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#1 この感情をどこかに置いておかないと。

はじめましてmomonagaです。
noteはたまに流れてきた記事を拝見するくらいで、自分で執筆することは全く考えていなかったのだけど、Xじゃ文字数も気になるし流れていってしまう。Facebookもちょっと今の自分とは距離がある…と考えた時に割と勢いでnoteを利用してみようと思い立ちました。自分の感情を自分用に整理するため文字起こしするのは好きだけど、特に文才もないので読みにくいと思いますが、時間潰しにでも読んでくださりこの置きどころの分からない感情を吐き出す行為をそばで見届けてくださる方がいたら嬉しいです。正直見てくれる方がいなくてもいいです。ただ、吐き出させてください。

まずは私の性格のことを話します

今の私を作ってきた根本を、自分にとっての整理も兼ねて綴っていこうと思います。

年少期から高校まで

私は、年少期から人の顔色をうかがっては話す人によって話し方や振る舞いを変え、自分がどう立ち回ればこの場がうまく回るのか考えることに必死な神経質な子どもでした。どの性格の自分が素の自分なのか分からなくなり、ちゃんとした意味が分かっていない頃は本気で自分は多重人格者なんじゃないかと悩んでいたほどです。
平和に場を納めたいばかりに、自分がなめられても我慢して笑ってやり過ごして、その場が気持ちのいい空気になる一言をいかに発言できるか神経を尖らせては自分を消耗していました。

それが中学に入ると、何をしても怒らないという性格になっていじられキャラになりました。「いじられ」は次第にエスカレートして、仲がいい友達からもトイレで水をかけられては笑われたり、今となってはいじめのレベルですがそれも耐えてました。「こら〜!」とわたしが笑って友達を楽しませれば平和に場はおさまる。私さえ、私さえ我慢すれば。そんな耐性がついてしまいました。とはいえ本当は悲しくて、本当の気持ちと外ヅラの溝が深まるばかりで不安定になり、中学・高校は不登校や学内カウンセリング利用を繰り返しながらなんとか学生生活を送りました。

自分を解放できた大学生活。それでも根本は治らない。トラウマの恋愛。

大学は、ずっと一筋だった美術の道に進ませてもらいました。そこには今までのような協調性を強いる縛りはなく、好きな授業を選んでひとりで行動して、好きな制作やサークルに没頭できる自由な生活がありました。それによって、私は随分と気が楽になり、大学時代はやっと自分を解放できて楽しかった記憶が強いです。
ただ、やはりサービス精神が強い面は変わらず、外で思い切り社交性を発揮して一人暮らしの家に帰ってきた後は、力尽きて何もできなくなってしまう。他人の為ならいくらでも頑張れるけど自分の為に使う力は残ってない。自分を疎かにする生活に陥り、所謂汚部屋に住んでいました。コバエは飛び交い、洗濯も追いつかずに下着をうらおもて裏返して履いては洗面所で前髪だけを洗い、なんとか外に出る時だけ普通を見繕って、なんでもない大学生を装いギリギリ(いや、アウト!)な生活を送っていました。そして、時々本気の電池切れが起こった時には3日〜1週間くらい誰とも連絡がとれなくなる。鬱ギリギリの精神状態でこの頃から“こなして”いました。

そんな状態の私でも人並みに恋愛もしていました。(もちろん汚部屋には呼ばず、彼の家に行くばかりだったけど)
…だけど友人曰くわたしはダメンズ好き。相手に尽くして、自分の為にならない恋愛をしていました。それも分かってはいて、これまでしてきた恋愛はすべて自分から別れを告げてきましたが、大学卒業間近からお付き合いを始めた彼は今でさえ浸透した言葉ですがバチバチの「モラハラ男」。普段の甘い口調とは裏腹に私の全てを思い通りにしようとして、束縛は酷いわ、私の大事な物や友人からは引き離すわ、思い出の物は泣こうが喚こうが勝手に捨てるわ、何かあれば全て私が悪いと思い込ませ、その彼とお付き合いしている間は「どうしたら彼に許してもらえるのか」そればかり考えていつもごめんなさいごめんなさい…とマインドコントロールされてしまっていたんです。別れたくても一筋縄じゃいかない。修羅場は色々ありましたが、最終的には私の就職先にも勝手に「今日はこいつ休みます」と電話をかけたり、暴力を振るわれたりと収拾がつかなくなったので遠方の家族にSOSを出して逃げました。引越しも職場への退職手続きも全部家族にやってもらってしばらくトラウマと闘いながら身を潜めて暮らしていました。

結局何がいけなかったのか

結局のところ、空気を読んで人の機嫌を伺い、相手が怒ることを極端に怖がる。そんな性格の形成が悪い恋愛にも影響してしまっていたんだと思います。自己犠牲の元に人の幸せがある。人が幸せならそれでいい。平和主義がいちばん!それがその頃の自分にはまだ当たり前だったのです。

傷が癒てから、正直、新しい恋愛もしました。
でもそれも結局最終的には尽くしてばかりで、自分が都合の良い女になって終わりました。二股をされていた。完全に舐められていた。一度は彼を更生させて再構築したけど、結婚を意識し出した頃にやっぱり彼のことを信じ切ることができなくて別れを告げました。
恋愛を繰り返すごとに、色々教訓は得て少しずつ強くなっていったはずではありますが、やはり根本の性質が関係しているんだろうなぁ。自分さえ我慢すればという自己犠牲、怒らせることが怖い、だから本音が言えない。

そう、本音が言えない。
我慢できちゃう。
それが私の当たり前。

根本が年少期に形成された性格まーんまなのです。


いつのまにか恋愛遍歴の話ばかりになりましたが、こういう一対一の人間関係もこんな感じにしか築けないのが私です。


書きたいことは、この先、もっと深いところにあったのですが、文章が長くなり過ぎたのでここらで一旦くぎります。

読んでくれる時間がある方は次の記事も是非。
HSPという言葉との出会いや闘病生活の話に移っていく予定です。

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