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私以外私じゃないとしたら? ー ブレヒト『Mann ist Mann(マン イスト マン)』観劇

「私以外私じゃないの
 どうやらあなたもそう
 誰も替われないってことみたいね」
        (作詞:川谷絵音)

と、ゲスの極み乙女が歌う。

そう。私もそう思っている。
たとえば整形しても私は「私」だし、さらに仕事でペンネームや源氏名を使ってプロフィールもちょっといじっても家に帰ればやっぱり「私」。もしかして、戸籍を変えたりなんかして他人は私をべつの人だと認識したとして……でも、私は私のこと「私」だって知ってる。

じゃあこのうえに、事故や病気で記憶を失っちゃったり、なんかすんごい催眠術にかかったりして、私が「私」だとわからなくなったら? 

Who am I ? それでも私は「私」なの?

    *

2018年末にこんな事件があった。

『内縁30年…死んだ妻は誰?
 無戸籍か、身元分からず』
「福岡県大野城市内で10月、アパート一室に内縁の妻の遺体を遺棄したとして、死体遺棄容疑で男が逮捕された。妻は『ユミコ』と名乗り、一時は仕事もしていたが、県警が調べても身元を特定できなかった。免許証や住民票もなく、『無戸籍状態』だった。30年連れ添った男も『今となっては、妻がどこの誰だったのか分からない』と話す」
(2018年12月16日付西日本新聞)

このニュース、元記事がネットから消えているので、詳しく解説されている文春オンラインのコラムを貼っておく(↓↓)。(っていうかなんで過去のニュースって消えるの?なかったことになるの?アーカイブはどこや?)


まあ、こんなニュースが、数年に一度、定期的に流れてくる。おおやけにならないこともたくさんあるんだろうな。

映画や小説でも題材にされている。2017年にめちゃくちゃ流行ったテレビドラマ『○○○○○』(ネタバレなので伏せ字)もそんな展開だったし、昨年2018年公開の映画『嘘を愛する女』もそんな話だった(出演:長澤まさみ、高橋一生)。

そんなニュースを見ていると、思う。

「私」ってなんだろう?
自分が自覚してたら「私」?
周囲が認識してたら「私」?

いつの間にか世の中に広まった言葉に、

「人は二度死ぬ。一度目は肉体の死、二度目は誰からも忘れられた時だ」

という言説がある。

また、

“存在する”という動詞は、中国語では「自動詞」ではなく「他動詞」だ

とも聞いたことある(これほんとなの?教えてほしいな中国の方?)。真偽はさておいても、なんだか一理あるような気がして、耳について離れない。

希望のような、絶望のような言葉だ。

「私」が存在している、って、どういう状態なんだろう。

    *

そう。

私以外私じゃないの
どうやらあなたもそう
誰も替われないってことみたいね

と、ゲスの極み乙女が言う。私もそう思っていた。

でも、私が「私」じゃなかったら?

もしや、私以外が「私」だったら?
まさか、私以外も「私」だったら?

私以外私じゃないとしたら、それって本当に「私」なの?

「私」のゲシュタルト崩壊。
「私」の氾濫であり反乱。
「私」って、いったいなに?

    *

そんな混乱に陥ったのが、2月3日(日)まで神奈川芸術劇場で上演している舞台『冬のカーニバル Mann ist Mann (マン イスト マン)』。このあと長野県内数カ所でも上演が予定されている。

副題は「男は男だ」とされており、タイトルのドイツ語に対する日本語訳。芝居は、ある男がべつの男に仕立て上げられることになっていく話だ。

生演奏、歌、踊りが盛りだくさんのコメディで、劇場内も飲食OK、S席はキャバレーのように料理とお酒がついている。拍手棒(無料・要返却)やブーイング笛(有料)もあり、観客参加型の賑やかなエンターテイメントだ。

