人間関係はサービス業と同じである

先日、ザ・ノンフィクションという番組を見ていた。
婚活する女性のドキュメンタリーだった。
(正確には、婚活の仲人をしている人のドキュメンタリーだけど)
高額な料金を支払ってまで結婚したい気持ちはなんなのか……?
なぜこんなにも素敵な笑顔を見せる女性が結婚できないのか……?
いろんなことが疑問に思えて、たまたま流れていただけなのに、いつの間にか夢中になって番組を見ていた。

1つわかったことは、圧倒的なコミュニケーション力の低さだ。
私はよく、質問掲示板(ヤフー知恵袋や教えてgoo!などのサイト)で、暇つぶしがてら質問に答えているのだけど、そこでもコミュニケーションの悩みは尽きない。
「なぜ自分はモテないのか?顔が不細工だからか?魅力がないからなのか?」
「恋人の気持ちがわからなくて不安だ」
などなど。

この記事を読んでくれている少数派の方に、ものすごくイラッとさせることを言おう。
ただでさえ読んでくれている人が少ないというのに、この一言を読まれた瞬間に、即画面を閉じられてしまうかもしれないが、言ってみる。

私はそれなりにモテてきた。
性別関係なく、だ。

けれども、顔が特別美人なわけではない。
むしろ、貶されたこともある。
では、なぜモテたのか?
それは、相手にサービスしまくっているからだ。
嘘はつかない。
けれど、サービスは怠らない。

それを徹底してきた。

「かわいいな」と思ったら「かわいいね」と言う。
「かっこいいな」と思ったら「かっこいいね」と言う。
「服が似合ってるな」と思ったら「服、似合ってるね」と言うし
「髪型がオシャレだな」と思ったら「髪型、オシャレだね」って言う。
なにか愚痴られたら「それは大変だったね」と労り
努力が報われないと嘆くなら「すごく頑張ったのにね」と一緒に嘆く。
当然だけど、思わなかったら言わない。
なんでもかんでも言えばいいってわけじゃないからだ。

これはサービス業と一緒だ。
たとえば自分が服屋の店員だったとして、お客さんが試着する場面だったとする。
似合ってないのに「似合ってますね」なんて言ったら、あとでお客さんが嫌な気持ちになってしまうだろう。
だから似合わないと思ったら、当然褒めない。
とは言え、「似合わないですよ」なんて言ったら相手が傷つくのは目に見えてわかる。
じゃあどうすれば相手が傷つかずにすむだろう?
どうすれば、より相手が喜ぶことを言えるだろう?
「こちらの服のほうが、お客様にはもっと似合うかもしれません」と、別の服を勧めるのはどうだろうか?
自分が思ったとおり似合っていたら、目一杯褒める。
お客さんが、その商品を買ってくれたら、少し大げさなくらい喜び「ありがとうございます!」と言う。
これはできなくてもいいけれど、最後に「この後もお買い物、楽しんでくださいね」とか言えたらベストだろう。

コミュニケーションが下手な人は、この例のどこかでつまずいている。
・そもそも話しかけられない
・似合ってないと思うのに、つい「似合ってますね」と言ってしまう(相手の顔色ばかりうかがってしまう)
・代替案が出せない
・喜びを表現したり、お礼を言ったりできない

ザ・ノンフィクションに出ていた女性も、まさにこれに当てはまっていた。
おそらく、そもそも話しかけられないタイプなのだろうが、婚活の場では強制的に話さなければならないので、これは省く。
しかし他の3つすべて、彼女はできていなかった。
仲人にアドバイスを受けて、彼女なりには頑張っていたのかもしれないが、圧倒的に足りていなかった。
相手の男性が荷物を持ってくれたとき、「いいんですか?」とは聞いていたけれど、「ありがとうございます」を言わなかったのがすごく気になった。

嫌だなと思うことをされても何も言えず、我慢して我慢して我慢して、最後に「やっぱり無理!」と感情を爆発させる。
私も昔は同じだったから言えない気持ちもすごくわかるけれど、そこは考え方を切り替えて勇気を出すしかない。
「我慢しまくって、最終的に感情を爆発させていたら、結局自分も嫌な思いをするし、相手にも嫌な思いをさせるだけだ。相手のためにも、思ったことはきちんとその場で言わなければいけない」
そう考えて、勇気を出して気持ちを言うようにしたら、良い事があった。
「やめてほしい」と言ったことを、ちゃんと守ろうとしてくれる人と、まったく守ってくれない人が現れるのだ。
そこで、自分の関わるべき相手を見極められると知ったときは感動した。
「やめてほしい」と言ったことを、ちゃんと守ろうとしてくれる人とは、やっぱり一緒にいて居心地が良い。
数年間付き合っても、イライラすることなく、関係が安定して続く。
これは勇気を出す甲斐があるってもんだ。

