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『落研ファイブっ』第一ピリオド(6-1)「ボーナス出たら鰻でしょ」

〈月曜日 部活後 味の芝浜〉

 餌とシャモを引きつれて味の芝浜ののれんをくぐった三元さんげんは、みつるが示すがままに椅子席へと二人を招いた。

〔三〕「そうか、夏のボーナスが出たか」
〔シ〕「俺らの家はボーナスと無縁だもんな」
 仕出し割烹屋かっぽうやの息子の三元さんげんに和装店の四代目のシャモ、そして自らを襲撃してきたマフィアを雇い返した日僑にっきょうの息子である餌が感慨深げにつぶやいていると、がらりと扉が開いた。

〔一〕「さすが社長。こりゃまた通好みな渋い店を良う知ってはりますな」

〔社〕「古びてはいますが味のある店でしょう。こうして先生にお会いできるだなんて。スーパー銭湯に行かずに皇太宮こうたいぐうにお参りに行って正解でした」

 四十代前半ぐらいの身なりの良い中肉中背の男と、三十代手前のいかにも投資で儲かっていそうな身なりの男である。

〔一〕「そら社長ともあろうお方が、庶民がうじゃうじゃのスーパー銭湯なんて似合いまへん」
〔三〕「庶民で悪かったなっ。ってあの嘘くさい関西弁の男は城ケ島の」
 スーパー銭湯好きの三元さんげんがつぶやく。

〔社〕「どうでしょう、うなぎのかば焼きでも」
〔一〕「社長のお口に合う物でしたら、この野田一八のだいっぱち、ウーパールーパーだろうがコモドドラゴンだろうが」

〔社〕「私は淑女しゅくじょの好みはともかくとして、食べ物に関してはゲテモノ食いじゃありませんよ」
 はははと笑った社長は、みつるを呼んでうな重特上を二つに純米大吟醸じゅんまいだいぎんじょうひやを頼む。

〔み〕「うな重はお時間を三十分程いただいておりますが」
〔社〕「構いませんよ。後は特上天ぷら盛り合わせを一つに、天然鮎の塩焼きを二尾、それからすずきの洗いを一つ頂こう」


〔シ〕「二人でいくら食う気だよ。芝浜さんの一皿の量を知らないで頼んでるなこの社長」
〔三〕「だって見た事ない顔だもん」
〔餌〕「現時点で約一万三千円の売上ですね」
 餌が身を低くして告げた。

〔み〕「よろしければ、奥のお座敷が空いておりますがいかがです」
〔社〕「それはありがたい。ささ先生、奥でゆっくりやりましょう」
 料理を並べきれないと判断したみつるが社長に声を掛けると、二人は座敷へと姿を消した。

※※※

〔み〕「混んでるから、あんたたちのまかないは遅くなるよ。歌舞伎揚かぶきあげでも食べて我慢おし。時坊は食べちゃダメだよ」
 純米大吟醸じゅんまいだいぎんじょうとお通しを座敷に運んだみつるが、三元さんげん達のもとに立ち寄った。

〔三〕「さすがはボーナス後だね。日の高い内から大吟醸だいぎんじょう片手に大ごちそうだ」
〔餌〕「あのメニューの中で三元さんが食べても良いのは、スズキの洗いぐらい」
〔三〕「天ぷらが食いてえ」
 三元は肩を落とした。


〔シ〕「運動がてらボーリングとかカラオケに行かねえか」
〔三〕「それ今度やったらお小遣い取り上げるって言われた」
〔シ〕「男友達とでもダメ」
〔三〕「外食禁止令が出てるからダメ」
 三元は恨めしそうに歌舞伎揚げをぼりぼり食べる餌を見る。

