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いざ見直して参りましょう。

少し前の「ほぼ日刊イトイ新聞」の糸井重里さんのコラムに、糸井さんが若い頃から「じぶんを飽きさせない」ように注意し続けている、ということが書かれていた。

このコラムを読んで、私は自分が生活のルーティーンに飽き飽きしているのだと気づいた。

加齢による衰えや体調不良という観点からは、ここ数か月の、事にあたっての脆弱さの原因を探っていたが、「飽きる」という字面をみて直ちに(ああ、これが原因だ)と了解してしまった。

「飽き」は鬱や絶望の種だ。
キルケゴールの「死に至る病」だ。
怖いのだ。
思い当たって気づけてよかった。

昨日noteを飛ばしてしまったのも、何か一日中薄暮のなかにいるような不鮮明な週末の過ごし方に起因している。
「飽き」に搦めとられ、抗いもせず無気力の沼に沈んでいたのだ。
ブクブクブク。

飽きていることに慣れきって平気になる。
いや嘘だ。
平気ではない。

「私の人生は私が生きても良くて、その価値や答えも私が探していいのだ」と唱えながら、飽きてしまっている有り様を、いざ見直して参りましょう。

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