少し前の「ほぼ日刊イトイ新聞」の糸井重里さんのコラムに、糸井さんが若い頃から「じぶんを飽きさせない」ように注意し続けている、ということが書かれていた。 このコラムを読んで、私は自分が生活のルーティーンに飽き飽きしているのだと気づいた。 加齢による衰えや体調不良という観点からは、ここ数か月の、事にあたっての脆弱さの原因を探っていたが、「飽きる」という字面をみて直ちに(ああ、これが原因だ)と了解してしまった。 「飽き」は鬱や絶望の種だ。 キルケゴールの「死に至る病」だ。
毎日note更新。しくじった。 気がついたら、0時を回って11日になっていた。 要は悪慣れってヤツだろう。 noteに対する緊張感が、このところ薄れているとは感じていた。 スポーツだったら怪我しちゃうタイミングだ。 1/22から10/9までの連続更新。 まあ上出来だろう。
季節の変わり目に起きやすい頭痛やめまい等を、最近では「天気痛」と呼ぶらしい。 そのように、名もなき症状だったものに名が付いたり、知る人ぞ知る病名の認知率があがることはいいことだと思う。 若い頃、春先に謎の鼻づまりに酷く悩まされたが、それは後の国民病「花粉症」だった。花粉症というワードで共通認識されるようになる事が私はありがたかった。 「発達障害」とか「HSP」とか、もちろん軽々に思いつきで使っていい言葉ではないが、しかし、そのようなワードが流布し認知されることは、多くの
私のなかでは今日から秋。 家着が、タンクトップと短パンでは寒いと感じるようになったから。 大雨の甚大な被害の出た長梅雨の7月。 一転、暑すぎて蝉も鳴き止む酷暑の8月。 笑うしかない残暑の9月。 灰色の薄曇りが続く10月、その8日。本日より秋。 東京は昨日からひんやりした秋雨。
◎日本の労働生産性はOECD加盟36カ国中21位。陽気でバカンス大好きなイタリアやスペインよりだいぶ下。 ◎みずほ銀行が週休三日、或いは四日制を導入。 ◎種子島に鉄砲伝来後、数十年で、ヨーロッパ中の数を上回る火縄銃を日本一国で生産、所有。 以上、今日知って驚いた三大噺。
植物が光合成をして酸素を出している事を、人はいつから知ったのか。 それを知りたくて検索したが見つけられなかった。 ネットさえあれば何でも労せず調べられると言われるが、意外と答えが見つけられない事もある。 適切なキーワード設定が、私には意外と難しい。
罹る人が減ったわけではないが、コロナ禍のマックスがどの程度のものか見当がつくようになったらしく、あれこれ規制が緩和され始めた。 人の動きを加速させるような施策もうたれ、秋風に乗って野に町に、人出も増えている。 人類は新型コロナとの春を経験し、夏を経験した。そして、北半球には秋が到来した。 気温が下がり空気が乾燥する季節に、改めて何が起きるのか。 「本日の東京都の新規の新型コロナ陽性者数は200人です」と言ったアナウンスの意味するところが、私には曖昧になってきた。 その
復調した犬と1時間以上歩けた。 勝鬨橋から夕陽を背負った東京タワーを臨み 勝どきの路傍で、毅然として生える一本のとうもろこしに胸を打たれた。 意外とそこここに咲いているけど、見るたび妖しさに見惚れる彼岸花を愛でて、 香りはすれども姿は見えず、という金木犀を見つけて、いい散歩だったと帰宅した。 犬は疲れても猫は虎視眈々。 出歩いて嬉しく、帰宅して楽しい、どこにでもあるような素晴らしい日曜日。
本日、山梨県甲府市に伺って日帰りした。 葡萄の町、ワインの町だとは聞いていたが、 それはもう集中戦略の見本のような町だと思った。 甲府駅構内で早速マスカットが売っていて、生ワインなんてものも並んでおり、駅前を少し外れるともうそこここに葡萄の木々が丹精されていて、葡萄と共にある町なんだな、と嫌でも印象付く。 戦略家たる信玄公の今に至る影響か、コンセプトが明快で経営資源が集中投下されていて、それは旅行者にはありがたいものだと改めて思った。 それと駅前で食べたホウトウが本当
水泳選手が醜聞で、要はイメージを損なったとして活躍の場を奪われるのを見て、自分に置き換えて考えてみた。 私は周囲からどんなイメージを持たれ、何を損なったらあれこれを根こそぎにされるだろう。 意外とこれが、見当もつかない。他人が私に抱くイメージがわからない。 人からの印象を気にしているようで、真剣には自問してこなかったんだなと思った。
日本人女性の4分の1が70歳以上に。そして高齢者と定義される65歳に、昭和30年生まれの方達が到達した。 昭和の記憶を基にした老人観が私には根強く残っているが、老人、という概念も更新し続ける必要がある。 昭和の初老・磯野浪平氏54歳より令和の阿部寛氏56歳の方が高齢なのだ。
園児・児童のスポーツ教室で、男子女子がはっきり違うのは、受講態度だ。 小学校低学年でその違いが明瞭になる。 女子は基本、生真面目で優しい。男子は悪ふざけと悪ノリが止まらない子が多い。 大人達に叱られっ放しだった悪ガキ時代を思い出すと、男子を注意する自分に苦笑いが浮かんでしまう。
ユニセフの「子どもの幸福度調査」で、日本は38カ国中、精神的幸福度は最下位から2番目の37位だった。 「日本の子どもの自己確信のなさと生きることへの意欲の希薄さは、日本の大人のそれの反映」との分析(https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/646597/)を読んで、大人しい子を「いい子」と感じがちな私の感覚も、子供たちの幸福感の低さの一因かと自問した。
スポーツイベントが復調するなか、私が手伝ってきた児童向けスポーツ教室も再開した。 園児クラスと小学1、2年クラス。 半年の休みを挟んで、再受講してくれる子達はみなスラリと大きくなっていた。ウィズコロナ環境にも順応していて、頼もしい。 子供に楽しみを提供できて、それがとても幸せだ。
連れ合いや老親や支援者、ましてや幼子を残して自ら命を絶つ事が、現在の倫理観では断罪される事はきっと本人も承知の上。 残された周りの方はただおいたわしく言葉もない。 けれど個の命の終わり方として、自死は、ただ糾弾されるべきものか。 他の死と同様に、ただ黙してただ悼むべきではないか。
「来る」というホラーを勧められて見たのだが、筋目が曖昧でなぜそれが起こるのかという因果も匂わせだけで、怖くも悲しくもなく、誰にも感情移入もできないまま見切ったのだが、なぜかもう一度見たい。お祓いエンタメとして。 わざわざnoteに書いておこうと思うくらいには変なホラーでした。