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【ネタバレあり】最近観た映画の感想(23/3/8)

※個人が最近観た映画の感想を述べるだけのページです。
※必ずしもお勧めしているというわけではありません。

▶MERU/メル―

人が山登るドキュメンタリーとかけっこう好きなんです。

ざっくり内容を説明すると、3人の登山家がメル―というヒマラヤ山脈の山を、よりによって誰も踏破したことのないシャークスフィンという激ムズルートで踏破しよう、という挑戦を記録したドキュメンタリー作品です。

6年前とかの作品になるんですけど、なんかこのリアルな映像だからこその緊張感とか、一寸先が闇な人生のドラマとか、山登りならではのやめられない&逃げられない静かな戦いみたいなところがすごい気に入りました。
山以外に何もないところがいい。
真剣な人たちと自然しかない画面の、張りつめた美しさといったら。

私は登山をやらないので、こんな絶壁にテントが張れることも、彼らが絶対に滑ったり落っこちたりしないことも、すごーいって、不思議でならなくて。

一緒に登って撮影もして監督もやってるジミーがけっこうイケメンです。

コンラッド、ジミー、レナンの3人の人生模様がしっかり記録されていて、最初、そんなヤバい挑戦して大丈夫だったの・・・?とビビってましたが、ちょいちょい各人による解説が入るので、あーよかった、誰も死んでない!と安心して最後まで観れました。

1度目に失敗したあと、その難しさに取り憑かれてどうにもならなくなってしまったリーダーのコンラッドは、メル―にアタックするから情報をくれ、と他の登山家から連絡がきたときに、「独り占めすることなど何もない、全て情報は提供したよ。この物語を終わらせてくれ、という思いでね」みたいなかんじで答えた、というエピソードがありました。
それを聴いて、登山家の血の騒ぎ方を知ったというか、登山というのは前人未踏の物語であればあるほど燃えるのか!と。どんなドラッグよりもヤバそうだなぁと。きっと攻略したくてたまらないんでしょうね。
でも、自分じゃなくても、誰かが踏破してくれたらそれでもいいんだって、それにはちょっとびっくりしました。

元々フリークライマーで、好きな時に登って好きな時に下山するスタイルだったレナンは、声がかかった時にはまだそのヤバさをはっきりとはわかっていなくて、難攻不落のシャークスフィンを攻めるのに先陣をきっていく特攻の気概というか「自分の勢いと若さをコンラッドに買われたんだと思う」って言ってたけど、
だからこそパーティーで登る縛りというか、自分一人ではないが故の逃げられない&途中で止められない苦しみを一番味わっていて、自由人にはしんどいだろうな~って思うと、他人事ながら苦しかった。
しかも、1回目の失敗の後、雪山で頭がい骨骨折と頸椎骨折という大事故を経験して、それでもメルーを目指して半年もたたないうちに2回目のアタックに間に合わせるあたり、そもそもフリークライマーができる時点でフツーじゃないけど、やっぱりちょっとフツーじゃなくて、2回目の挑戦中に脳梗塞症状が出てもそれでも上り続けるイカレ具合が、人生に命かけてる感じでヒリヒリしました。

ジミーが言ってたことで印象的だったのが、彼のお母さんが「自分より先に死ぬな」っていう縛りを彼に与えていたということ。縛りというか、母親であれば当然の気持ちではあるけど、それを言われたジミーはずっと自分に対して危険を冒さないように制限する必要があったんだって。
それで、彼のお母さんが亡くなってしまったあと、ジミーはようやく、もう自分を制限しなくていいんだ、って、「やっと先に行ける、って思った」っていうのを聞いて、うわー、その気持ちめちゃくちゃわかる!って思った。
自分に関わる人で、無下にできない人たちが現状維持や安パイの選択を優先するとき、それに合わせないといけないことってあるもんね。
でも、ガチで何かに挑みたい、って燃えてる人たちにとって、そういう人達はただの制限(邪魔)なのよ。
自分の人生に、大好きなことに全力投身できるって、生きてく上でそれ以上の幸せなんかないじゃんね!

かくして3人は登頂を成功させるんだけど、彼らの挑戦から私が感じたのは、疲労感の中に滲む得も言われぬ恍惚感。
それから、達成を経験する人の人生の景色っていうのは、達成しなかった人とは見え方が違う、ということ。
すごく当たり前なんだけど、本当に、人生というものの捉え方がその前と後では全然違っちゃうと思う。
どうしてもやりたいことに挑んでやり遂げた人と、やり遂げられずに辞めた人では、人生というものの景色の見え方が違ってしまう。

「あなたはどうして自分をそんな危険な目に遭わせるの?」
「やめておいたほうがいいよ!」
っていくら他人から言われても、それはその人の挑戦じゃないから。
自分が成し遂げたいから。ただそれだけの動機で何度でも挑む。
途中が嵐でも、計画していたことがだめになってしまっても、経験から次の策を練って、すぐにまた挑む。その繰り返し。
そんなシンプルな情熱を辿っていった先に見えるのが、言葉も失っちゃうような満足感と、達成感しかない景色。
達成の瞬間を境に、自分が新しく生まれ変わるような喜び。
最高じゃあないっすか・・・!

