消した電気をつけるとき

なんの達成感もないまま1日を過ごすと、夜眠れなくなるのは私だけだろうか。
1度消した電気をつけ、また消し、そしてまたつける……の、繰り返し。
夜が明けていく。

誰の役にも立っていない。
有意義に過ごせたわけでもない。
ただ転がってるだけの私には、今、なんの価値もないように思える。

よく、世の中では貧困問題に関して「努力もせずに不公平だなんて言うな!」とか「努力できる人は、努力できる環境に恵まれてるだけだ!」とか言い争っている。
自己責任なのか、そうじゃないのか……っていう問題だよね。

私は、経済的には恵まれていた方なので、そこんとこはよくわからない。
ただ、経済的に恵まれていたから努力できたか?と聞かれたら「努力はできてこなかった」と正直に答えよう。
正確に言えば「自分が賢くなるための努力は、できてこなかった」

「甘え」と言われればそれまでなのだけど、なにしろ毒親育ちなので、まず" 生きること "そのものに努力しなければならなかった。
生きるのに必死だったから、その他の努力ができなかったんだよね。

努力しようとする気持ちはあったんだよ。
本屋さん行って参考書漁ったり、場所を変えて勉強しようと意気込んでみたり。
それでも、できなかった。

まあ、人によっては「何をバカなことを」と言われるんだろう。

でもね、他人にとやかく言われたって" そのときはそうだった "としか答えられないんだ。
どうしようもなかったんだよ。

「あなたにはできたかもね。でも私にはできなかったんだよ」

そう言って、笑ってあげられる。

どちらも正しいし、どちらも違うんだと思うんだよ。
人にはそれぞれ得意、不得意があるわけだし。

そんなことを言ったら、世の中の問題すべてに当てはまるよね。
どちらも正しいし、どちらも違う。

でも、なにかを変えることで救える人がいるのなら、救った方がいいんじゃないかとは思うよ。

私は、インターネットのある時代に生まれてこれた。
これが救いだった。
インターネットがなかったら、私は犯罪者になっていたと 本気で思うよ。

行き場のないストレス。
原因不明の気だるさ。
理不尽な社会への怨み辛み。

「君のストレスの原因は、親だよ」
「理由もなく気だるいのは、感情を上手く表に出せないからだ」
「社会は理不尽かもしれないけど、自分の周りだけなら少しずつ変えられる」

そういうのを全部教えてくれたのは、インターネットだったよ。
だから、運が良かったと思ってる。
この時代に生まれてこれて、本当によかった。

例えば、親との関係で苦しんでる人がいたとして、その人が40代・50代の方だったら、私は胸が苦しくなる。
情報量の少ない時代に、よくここまで生きてきたと称賛したくなる。

私がインターネットのある時代に生まれてこれたのは、たまたま。
膨大な情報から" 虐待 "や" 毒親 "というワードを見つけ出せたのも、たまたまなのかもしれない。
そして" 虐待 "や" 毒親 "が、自分に関係していると気づけたのも、たまたま。

だから、やっぱり" 努力できる環境 "ってのはあるんだと思う。
努力しようにも、努力の仕方がわからなければ、意味がないからね。
気づけなければ、何をがんばればいいのかもわからないしね。

そこから「さらに知識を深めていって、問題を解決しよう」と思えるかどうかが、きっと鍵なんだろうなと思う。

ここでいう「解決」は、親と向き合うか逃げるか決断するということ。

ここで決断(解決)ができないと「努力不足」と捉えられてしまっても、仕方ないんじゃないかな?と思えてくる。
優柔不断に、曖昧に、自分に悪影響を及ぼすことが明白なのに、ズルズルと親元にいるのはおかしくない?と言われてしまうのは理解できる。

ただ この例だと、本人も努力してないことを自覚している場合が多いから、摩擦は起きにくいんだよね。
「努力不足だ!」と言われて「あ、はい。スミマセン」ってなることが多いんだよね。

ああ、『努力の仕方がわからない人』は「努力不足だ!」と言われて怒ってしまうかもしれないけどね。
自分なりに努力してるのに、なぜか上手くいかない。
そんな苛立ちを、日々感じてるだろうからね。

どうしていつまでも摩擦がなくならないのか?

例えば『生きる努力をしてる人』に向かって「お前は賢くなる努力をしてない!だから貧困なのはお前の責任だ!」と言ってしまう人がいるからなんだよね。

そもそも、その人が今 努力してるフィールドが違うんよね。

まず、生きる努力しないと 賢くなる努力もできないのよ。
生きてないと、勉強できないでしょ?

生きる努力をしなくて済むようになって、ようやく賢くなる努力を始められる。
最初から 生きる努力をしなくてよかった人たちは、数ステップ先に進んじゃってるのよ。

だから『生きる努力をしてる人』からすれば、かなり上から目線にモノを言われてるように感じる。
「努力しとるわ!!」と逆ギレしてしまう。

貧困ってね、心の余裕も失われていくのよ。
子供じゃなくてね、親の心の余裕なのよ。
親に心の余裕がなければ、虐待に発展する可能性が高いのね。

殴る蹴るだけじゃなくて、子供の人格否定だったりネグレクトも当然含まれる。
そうなると、もう、生きるのに必死なのよ。

そのなかで、特異的に「ガンガン知識をつけて、親を見返してやる」って思える人は、成功するんだろう。
でも本来、鬱病で" 思うように体を動かせなくなる "のと同じように、虐待されると すべてのエネルギーを親にもってかれるんだよね。

賢くなるための努力って、けっこう遠いステップなんだよね。

それに、生きるための努力に集中してきたがために、基礎的なことすらも頭に入ってないことがある。
下手したら、足し算・引き算・かけ算・割り算から勉強しなきゃいけないかもしれない。

そうすると、貧困から抜け出すための知識を得るのって、ものすごく高いハードルに見えてしまう。

散々困難を切り抜けてきて、ヘトヘトの状態で、その高いハードル乗り越えられるか?って言ったら、必ずしも全員がYESとはならないだろう。

「もう疲れたよ……」って沈んじゃう人もいるだろう。

「努力、努力」って、みんな そこそこ努力してるよ。
自分の人生だもん。
自分しか責任とってくれないんだからさ。

ヘラヘラしてるように見えても、何も考えてなさそうに見えても、どこかで努力してるよ。
24時間365日、監視したわけじゃないでしょう。

努力の仕方は間違ってるかもしれない。
人よりも全然努力できてないのかもしれない。
でもいーじゃんね、努力してるんだから。

他人が他人の人生に、いちいち ゴチャゴチャ うるさいなあ、と思う。

結局私は、こんな風に語っても、他人のことはどーーーでもいいのだ。
私個人としては" 生きる努力 "を、他人より億万倍がんばったと 勝手に思っているから、あとは ゆるーく……ね。

生きる努力がんばったから、ゆるーく賢くなるための努力も始めた。
すっごくゆるいけど、それでいいと思ってる。

こうして今日もはじまる、自堕落な1日。

サポートに興味をもっていただき、ありがとうございます。いつか 私の文書が、あなたの手元に残る形になって あなたをそっと支えられればと思います。