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おはよう朝〜素直さと運〜

今日から朝にnoteを書けた。おはよう。
さっきまで夢を見ていた。
友だちと3人でカラオケ屋さんに入る夢。17時集合で。
子ども用の椅子があるファミリールームに通され、この部屋で歌いながら東京まで行く人もいるんですよ〜と店員さん(どゆこと)。

昨日はいちにち、「運」について考えた。
運は、諦めずに「運がいい」と思い続けた人のところに居座るらしい。そのようなことをTVで言っていた。
私は運を諦めてしまっていたのかもしれない。健康運、家族運、仕事運、恋愛運・・。
小学生くらいの時から、思い返してみると私は運がすこぶる良かった。自分でもわかるくらいに。席替えのくじ引きでは、思い通りの席へゆき、一緒になりたいと思った友だちと隣になることも多かった。第六感といえるものなのか、よくわからないが、「そういえばあの人・・・」と思い出した人がいれば、次の週にはその人にばったり会う、なんてこともしょっちゅう。
高校の古典の授業では、十二単を男女一人ずつ着れることがあって、私はなんとなく着てみたいな〜と思っていたら、あみだくじで当てた。その時も、なぜか当たるとわかっていた。
懸賞なんかもとてもよく当たり、旅行先での懸賞、ラジオでの懸賞、ハガキを出すようなもの・・ありとあらゆるものが当たる。
こうやって思い出すと、本当に運がいいってことを思い出してきたぞ。

しかし、運がいい時っていうのは、絶妙に、そのことを少しだけ意識する感覚がある。あまり意識をしすぎてもいけない。夢と現実の間にいるような感じで、紙と紙の隙間に入り込むようなイメージ。決して驕ってもいけないし、気取ってもいけない。自然なまま、素直にいると、運がいい。

誰でもそうなのか、私だけなのかわからないが、大人になって、素直さが極端に減ってしまった。
子どもの頃はもっと素直だった。
いろんな経験をしてきたから、いろんな考えも浮かぶようになってきたから。それは言い訳だろうか。

素直さは、大人になっても必要だと思う。従順、というのとは違うし、実践することは難しかったりする。良い悪いではなく、まずそっくりそのまま受け入れるってことのような気がする。相手の意見を受け入れる。相手の話を聞き、理解しようと研ぎ澄ませていることが、その素直さが、運の良さにもつながるのではないだろうか。

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