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#3 この感情をどこかに置いておかないと。

momonagaです。
ここまで、ガッと走り出して下記ふたつの記事を投稿してきました。書いてきたのは、私の根本にある性質と、大人になってHSPについて知ったこと、そしてそれによって誘発されたのか、患ってしまった適応障害についてです。

今回は#2の終わりに適応障害から双極性障害を診断されたところからまた書き始めます。


双極性障害って?

誰もがイメージできそうな簡単な言葉で表すと、ハイになる躁状態と気分が落ち込んでしまう鬱状態という対極にある状態の波を繰り返す疾患です。

気分の波なんて誰にでもあるだろうけど、双極性障害の人は、毎日の服薬でその気分の波を調整しなければ普通の人と同じような生活をすることが難しくなります。好きだったことにも何にも興味が湧かなくなり心身が共に重くて重くて何もできなくなったり急に涙が出てきたり、死ぬことしか考えられなくなったり、頭痛や胸痛などの身体の異常が出てドン底の気分の毎日から抜け出せなくなったかと思えば、ある日急に自分は何でもできる!と万能感に満ち溢れ、思考や行動が暴走し、普通ならよく考えて行う大きな判断や大きな買い物を勢いで行ってしまったり、人とのトラブルを起こしやすくなります。鬱の時は眠ってばかりだった生活から一変、躁になると逆に眠らなくても平気になってそれが体調をより悪化させる原因にもなります。
紹介したのはこの障害のほんの一部の一例であり、人それぞれどのようにこれらの症状が出るか、どこまで大きく人生に影響を及ぼすかも違います。とにかく、心の持ちようで操作できる感情の波ではなく、双極性障害は脳の病気だと言われています。


私と双極性障害の歩み

私の場合は、どちらかというと鬱の期間が長く、時々躁の傾向が出てきて(自覚があるので)「危ない危ない」と心療内科の主治医と適時薬で波を押さえ込んだり、睡眠薬でちゃんと眠れるようにして体調をできる限り整え続けていくことが治療の基盤となっています。一番辛い時期になると希死念慮(本当に死にたいなんて思っていないのに、自死をしたり危ない想像ばかりをしてしまう)に苦しめられたり、それをしたがる自傷行為(実際に傷つけたりはしていないよ)に頭を支配されてしまい、刃物や高い所、踏切などに近寄ることが怖かったです。

 闘病と結婚生活

私は結婚前から体調を崩していたので、結婚生活をずっと闘病と共に送ってきました。夫は介護従事者だったので、もちろん心配はしてくれるけど普通の人よりは突拍子もなく不調に陥る人間の扱いに慣れている様子で、私からしたら時々ドライな印象を受けました。それでも、突然の発作に私が苦しんだり泣いていたり、夜どうしようもなくなっていきなり家を飛び出してしまったりする妻の扱いには流石の夫も困っている様子でした。

そして、もうひとつ、私側の困り事としては多趣味な夫の求める家での過ごし方と、私が落ち着ける環境が違うこと。これが大きな問題でした。

夫が趣味を楽しむリビングでは常に電気が煌々としていて、テレビの音が大音量で聞こえてくる。ゲーム音とラジオの音声両方が同時に聴こえてくる…これらが私の身体にはどうしても受け付けなかった。2つの音が混ざって聞こえてくると頭が痛くなるのです。ワーッと混乱してしんどい時に余計に症状が悪化してしまうのです。これは双極性障害というより先に、HSP気質と生活環境の相性の悪さがより事態を深刻にしていたのだと思います。

私はできるだけ静かな環境で心を落ち着かせたかった。刺激を遮断してゆっくり身体を休ませたかった。私は一度に出す音声を一つに絞ってほしいと夫にお願いしました。我慢をすることに慣れてしまっていて、なかなか言い出しづらかったけど、「もう少し音量を下げて欲しい」とお願いをすることもしばしばでした。

自分でも耳栓やヘッドホンをして、入ってくる刺激を押さえ込んだり、寝室に居場所を作って棲み分けをすることでお互いが心地よく過ごせる家のあり方を模索し続けていました。

でも、これは夫なりの愛情表現でもあるのですが、私が夫が楽しんでいるスペースから距離を取っても大体追いかけてくる。心配してくれて、そばにいてくれるのはいいのですが、その隣でまたスマホで動画を観始める…。ちがう、ちがうんだよ夫。それ逆効果なんだよ。逃げても逃げても解放されない苦しみと愛情に板挟みになり苦しい夜が幾度とありました。


あれ?もしかして夫との生活が私の身体を蝕んでる???