心が望む頂をいくつも踏破しながら人生を進んでいく人には、メルーの頂から見えるような景色しか見えていないのかも・・・そう思ったら、私もそういう風に生きていきたい、って思った。

塹壕足やレナンの事故の生々しい映像が出てくるけど、過酷な環境に挑む人のリアルな現実を知ることができたし、レナンが生きてたので問題ありません。

挑むことはクレイジーだと思われるけど、自分の人生に生まれ変わるほどの喜びと達成感を得たいなら、飛び込む以外に術はない!

そんなことを教えてもらいました。


▶川っぺりムコリッタ

この監督の作品はとにかく、ごはんのシーンが魅力。
やっぱり影響されて、白飯すぐ炊いちゃった(笑)

大まかなあらすじとしては、ム所から出てきたマツケンが、いろいろとわけあって貧しくも慎ましい暮らしをしてる皆さま方に巻き込まれ、少しずつ人間らしい感情の動きを取り戻していく、ってかんじの内容です。

ずばり、テーマは死です。
親子で墓石を売り歩く吉岡さん、マツケンの隣人でしょうもなくて迷惑なんだけど憎めないムロさん、夫に先立たれても今でも一途に愛し続ける子持ちの満島さん。
それぞれに強烈でした(笑)

ムロさんみたいな人無理~っていうレビューが結構あったんだけど、私はマツケンみたいな人にはアリだなと思う。
一緒にご飯食べてて、おいしいもん。多少騒がしくても、一人にしとくと落ち込んじゃう彼にはちょうどいい相手。
普段は図々しくて邪魔くさくてどうしようもないのに、彼が本当は泣き出したいくらいの孤独と罪悪感に苛まれてるんだろうな、っていうのがわかるシーンがところどころで胸が痛くて。
とくに、川の上の空に出現した謎の蛸?イカ?に向かって走りながら、
「俺も連れてってくれ~~!!うわああああ~!!」
って頽れるシーンは、なんかこみあげるものがあって泣けてしまった。

私の中でとくに印象的だったのは、満島さんが旦那さんの骨を取り出して、愛撫して齧って、それでそっと自分を慰める、とてもとても静かで狂気じみたワンシーン。
なんでか、めちゃくちゃなのに、ぼろぼろ泣けちゃって。
河原でマツケンを呼び止めて、満島さんが一方的に怒りを愚痴るシーンがあるんだけど、
「妊婦を見るとムカつく。自分だってかつてはそうだったくせに、見ると腹をけりたくなる。出っ張った腹を見ると、人間が動物だってことを思い出させてるみたいで頭にくる」
って彼女は言うんだけど、それを踏まえてからのあの仏壇前のシーンは本当に胸に迫る。
旦那さんが死んじゃって、姿かたちがなくなって骨になっちゃっても、それでも好きな人のことを想う気持ちはずっと消えなくて、その人を動物的に求めてしまう自分の欲望に、体で愛しいものの存在を感じたいって思ってしまう人間のどうしようもない本能に対して、時々興ざめして嫌になっちゃうんだろうな、って。
自分にも制御しきれない本能があるってことを見つめてしまった時、立派な人間なんかじゃなくてただの動物なんだって、「自分にもそういう暴力的な一面があるんだって、すごく怖いことだなって思うの」っていう言葉につながってて。
すっごい響いたシーンでした。

それから、吉岡さんのエアーふぐ刺しとか、印象的な場面はいろいろあったんだけど、ムロさんが出てきたシーンでひとつ、印象に残ってるのは、
マツケンがお父さんの遺骨が不気味で不気味でどうしたらいいかわからず、恐怖のあまり川に流しちゃえ、って衝動的に実行しようとして知り合いにバレて踏みとどまった次の日、
「流そうとしたんだって?知らないの?そのまま流すのは犯罪だよ。でもね、粉々にしてパウダーにして撒いちゃえば犯罪じゃないんだよ」みたいなことを教えてくれた後に、マツケンの耳元で、
「わかる?パウダーだよ、パウダー」
ってこれみよがしに囁くのが、なんか自分にはすっごい面白かった。
遺骨もパウダー呼びされると、なんでかこうも質量がなくなるというか、感じる負担がどこかに消えちゃうというか。

死は人の景色を大きく変えるんだけど、その変化にどうやって納得していけばいいのか、どうしてこんなに空しいのか、理由を探して暗いところに沈んでしまう人の心に、とても自然な距離感で寄り添ってくれる、素敵な作品だと思います。
孤独になって自分の人生や生き方について考えてみたり、昔のことを思い出してみたりしながら、どうしても消せない繋がりの中で自分というものが見えてきたりこなかったり。
自分なんてこんなんでいいのかなぁ、なんでまだ生きてるのかなぁ、どうやって生きてったらいいのかなぁ、とかとりとめのないことを思いながら、この瞬間に存在している人たちと関わり合って生きている。

