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ことしも、生きちゃった 。

2020年。
今年もなんとか生き抜いた。生きてしまった。

年末に思うこと


2019年の年末も同じことを思った。
毎年同じことを思う。
死にたいと毎日思うのに、今日も生きて明日もきっと生きてしまっている。

死にたい気持ちと生き続けるのはしんどい。
毎日綱渡りをしていて、いつ暗闇に落ちるかビクビクしながらただ息をするので必死。

明日のことすらわからないわたしには、今年1年の目標を立てられる人が、キラキラと輝いて、その光を手で覆い隠したくなるくらいにまぶしく、憧れてしまう。

だから、この時期のSNSはいろいろきつい。

東京オリンピック

2013年9月。
2020年、オリンピックの開催地が東京だと発表された。

生中継の映像を見て、この時には生きていないんだろうな…死んでるだろうな。
無条件に喜ぶ人たちの顔を見ながらそんな風に冷めた目で見ていた。

2019年の年末。
東京オリンピックまでには死ななきゃと、謎の使命感にかられた。
1年後の今、コロナでオリンピックが延期になったこの世界でわたしは、今年も死ねずに生きている。

コロナよりこわいもの


コロナコロナ…
コロナの感染者数が毎日テレビで流れ、ソーシャルディスタンス!

ー--コロナで亡くなりました--ー


1年前とはまるで違うその世界でも、わたしはコロナよりも自分の方が怖かった。

“コロナ鬱”
なんて言葉が頻繁に使われるようになった。
でもわたしは、アフターコロナなんて世界より前からそんなものと闘っている。

目に見えないウイルス
目に見えない心の病


わたしは、綱渡りの日々の方がよっぽどこわい。

理不尽な社会


コロナで亡くなる人より、自ら命を絶つ人の方が多い。
自殺者数が多いこの国で、さらに多くの人が今年は亡くなった。

芸能人の方が自ら命を絶った時には「一人で抱え込まないで!」「いのちのでんわに連絡を!」なんて声高らかに叫ぶくせに、毎日おきる人身事故には全然触れない。

今日も誰かが自らの手で、命を絶とうとしてるのに、

「電車遅延さいあくー」
「会社遅れちゃうよ」「死ぬなら迷惑かけるな」

そんな言葉で溢れかえる世の中は理不尽だ。


だって、芸能人が亡くなった時にはきっと、「ゆっくり休んでね」とか書くんだもん。

生きた、2020。


自殺のニュースを目にする機会が多かった2020年。
その度に気持ちが引っ張られた。
こんなにも才能溢れる人が亡くなったのに、なんにもないわたしは生きていちゃダメだ。早く死ななきゃ。

自己嫌悪で味も分からず過食をし、普段飲めないお酒で数えきれない量の薬を流し込み、首を吊った。

でも、生きてるね。

自殺のニュースを見るたびに毎回思うんだ。
“あの世に行ける人と行けない人の差は?”


主治医はね、「運」っていうんだ。
どっちに行くかは「運」

きっと来年も。


2021年もきっと死にたいと泣き喚き、あらゆる方法で死のうとし、生きてる自分をきっと責める。
相変わらず人生は真っ暗闇のトンネルで、どっちを向いて歩いてるのかわからないけど、なにか小さな光が見つかるといいな…

2020年の12月、ギリギリ飛び込んだこの1年にnoteをはじめた。
わたしの大好きな友だちが言ってくれた

「もこ。の文章ってすてきだよね」

そんな言葉をふいに思い出したから。



こんなわたしの文章を読んでくださってありがとうございます。覗きにきてくださってありがとう。♡を押してくれてうれしいです、、!

2021年はnoteをぼちぼちがんばろうかな。
なんて、SNSに溢れるキラキラ眩しい人たちみたいなこと言っちゃった。

2020年、ばいばい。


もこ。

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