なのに、観終わった私のアイデンティティは崩壊しかけ、恐怖で涙が出てきた。

(あらすじ。の一部)
ここはインド。ひょんなことから、4人の英国軍人のうちのひとりが行方知れずとなった。残された3人は「4人一組じゃないと罰せられる!」と、たまたま通りがかった港で働くしがない荷揚げ人夫の『男』に目をつける。お人よしの『男』は、3人に頼まれるままに“4人目の英国軍人”のフリをすることに……

この舞台には確実なものがない。

英国軍人は“ID”で識別されるので、顔や名前が違っても『男』の正体はバレない。登場する『象』は本物の動物ではなくハリボテだが、みんなが「象だ」と言えば信じるしかない。というか、なんと、この物語はあるキャバレーのコックたちがキャバレーの客に観せるための演し物(だしもの)を練習しているところなのだ(これは冒頭にわかるし当日パンフにも書いてある)。だから時々、このしがない『男』の芝居を演出するキャバレーの主人からストップがかかる。そのキャバレー主人を演じるのは、本舞台の演出家・串田和美さんだ。つまり、劇中劇だ。私たちは、インドの港の英国軍人としがない男の物語(第一のレイヤー) < を演じるコックたちの芝居稽古風景(第二のレイヤー) < を演じる日本人俳優たち(第三のレイヤー) < を劇場の客席で飲み物と拍手棒を片手に観ている(第四のレイヤー)。

コメディ&エンターテイメントなので、観ている間はそんなめんどくさいことは考えず、きゃっきゃと笑って客席に座っている。けれど、どんちゃん騒ぎの笑いのなか、けしてフィクションではいさせてくれない。俳優たちは時に客席に降りてきて、第一、第二、第三、第四……のレイヤー(層)を行き来する。それだけでなく、拍手棒を握ってパチパチやっている観客だって、芝居に参加している。とすると観客は < “演劇を観ているという演技をしている観客役”を演じている俳優(第五のレイヤー)なのかもしれない。  うう、考えたら脳みそ死ぬ(混乱)。

楽しくて笑っていたのに、後半が過ぎゆくと、気づかない間にすぐそばに迫っている恐怖の存在をなんとなく感じるようになる。あれ、いつの間にかどれが現実かわからなくなってきた? あの男は、荷揚げ人夫だっけ?コックだっけ?俳優だっけ?それともただの日本人?
なにが本当かわからない。『男』を「荷揚げ人夫」だと、『軍人』を「本物」だと、『象』を「ハリボテ」だと、『物語のなかの現実』を「フィクション」だと認識するものはなんなんだろう。本当じゃないのに本当のもの。本当なのに本当じゃないものが、舞台上でごちゃまぜになり、キャバレーの喧噪の渦に飲み込まれる。男は男なのか。軍人は軍人なのか。象は象なのか。物語の中の現実は、物語なのか、現実なのか。

最後、不安と恐怖で思わず泣いてしまった私に、出演者たちが笑顔を向ける。でもあの出演者たちはいったいどのレイヤーの人なんだろう?この人たちはけっきょく誰だったんだっけ?

そしてその笑顔は、私を空虚にもさせる。「今ここで笑いとばしていいの?◯は◯じゃないかもしれない不安や疑問や恐怖を、笑いで押し隠してしまっていいの?」と。

もしこれがこんなややこしい入れ子構造じゃなくて、がっつりフィクションだったらこんなに不安も混乱もなかっただろう。それをフィクションとして、劇場の中で起きたことは誰かのつくった架空のお芝居なのだと、脳内でラベルを貼った引出しに入れることができるはず。
でも劇場を出て振り返ってみた私に、今あるのは、「私が観たもののなにが本物だったかを私はちゃんと認識できているのか」と足元が崩壊していくような心もとなさ。

当日パンフレットのご挨拶で、芸術監督の白井晃さんがこうコメントを寄せている。
『ここで描かれるのは「個」とは何か、「個」が失われるとは何か、「個」を失わさせる集団心理とは何か』
そう。この集団心理の怖さに震えた。組織にとって中身は誰でも構わない代替品だという可能性にも怯えた。そして、それ以上に、重なるレイヤーと、それをまたぐときに空気をズンと変える串田さんの演出によって「これは現実に続く自分の物語だ」と実感させられた。おまえは果たして本当におまえのままいられるのか?と。

観劇から日が経ち冷静になった今も、ひたひたと迫る恐怖がこちらの様子を伺っている。

「Mann ist Mann (マン イスト マン)」

「男は男だ」

 本当に?

