|夜神月《やがみらいと》が新世界の神になった訳

#マンガ感想文 #DeathNote (デスノート)

 今さら『Death Note(デスノート)』と突っ込まれそうですが、『夜神月やがみらいと(Kira)』が新世界の神だと宣言した、いやせざるを得なかった理由について今朝改めてぼうっと考えまして。

 もう十年以上前に私の中では自分なりの答えが出ているし言い古された事かもしれないのですが、覚書として言語化しておこうかなと。

 結論から言えば、人を裁くのが「人」だと認知的不協和と言いますか、裁く本人が無意識中でしっくりこない感を持つ。この認知的不協和を解消する魔法の言葉と言うか唯一の立ち位置が裁く側が「神」の位置に自身を置く事なんですよね。特にデスノートの場合「裁く=死をもたらす」なんで冤罪だった場合やら何やらに取り返しがつかない(パイロット版ではあったデスイレイザーで死人を蘇らせるギミックは無くして大正解だと思います)。

 人が人の命を奪う事に対する無意識中でのしっくり来ない感や罪悪感に命の重みを、『「夜神月と言う神が」人の命を奪う権能を振るう』と自己洗脳する事が罪悪感やもろもろの認知的不協和から逃れる唯一かつ簡単お手軽な手段なんじゃなかろうかと考えるわけなんです。

 この構図は世の中の至る所で見られますよね。カルト宗教やブラック/やりがい搾取組織は言うに及ばず、『私が絶対的に正しい! だからそれに反対や抵抗するお前は悪!敵!』みたいなやり取りも上に書いた事の亜種なんでしょう(国家間からSNS、親子や友人などそりゃもう至る所に)。

 人には自己肯定感も必要だし絶対的客観は生きている以上持ちえない(人は主体として世界を観察している視点であるから)ので、正しい!までは良いと思うのだけどその先に「悪!敵!」と続いちゃうと人と人の意見や立場の交わしあいには成りえない。その気持ち悪さや堂々巡りを解消する為に「私は神」のギミックは実に使いやすく便利極まりないもので、無意識のうちについつい使っちゃう人が多いと思うのですよ。

 かく言う私も随分長いことこの「私は神」のギミックを無意識に使ってあらゆるモノを裁いて自分で自分の首を絞めまくってましたねえ(遠い目)。

 デスノートが出た頃は本気でデスノート欲しいとか思ってたクチです。

 今は要らない。復讐や恨みは晴らそうとする側ばかりが苦しく惨めで生活環境も悪くなると骨の髄まで学習したから(これは精神論じゃなくて脳の不安回路と報酬系回路/ノルアドレナリンとドーパミンなどにからくりがありますので気になる方は検索して専門家の先生の説明を読んでくださいませ)。

 まじめな話はさておき、アニメ版のデスノートで魅神照みかみてるが「神いいイッ!」と叫ぶところの音楽がヴィヴァルディの調和の霊感(L'estro Armonico)第十一番の第一楽章だと知るまでにえらく苦労した思い出……。まさに「神いいイッ!」曲なんでカップ麺の待ち時間にでもぜひ聞いてくださいな。少し軟らかめに仕上がりますけれども(演奏時間約4分弱)。

 


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