〔シ〕「いつまでそんな禁欲生活が続くんだよ。俺たち高三だよ。高三の夏だよ。花火だよ、海だよ、恋だよ。制服着て一緒に下校するラストチャンスだよ」

〔三〕「そうだよな。天河てんが君ですら彼女出来たんだもんな」
 見た目年齢四十歳のピュアボーイの顔を思い浮かべつつ、あいつに出来たなら俺だってと三元さんげんは意気込むも。

〔餌〕「彼女は仁王におうこと獅子舞ししまいことシーサーのエロカナですけどね。本当に割れ鍋にとじぶたって言葉がぴったりです」
 えさがずずっとほうじ茶を飲みながら応じた。

〔シ〕「実際の所、えさってまじでエロカナと何も無かったの」
〔餌〕「あれと付き合えって言われたら全財産投げうって泣いて土下座します」
〔シ〕「そんなに嫌かよ」
〔餌〕「嫌です。天河君は勇者の中の勇者です。リスペクトです」
 餌は、絶対にお断りですと言い切った。


〔シ〕「そういや松田君って昨日新百合ヶ丘に行ったじゃん。あれって女子と会ってたんだよな」
〔三〕「一年に先を越されるとかあっちゃならねえ。全力でつぶすぞ」
 餌だって一年には先を越されたくないだろと、三元は二年生の餌に同意を求めた。

〔餌〕「僕は女体以外は興味が無いんで、先を越されようが構わないです。ただ、あの野獣眼鏡やじゅうめがねがどの面さげて女に会うのか。そこは興味がありますね」

〔シ〕「それが、その子の名前が『藤崎しほり』なんだよ」
〔三〕「偶然ってすげえな」
〔餌〕「千早ちはや婆さんの新芸名とも一緒ですね。偶然とは言え」
〔シ〕「多分偶然じゃねえんだよ。俺が大山おおやまに行った時の話したじゃん」

〔三〕「シャモに一目ぼれしたストーカーお嬢様『藤崎しほり』の正体が白蛇って話しな。夢だろ。だって俺たち金沢八景かなざわはっけいに行く前の日は二階にかいぞめきさんに晩飯をおごってもらって帰ったの」

〔餌〕「そもシャモさんがお嬢様に一目ぼれされるだとか」
〔三〕「あっていい訳が無い」
 三元の語気は強い。

〔シ〕「本当に二人とも覚えてないのかよ。加奈ちゃんは仏像狙いで、餌は加奈ちゃんの護衛ごえい係に嫌気がさして、横須賀に住んでる天河てんが君に帰りの護衛を押し付けて」

〔餌〕「確かに中学の時は護衛についた事もありましたけど」
 そもそも天河てんが君って高校から鶴見だし、と餌が首をひねる。

〔シ〕「横須賀住みのままだったの。それに鵠沼くげぬまに加奈ちゃんが日光女子軍団を引きつれて練習試合を見に来たじゃん。青柳あおやぎ君が張り切って実況して、柿生小OB会に虐殺ぎゃくさつスコアで勝ってさ」

〔三〕「柿生小OB会と戦ったのは事実だよ。でも日光女子軍団って何よ」
〔シ〕「飛島君のお母さんが来てさ、それで」
〔餌〕「それは覚えてますよ」
 えさ三元さんげんが白けた目をシャモに向ける中、シャモはしばらく考え込んだ。


〔シ〕「しほりちゃん関連の記憶だけ操作されてるって事。世界線が移行したから、俺の前から消えたしほりちゃんが松田君の前に現れたんじゃ」
 あまりにシャモが深刻そうに言うので、三元さんげんは思わず噴き出した。

〔三〕「お前の中ではな。元々『藤崎しほり』なる人物とシャモには接点は無かった。そう思っとけよ。そうじゃなけりゃ、もし松田君がその『藤崎しほり』ちゃんと付き合ったとしたら、お前平常心でいられる」

〔餌〕「それに、シャモさんの言う『藤崎しほり』と松田君が会った『藤崎しほり』が同姓同名の別人だって考えるのが普通です」
 餌は呆れたように歌舞伎揚げに手を伸ばした。