そして一番厄介なのは、代替案を出せないこと。
これは、すでに恋人関係を結べている人によくある。
嫌だなと思うことをされたとき、一応「やめてほしい」とは言えるんだけど、じゃあ「具体的に相手にどうしてほしいのか?」までは言えていない。
すると相手は、やめてほしいことはわかっても、どうすればいいのかわからなくなる。
それで相手なりに工夫してみても、もし本人の理想と違った場合「なんでやめてくれないの!」とイライラすることになる。
相手は相手なりに工夫したつもりだから、相手も怒られてイライラする。
そして大喧嘩だ。
だからこそ、「やめてほしいこと」と「具体的にどうしてほしいのか」はセットで言わなければならない。

さらに、具体的にどうしてほしいのか言えたとしても、そこに相手の意思が伴っていないことに気づけないことも問題だ。
たとえば旦那さんが靴下を脱ぎっぱなしにするのが嫌だと思ったとき「靴下ぬぎっぱなしにしないで、脱いだら洗濯機に入れてよ」と言ったとする。
これはやめてほしいことも言えてるし、代替案も出せてる。
けれども、そこに旦那さんの意思はまったく介入していない。
旦那さんは、なぜ脱ぎっぱなしにするのか?
洗濯機まで行くのが面倒だからかもしれない。
だとすれば、洗濯機がお風呂場の横にある家庭だとして「お風呂に行くときでいいから、靴下持ってってね」と言えばいいかもしれない。

もちろんこの場合、旦那さんにも非がある。
奥さんに「靴下ぬぎっぱなしにしないで、脱いだら洗濯機に入れてよ」と言われた時点で、洗濯機に行くのが面倒だと感じたなら、自分から「わざわざ持っていくのはめんどくさいから、お風呂入るときに持ってくよ」と言ったほうがいい。
これも、奥さんの代替案に対する代替案である。
そうしてお互いの考えを共有していくことで、信頼関係は築かれていくのだと思う。
「めんどくさい」だとトゲがあるようなら、「仕事で疲れてて、あんまり動きたくないから」と言い換えてもいいだろう。
そして奥さんは、旦那さんからそう言われたなら、絶対に自分で洗濯機に靴下を入れてはいけない。
「やる」と言ったのに相手にやられたら、信用されてないと感じるからだ。

これを常に完璧にできる人はいないだろう。
仕事が忙しいときや眠いときなど、当然できないときはある。
けれども、普段からこういったことを意識できてるかどうかで、後々大きな差が生まれるのだと思う。
ほとんどの人は、私みたいに分析はしていないだろう。
コミュニケーション力のある大半の人は「なんとなく」で、これらのことが出来てしまう。
ただ「相手を喜ばせられる言葉はなんだろう?」とは考えていると思う。
コミュニケーション力が最初から備わっている人は、自然と「相手を喜ばすためにはどうしたらいいか?」を考えられているのだ。

おそらくコミュニケーションが下手くそな人は、相手を喜ばすことではなく、「自分が傷つかないこと」や「相手が傷つかないこと」を真っ先に考えてしまうのではないだろうか。
傷つかないように、傷つけないように……そういう風に考えていたら、当然緊張して話せなくなるし、から回ってお礼も言えないし、素直に喜べないし、冷静に自分が何に対して嫌な気持ちになるかも考えられないだろう。
その場で「嫌な気持ちになるから○○しないでほしい、××してほしい」なんて、言えるはずもない。
後になって、一人になって、冷静になったとき「なんだあいつ!」となって、勝手に相手を遠ざける。
あるいは、自分のことを嫌いになって「こんな自分なんて好かれなくて当然だ」と思い込み、勝手に離れていく。
(私の経験談)
モテたと言っても、今のパートナー以外とは、最長半年しかもったことがなかった。
結局私も、昔は不完全だったのだ。
けれども、パートナーとは上記のことが出来ている。
だからこそ5年も一緒にいられているのだと思う。

みんな、サービスをおろそかにし過ぎだと思う。
「めんどくさそう」と思うだろう。
めんどくさいんだよ、人間なんて。

それが当然なんだよ、考えられる脳みそがついてるんだからさ。
その「めんどくさい」を避けたいなら、一人で生きていけばいい。
誰も止めはしない。
もしかしたら親は心配するかもしれないけど、なんでも機械がやってくれるこの現代において、一人で生きられないなんてことはまったくない。
適当に恋人を作って、数年で別れて、また新しい恋人作って、また別れて……そうやって暮らすことだって悪くない。
あるいは趣味に没頭してもいいだろうし、友達と楽しくワイワイしてれば良いかもしれない。

なぜ結婚したいのか?
なぜ、特定の人と関係を結びたいのか?
その答えが出たとき、進むべき道が定まるはずだ。

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