!」と思わず、もう既に行動に移しているだろう。
「○○しなきゃ!(○○すべき)」があまりに増えすぎると、がんじがらめになって、自分の本当にしたいことができなくなってしまう。
そして生きづらくなる。

だから、普通や常識は、あくまで理想に過ぎないのだ。
どんなに良いことを言っていたとしても、その言葉通り行動に移せないのは、仕方ないことだと理解できる。
とは言え「仕方ないから、許す」となってはいけないところが難しいところだ。
仕方ないにしても、許していいことと 許してはいけないことがある。
だからこそ、私たちは冷静になって、行動に対してのみ良し悪しを判断「すべき」なのではないだろうか?

メンタリストDaiGoの矛盾をついている記事を読んで、笑ってしまった自分を 私は恥じた。
矛盾なんて、私も抱えてる。
矛盾を指摘するのは悪いことではないが、それを嘲笑してはいけないと思った。

どうでもいい話だが、『ホームレスは猫より価値が低いのか?』の記事で書いたことを、2度目の謝罪で、メンタリストDaiGoがまるっと反省として話していたことが嬉しかった。
彼の弟の謝罪のツイートに、リプする形で、この記事を載せた。
だから「もしかしたら読んでくれたのかな!?」なんて、アホな想像をしてる私がいる。
「誰かに気持ちが届く」って、嬉しい。
まあでも、これだけたくさんの人が批判してたら、私と同じようなことを書いてる人はたくさんいるんだろうな……ということもわかってる。
でも「もしかしたら」という嬉しさを打ち消すことができない。
我ながら、「どんだけ脳内お花畑なんだよ」とつっこみたくなる。

メンタリストDaiGoに学んだことは多くある。
私が嬉しく感じたのは、彼を嫌いにならずにすんだからっていうのも大きいと思う。
たくさんの学びをくれた彼を、嫌いになりたくはなかった。
最近彼の動画を見ていなかったのは、彼の発言にトゲが出ていたからだった。
しばらく彼の動画を見ることはないだろうが、きっと、彼はイジメから這い上がったのと同じように、今回の件でも成長するのだろう。

ところで、ホリエモンが「すごい頑張って炎上させてる」と発言したという記事が載っていた。
私はこの人があまり好きじゃないのだけど、「お、たまにはまともなこと言うじゃん」と思った。
つまり私は、ホリエモンが「メンタリストDaiGoが、頑張って炎上商法をしている」と言っているのだと勘違いした。
しかし記事の内容を見てみて、炎上させてる人を非難していたことがわかった。
「ああ、やっぱり 私はこの人が好きじゃないな」と改めて思った。
メンタリストDaiGoが泣きながら謝罪したことについて、考えを改めたことについて、ホリエモンはなんて言うんだろうな。
……興味はないか。

私はTwitterをしばらくやめて、心がかなり安定していた。
ホリエモンしかり、Twitterでは嫌なことがたくさん目に入るからだ。(ホリエモンがよく炎上してることは知ってる)
Twitterに救われたこともたくさんあったから、Twitterを否定したいわけではない。
しかし、ある程度心が安定したら、距離を取るのが得策だと思ってる。
今回の件で、久しぶりにたくさんTwitterを見た。
やっぱり、少し心が荒んだ。

またそろそろ、距離を取ろう。

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