    *

「Mann ist Mann」の日本語訳については、ブレヒト演劇の研究をしている大阪産業大学の木村英二教授の文章がおもしろかった。

今回のタイトルは「男は男だ」と訳されているけれど、過去には「員数は員数」とか「一人は一人だ」などではないかと翻訳について議論されているらしい。(※「員数」というのは、ドイツ語の"Mann"というのが人を数えることの単位でもあるらしい(そうなの?教えてほしいなドイツの方?)。登場する軍隊は4人一組のチーム。『4人の軍人』であろうと『3人の軍人+1人の男』であろうと4は4。4人=3+1人=「4」。員数は員数。数がそろっていれば中身は誰でもいいという組織側の理論なのだ)。ちなみに英語では『Man Equals Man』『A Man's a Man』などと訳されている。それぞれちょっとニュアンスが違ってくる。

(木村英二教授のHPより)
4)タイトルの„Mann ist Mann“
Mann ist Mann という同一律の意味のずれは19世紀的な実体的同一性、「男は男だ」とか「私は私だ」という命題が危機にさらされていることを描いています。個人がMannという言葉を「他ならぬ男」というようにポジティヴに理解していても、組織の側の論理は違っています。(中略)
このように考えるなら、タイトルのMann ist Mannは『男は男だ』であると同時に『員数は員数』なのです。そしてその両義性、あるいは曖昧さこそがグロテスクな喜劇性を浮かび上がらせていると言えるでしょう。

う、ちょっと小難しくなった。けれど、もう少し詳しく幅広く深いことは木村さんのHPに書いてあって、面白い(↓↓)。

"Mann"とは、人間であり、誰か特定の人物(あなた、あるいは私、あるいは◯さん)であり、そのための識別であり、個体であり、ただの数であり、でもなんの意味もないのかも。

   *

『冬のカーニバル Mann ist Mann (マン イスト マン)』では、ブレヒトの原作を脚色・演出の串田和美さんが大胆にカットしているそうだ。
どこまで脚本の意図で、どこまで演出の意図かは知識不足でわからないけれど、「私以外私じゃないよね」と思っていた私に、「私が『私』だと思っているのは本当に私なのか怪しいし、私が『私』だと思っているものが私じゃなかったとしてもそもそもなにかを『私』もしくは『私じゃないかもしれないもの』だと思えるほど物事を認識できているの?」と、思い込みをひっくり返らせるきっかけになったので、ブレヒトも、串田さんも、ありがとうございますこんちくしょう。


ちなみに“ブレヒト”でググってたら、『ブレヒトの秘書であり愛人』『ブレヒトの子どもを産むが結婚はせず』みたいな言葉が散見される。そういう人生の一面もあったのね。小説「ブレヒトの愛人」なんてのも、フランスで最高の権威ある文学賞のひとつ「ゴンクール賞」を100周年目に受賞した。おもしろそう。

ブレヒトさん、川谷絵音さん、よいご家庭を!

