消した電気をつけるとき
なんの達成感もないまま1日を過ごすと、夜眠れなくなるのは私だけだろうか。
1度消した電気をつけ、また消し、そしてまたつける……の、繰り返し。
夜が明けていく。
誰の役にも立っていない。
有意義に過ごせたわけでもない。
ただ転がってるだけの私には、今、なんの価値もないように思える。
…
よく、世の中では貧困問題に関して「努力もせずに不公平だなんて言うな!」とか「努力できる人は、努力できる環境に恵まれてるだけだ!」とか言い争っている。
自己責任なのか、そうじゃないのか……っていう問題だよね。
私は、経済的には恵まれていた方なので、そこんとこはよくわからない。
ただ、経済的に恵まれていたから努力できたか?と聞かれたら「努力はできてこなかった」と正直に答えよう。
正確に言えば「自分が賢くなるための努力は、できてこなかった」
「甘え」と言われればそれまでなのだけど、なにしろ毒親育ちなので、まず" 生きること "そのものに努力しなければならなかった。
生きるのに必死だったから、その他の努力ができなかったんだよね。
努力しようとする気持ちはあったんだよ。
本屋さん行って参考書漁ったり、場所を変えて勉強しようと意気込んでみたり。
それでも、できなかった。
まあ、人によっては「何をバカなことを」と言われるんだろう。
でもね、他人にとやかく言われたって" そのときはそうだった "としか答えられないんだ。
どうしようもなかったんだよ。
「あなたにはできたかもね。でも私にはできなかったんだよ」
そう言って、笑ってあげられる。
…
どちらも正しいし、どちらも違うんだと思うんだよ。
人にはそれぞれ得意、不得意があるわけだし。
そんなことを言ったら、世の中の問題すべてに当てはまるよね。
どちらも正しいし、どちらも違う。
でも、なにかを変えることで救える人がいるのなら、救った方がいいんじゃないかとは思うよ。
…
私は、インターネットのある時代に生まれてこれた。
これが救いだった。
インターネットがなかったら、私は犯罪者になっていたと 本気で思うよ。
行き場のないストレス。
原因不明の気だるさ。
理不尽な社会への怨み辛み。
「君のストレスの原因は、親だよ」
「理由もなく気だるいのは、感情を上手く表に出せないからだ」
「社会は理不尽かもしれないけど、自分の周りだけなら少しずつ変えられる」
そういうのを全部教えてくれたのは、インターネットだったよ。
だから、運が良かったと思ってる。
この時代に生まれてこれて、本当によかった。
例えば、親との関係で苦しんでる人がいたとして、その人が40代・50代の方だったら、私は胸が苦しくなる。
情報量の少ない時代に、よくここまで生きてきたと称賛したくなる。
…
私がインターネットのある時代に生まれてこれたのは、たまたま。
膨大な情報から" 虐待 "や" 毒親 "というワードを見つけ出せたのも、たまたまなのかもしれない。
そして" 虐待 "や" 毒親 "が、自分に関係していると気づけたのも、たまたま。
だから、やっぱり" 努力できる環境 "ってのはあるんだと思う。
努力しようにも、努力の仕方がわからなければ、意味がないからね。
気づけなければ、何をがんばればいいのかもわからないしね。
そこから「さらに知識を深めていって、問題を解決しよう」と思えるかどうかが、きっと鍵なんだろうなと思う。
ここでいう「解決」は、親と向き合うか逃げるか決断するということ。
ここで決断(解決)ができないと「努力不足」と捉えられてしまっても、仕方ないんじゃないかな?と思えてくる。
優柔不断に、曖昧に、自分に悪影響を及ぼすことが明白なのに、ズルズルと親元にいるのはおかしくない?と言われてしまうのは理解できる。
ただ この例だと、本人も努力してないことを自覚している場合が多いから、摩擦は起きにくいんだよね。
「努力不足だ!」と言われて「あ、はい。スミマセン」ってなることが多いんだよね。
ああ、『努力の仕方がわからない人』は「努力不足だ!」と言われて怒ってしまうかもしれないけどね。
自分なりに努力してるのに、なぜか上手くいかない。
そんな苛立ちを、日々感じてるだろうからね。
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どうしていつまでも摩擦がなくならないのか?
例えば『生きる努力をしてる人』に向かって「お前は賢くなる努力をしてない!だから貧困なのはお前の責任だ!」と言ってしまう人がいるからなんだよね。
そもそも、その人が今 努力してるフィールドが違うんよね。
まず、生きる努力しないと 賢くなる努力もできないのよ。
生きてないと、勉強できないでしょ?
生きる努力をしなくて済むようになって、ようやく賢くなる努力を始められる。
最初から 生きる努力をしなくてよかった人たちは、数ステップ先に進んじゃってるのよ。
だから『生きる努力をしてる人』からすれば、かなり上から目線にモノを言われてるように感じる。
「努力しとるわ!!」と逆ギレしてしまう。
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貧困ってね、心の余裕も失われていくのよ。
子供じゃなくてね、親の心の余裕なのよ。
親に心の余裕がなければ、虐待に発展する可能性が高いのね。
殴る蹴るだけじゃなくて、子供の人格否定だったりネグレクトも当然含まれる。
そうなると、もう、生きるのに必死なのよ。
そのなかで、特異的に「ガンガン知識をつけて、親を見返してやる」って思える人は、成功するんだろう。
でも本来、鬱病で" 思うように体を動かせなくなる "のと同じように、虐待されると すべてのエネルギーを親にもってかれるんだよね。
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賢くなるための努力って、けっこう遠いステップなんだよね。
それに、生きるための努力に集中してきたがために、基礎的なことすらも頭に入ってないことがある。
下手したら、足し算・引き算・かけ算・割り算から勉強しなきゃいけないかもしれない。
そうすると、貧困から抜け出すための知識を得るのって、ものすごく高いハードルに見えてしまう。
散々困難を切り抜けてきて、ヘトヘトの状態で、その高いハードル乗り越えられるか?って言ったら、必ずしも全員がYESとはならないだろう。
「もう疲れたよ……」って沈んじゃう人もいるだろう。
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「努力、努力」って、みんな そこそこ努力してるよ。
自分の人生だもん。
自分しか責任とってくれないんだからさ。
ヘラヘラしてるように見えても、何も考えてなさそうに見えても、どこかで努力してるよ。
24時間365日、監視したわけじゃないでしょう。
努力の仕方は間違ってるかもしれない。
人よりも全然努力できてないのかもしれない。
でもいーじゃんね、努力してるんだから。
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他人が他人の人生に、いちいち ゴチャゴチャ うるさいなあ、と思う。
結局私は、こんな風に語っても、他人のことはどーーーでもいいのだ。
私個人としては" 生きる努力 "を、他人より億万倍がんばったと 勝手に思っているから、あとは ゆるーく……ね。
生きる努力がんばったから、ゆるーく賢くなるための努力も始めた。
すっごくゆるいけど、それでいいと思ってる。
こうして今日もはじまる、自堕落な1日。
サポートに興味をもっていただき、ありがとうございます。いつか 私の文書が、あなたの手元に残る形になって あなたをそっと支えられればと思います。