〔シ〕「別人じゃないって証拠もないじゃん。俺、ちゃんとしほりちゃんを好きになって、しほりちゃんの真実を知った上で彼女の気持ちに答えたくて。なのにこんなの最低だ。目標通り、高三の夏までに彼女が出来たのに」

〔餌〕「白蛇の化け物かもしれない彼女がね」
 餌は感情の無い顔でぼりっと歌舞伎揚かぶきあげを食べた。

※※※

 ボーナス後のプライムタイムとあって、店は満席になる勢いである。
〔餌〕「帰りましょうか。テーブル満席になっちゃいますよ」
〔三〕「帰らないで。友達と一緒ならちょっとだけ食事制限をゆるめてくれるんだ」
 三元が信楽焼しがらきやきたぬきそのものの目をさらに大きく見開く。
〔シ〕「そんな事言ったってこのままじゃ営業妨害えいぎょうぼうがいになっちまう」
 そう言うなり、シャモと餌は席をさっさと立った。

〔み〕「あれ夕飯は」
〔三〕「混んでるから席開けるって」
〔み〕「悪いね。散らかってるけど二階に上がってて良いよ。その代わり、あんたら変な物見るんじゃないよ」
〔三〕「お客さんの前でやめてよ恥ずかしい」
 みんな通って来た道だよとしたり顔で笑う白髪頭の二人組の微笑みを背に、三人は二階につづく階段を登った。

※※※

〔シ〕「へえっ。こんな感じなんだ。この窓から店の出入りが良く分かるな」
〔三〕「店内モニターもほらここに」 
 三元がモニターを指さすと、仲居なかいさんの姿が見えた。

〔シ〕「あの『お母さん』は何年選手よ」
〔三〕「確か十三年ぐらいになる。物心着いた時にはもうあの感じ」
〔餌〕「とりあえずとっとと宿題終わらせちゃいましょうよ」
 えさはあっと言う間に宿題を終わらせた。

〔三〕「俺がまだ一問しか解いてないってのに」
〔シ〕「世界史だろ。教科書見ながら答え書けば済むじゃん」
〔三〕「俺はマジで勉強向きの頭じゃないんだって。どうせ受験もしないんだから宿題免除にしてくれ」
 本当に店を継ぐんですかと、えさはたずねる。

〔三〕「うん。進路指導の紙だって何も書けねえし、俺が好きな事と言えば落語に演芸に食べる事。よそで雇われて働くのも性に合わないだろうし」

〔餌〕「たしかにこの敷地を商業ビル兼マンションに建て替えて一階を住居兼店舗にすれば、家賃収入で左うちわでしょうしね。何たってここの立地は最高だもん」
 何の気ないえさの一言に、三元さんげんはそれだっと叫んで身を乗り出した。

〔シ〕「地上げ屋が来ても売らずにがんばったって話はどうなる」
〔三〕「それはみつるばあちゃんの代の話だもん。いい加減建物だってがたが来てるし。よっしゃそうと決まったら勉強しねえぞ」
 三元さんげんは宿題を放り出して、二階の窓から店先を見下ろした。

〔餌〕「三元さんって古いものが好きだから、てっきりこの店を守り抜くとか言いそうだと思ったのに」
 ドン引きですと言いながら、餌は三元と距離を取る。

〔三〕「勉強をしなくても生きていけると分かったら生きる気力がわいてきた」
 そうと決まれば跡取り修行だと言いつつ店内モニターを三元さんげんが見ると、座敷から『社長』がふらりと出てきた。

〔三〕「あれ、かわや(トイレ)かな。いや、電話か」
 スマホ片手に味の芝浜しばはまのお土産袋を抱えた男は、ふらりと店の外へと出て行った。
〔シ〕「なあ三元、話変わるんだけど」
 シャモの一言で、三元は再び店内モニターから目を離した。

※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

https://note.com/momochikakeru/n/n2e5e605d4efc


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