    *

▼『Mann ist Mann(マン イスト マン)』公演情報

KAAT×まつもと市民芸術館 共同プロデュース
冬のカーニバル
Mann ist Mann (マン イスト マン)

原作:ベルトルト・ブレヒト
翻訳:小宮山智津子
脚色・演出:串田和美
企画監修:白井晃

【出演】
海老澤健次 大鶴佐助 小椋毅 近藤隼
坂口杏奈 鈴木崇乃 武居卓 チョウヨンホ
深沢豊 細川貴司 万里紗 山口翔悟(以上50音順)
安蘭けい 串田和美  

演奏:Dr.kyOn[ピアノ] 徳武弘文[ギター] 木村おうじ純士[ドラムス&パーカッション]

【スタッフ】
音楽・演奏:Dr.kyOn
装置:乘峯 雅寛
照明:齋藤茂男
音響:武田安記
振付:山田うん
衣裳進行:中野かおる
演出助手:石内詠子
舞台監督:田中直明

【作品情報】
KAAT×まつもと市民芸術館 初の共同プロデュース作品!
串田和美が選りすぐりの戯曲に歌やダンスをちりばめエンターテインメントに仕立てる、冬のカーニバルシリーズ!

この度、KAAT神奈川芸術劇場とまつもと市民芸術館、初の共同プロデュース公演を上演致します。
演目は、ブレヒトの傑作喜劇『マン イスト マン(男は男だ)』。人間とは何か、笑いとユーモアの中でアイデンティティをめぐる物語。出演は、フルオーディションで集った若手俳優と串田和美に加え、元宝塚歌劇団星組男役トップスター・安蘭けいが作品に彩りを添えます。
演劇に向かう情熱と理念を共有する劇場同士が満を持して制作する本作にぜひご期待ください!

【あらすじ】
かつてインドがイギリスの植民地だった頃の英軍隊内の物語。
機関銃隊のジップ・ジェス・ポリイ・ユリアのお馬鹿な四人組はチベット征服に向かう途中、寺院で賽銭泥棒をはたらく。しかし、ジップが逃げ遅れてしまう。
点呼でジップがいないことが鬼軍曹フェアチャイルドにばれないように必死の三人。そんな三人の前に、酒保のおかみベグビックに胡瓜籠を運ばされているゲーリー・ゲイが通りかかる。人に頼まれたら断ることのできないお人よしのゲイをジップの代わりに仕立ててはみたものの…。
人間とは何か。笑いとユーモアの中で、アイデンティティをめぐる物語は、予想もできない方向へ進んでいく。

【公演期間】
2019年01月26日(土)~2019年02月03日(日)

【会場】
KAAT 神奈川芸術劇場 大スタジオ

【チケット料金】(全席指定・税込) 
S席:料理つき9,000円 
A席:一般 前売6,000円・当日6,500円
U24(24歳以下):前売のみ・枚数限定3,000円(A席)
*S席は客席最前方にしつらえるテーブル席です。
開演中、お食事をお楽しみいただけます。

【ツアー情報】
2月8日(金)~13日(日)信毎メディアガーデン
2月23日(土)      ホクト文化ホール 中ホール
2月27日(水)      伊那文化会館 小ホール

【メディア掲載情報】
・チケットぴあ
>安蘭けいが串田和美と挑むブレヒト作品「おかみ役の素質はある」
http://ticket-news.pia.jp/pia/news.do?newsCd=201812120001

・エンタメ特化型情報メディア「スパイス」
安蘭けいインタビュー ひとすじ縄ではいかない串田演出の『Mann ist Mann(マン イスト マン)』に挑むhttps://spice.eplus.jp/articles/222116

・カンフェティ
ブレヒトの傑作戯曲に歌とダンスを散りばめ串田和美が贈る祝祭劇!
https://www.confetti-web.com/sp/feature/article.php?aid=550

・朝日新聞DIGITAL「WEB RONZA」
ブレヒトの傑作喜劇に安蘭けいが出演/上
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2018122500007.html

ブレヒトの傑作喜劇に安蘭けいが出演/下
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2018122500011.html

企画制作:KAAT神奈川芸術劇場/まつもと市民芸術館
助成:文化庁文化芸術振興費補助金(劇場・音楽堂等機能強化推進事業)
独立行政法人日本芸術文化振興会

   (出展:KAAT神奈川芸術劇場HP)


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