「誰かと一緒に食べるごはんってさ、おいしいよね」
というムロさんの棒読み(自然体?)のセリフが耳に何度もよみがえります。

今作は珍しく、結構攻めた表現というか、人によっては画面を直視できないものが(サウンド付きで)ときどき出現しますので、注意したほうがよろしいかと。(ウジの湧いた部屋、なめくじのアップ、蜘蛛、イカの目ん玉の集合体、などなど)

いい作品でした。


▶TOVE/トーベ


何故かこの頃、ムーミンというかトーベヤンソンに呼ばれてるかんじなので、せっかくなので観てみました。

ムーミンの文庫はね、図書館で借りて読んでみたんだけど、読みづらくてたまらず諦めました。ムーミン谷の冬だけは読破したけど・・・まぁ、またいつか気が向いたら挑戦しようかな。

日本でどうしてムーミンが流行ったのかって、岡田斗司夫さんの動画でその理由をちょっと知ったんだけど、アニメの和製ムーミンが人気なだけであって、トーベ版フィンランドムーミンはアニメと全然違う、っていうことにびっくりしました。ほんとに、全く別物になってる。

それで、岡田さんが参考にしていたトーベヤンソンの評伝も図書館で借りたんだけど、案の定、ものすごい分厚い辞書みたいな状態で、最初の数ページでなんとなくトーベがお父さんとあんま反りが合わなかったけどお母さんはめちゃ優しくて、いろんなところを転々としながら活動してたよ、自由人だったよ、みたいなことくらいしか知れませんでした(笑)
なので、これではトーベを理解したことにならないということで、映画を観てみました。

結構はしょられてるというか、きれいな感じで上手にまとめられたトーベの半生を見たという印象。
見終わって、私の感受性が一番訴えてきたことは、「トーベって、めちゃくちゃ愛されてるじゃん」というもの。
だって、スナフキンのモデルになったと言われてる議員の男性は、奥さんと別れてトーベにプロポーズしてくれるし、舞台演出家のヴィヴィカは市長の娘で既婚者なのに奔放な生活を楽しんでいて(彼女と出会って恋をしてしまうトーベはもしかして、LGBTQでいうところのバイセクシャルだったの?みたいなかんじでした)、お母さんも友達も優しいし、お父さんは最終的にトーベの活躍を喜んでくれてたみたいなオチだったし。
芸術関連の生業をもつ両親のもとに生まれて、周りの理解に恵まれて、芸術家としても必要とされて、もともとは自分を癒すためのいたずら書きみたいなものだったムーミンはいつしか子供たちの癒しになって、お金も儲かって・・・って、しかるべきところに生まれて、自分の置かれた場所で生きてるうちに花開けた、大成功の人生じゃんか。
世界の芸術家の中でも、まともで平和な人生に恵まれた人、っていう印象になっちゃうけど、本当かな?ってところです。

でも、普通に考えて、いまだにフィンランドはムーミンのことを切り離すことができないくらいに国民的スターだし、ずーっとトーベの恩恵に与っているということで、映画にされちゃうくらいフィンランドから愛されている人なんだなぁ~っていうのをすごく感じました。
愛されてる・・・愛されてるって言った方が聞こえがいいけど、実際は癒着・・・?(笑)わからんけど・・・彼女を超える、自由な愛されクリエイターが出てくるといいね、というかんじです。
その点、日本からはいろんな国民的スターが誕生してるし、正直ムーミンしかいないの・・・?っていう気もしますけどね。

ヴィヴィカにむかって「あなたを愛しているわ」と伝えたトーベに、「私はパリを愛してるわ」と答えたヴィヴィカ。
そのやり取りがとても印象的でした。
それでも二人は、お互いのやり方でちゃんと想いあっているんですよね。どうしてあなたはそんな人なの?なんていう問いもなく、ただその存在に心惹かれて、関わり合う。なんか寂しいような気もするけど、それでいいよね。

自由なヴィヴィカを、トーベは舞い降りてきた龍、というふうに詩的に例えていたけど、どんな人と繋がっても満足しない、寂しくて貪欲な人にも見えたけどね・・・まぁでも、お互いにとって必要な出会いだったのは確かで、やっぱトーベ愛され過ぎじゃね、って思うのでした。
全然羨ましくもならないし、自然に「なんかめっちゃいい人生でよかったね~!」ってかんじでいい気分になれる、ハッピーな作品でした。


やっぱ人間、自分で自分を縛ったら終わりだな!
今回まとめた三作品からは、共通してそんなことを感じました。

読んでくれてありがとうございました~!

以上でーす。



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