最初は二人だからこその新しい生活に慣れていくこと、お互いの違いも認め合い、それぞれが歩み寄っていくことが結婚生活の美談。元々他人なのだから価値観も違って当たり前。みんな何かしらを我慢して折り合いつけて夫婦をやってる。それは本当にそうだと思うし、自分達もそうしなきゃと思っていました。

そしてそもそも争いごとが苦手で、本音が言いにくい。自分さえ我慢できればそれが一番平和。そうやって生きてきた私には、この夫婦生活に違和感を感じることは難しいことでした。
どうしても合わないって事実を認められなかった。夫も優しいし、夫なりに私を精一杯支えようとしてくれている。仕事を退職する時も動けない私の代わりに私の職場まで出向いて手続きをしてくれたり、パニックになってスーパーへの買い出しすら行けなくなったり料理もできなくなった無力な専業主婦の私のことを責めないでいてくれました。だからその恩返しを一生かけてもしていかなきゃ。そう思い続けることしかできていなかった。
だから、
夫との生活が私の身体に負担をかけている。
…これを認めるのに随分の時間と勇気が必要でした。


夫は夫でたくさん辛い思いをしてきたと思います。正直一馬力じゃやっていけない家計をひとりで背負って、障害者の妻をもつという重責感を感じて。夫も自分の仕事がうまくいっていなかったりしんどかったと思うけど辞められなかったのは私のせいでもあると思います。そんな中で昔の仲間と再び表現活動をするというハードな道に挑戦してみたりすごいことをたくさん成し遂げてきました。

そんないつもいっぱいいっぱいやってくれている夫の楽しみを奪いたくなかったし、私が少しでも調子のいい時には元気な時と同じような笑顔を見せて夫が理想とする楽しい家庭を演出してあげたかった。
私なりにも色々頑張ってやってきました。しんどい時も今日は夫を優先して…と元気な振りをする日もたくさんありました。

でもそれもこれも結局は全部「我慢」だったのです。私はじわじわと自分のキャパ超えが近づいてきてしまってることに気づかないまま、夫を好きでいたいのに好きだと思えるところがなくなっていく現実に徐々に蝕まれ、何度か倦怠期を乗り越えては「もう無理」な段階にくるまで我慢をし続けてしまいました。

不安定になった私の支えになってくれるはずだった夫は、もう私にとって発作を引き起こす不安定要素にしかならなくなっていたのです。




…夫はいつも正直で、素直で、真っ直ぐな人です。
これをしたいからそれをする。すぐやる。これ楽しそうだから二人でやろうよ。ここに行こうよ。やってみようよ。一緒に。一緒にやろうよ。

小さい頃から人の顔色ばかり伺って、びくびくして、刺激に弱くて。そんな私にはいつも全力で引っ張ってくれる夫は眩しすぎる人でした。



決断

実際には、具体的な決め手となった出来事や、それで思い悩んでいたこと、将来的に欲しかった子どもへの未練などで葛藤する日々がしばらくありましたが、私は今年の1月末には「夫と離れたい」という意思を固めていました。

一生添い遂げると思っていた。だから結婚した。
その気持ちに嘘はないのに、どうしてこうなっちゃったんだろう。だけど、考えても考えてもどうしても同じところに戻ってきてしまうのです。お互い30代前半(私はギリギリだけど)。お互いのこの先の人生のためを思ってもこれ以上ギザギザな心の私のまんまで夫を繋ぎ止めていくわけにもいかない。かと言って一緒にも暮らしていけない。


付き合い始めて6年。結婚4年目の春。
私は別居に向けて準備を始めることにしたのです。


…今回も、最終的に言いたいことが書ききれぬまま長文になってしまいました。次の記事で今回の「この感情をどこかに置いておかないと。」シリーズを完結できればと思っています。

大事な時間を割いて私の文章を読んでくださりありがとうございました。
よければ次回もよろしくお願いします。




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