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それぞれのnoteにそれぞれの最善の型、という不思議。

多くの人のnoteを拝見していて思うのだ。

書かれている内容もさることながら、「表現のフォーマット」とでもいうべきものを、noteを書く皆さんがそれぞれに備えていて、それが被っていないって、不思議なことだな、と。


noteを始める時に、私は何日も逡巡したが、それは私だけではないだろう。

そのようにして恐る恐る始めながらも、不思議と最初の頃から、各自が何かしら自分なりの構成やフォーマットというものを備えていて、それに従って、ひとつのnoteを書きあげる。

いわゆるブログとnoteが違うところは、その辺りなのではないかと思う。

ブログだと、ただ剥きだしのコンテンツのみでの好悪の判定になってしまうように感じるが、noteだと、骨格だか構成だかフォーマットだか、閲覧者をお招きする部屋の佇まいのようなものが、コンテンツと同等に問われるように思う。


従来の意味のいわゆる「作家の文体」というものとは別に、noteには「note1ページ内に於ける文体」のようなものが生じる。

目次を立てる立てないとか、写真を多用するしないとか、1ページ内のボリュームの多寡だとかに限らず、その人その人のnote的文体が生じるように見受ける。


それぞれの人が、おそらくお手本もなく初めて、回を重ねてもさほど重ねなくても、不思議と誰にも似ていないnoteが生まれていく。


その独自性のある「表現のフォーマット」自体が、内容と同じくらいに、面白いなぁ、と私はnoteに触れるたびにいつも思うのだ。




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