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母との関係で辿り着いた思い ⑲

※注)これは、2020年から私の身の上に起こったことを
思い出しながら、それを乗り越えるまでの経緯を
書き綴っているお話です。
先の事はわかりませんが、今現在はたくさんの出来事を超えて
新たな課題と共に元気に生きています。

(2020年4月)

それは人生の中で良くも悪くも、とてつもなく大きな影響を及ぼす存在。

癌と宣告された時、自分でもどこかで違和感を感じていた母との関係性。

精神の観点からみると、自分の健康が崩れてしまう原因の一部に、この関係性が深く関わっていると、以前紹介した本の内容と自分がシンクロしていて、興味深かった。

もちろん親子関係だけが原因ではないけど、今までにも精神的に辛い時や何か大きな問題にぶつかった時には、最後に必ず出てくるのは、母との関わりや影響だった。

とにかく解消したくて、ここを乗り越えないと生きていけない気がして、かなりの時間この問題に向き合った。

たくさんセラピーを受けたり、自分でできる意識のワークをたくさんやってきたけど、気持ちが軽くなり理解は深まるが、改善するのは一時的で、根本的な解決にはならず、結局はその後も何度も何度もでてくる感情だった。

そうなると気持ちが塞がって、絶望的で何日も誰にも会いたくなくて、家で眠りたくなる。思春期の時期からそういった感情の繰り返しがとても苦しかった。

自分が成長するにつれ、いつのまにかあえて逆の事をしては反発していた。

自信に満ちていて、家事や仕事をテキパキこなして、人の為にたくさん貢献している母を、幼い頃から尊敬しながらも、真逆の私は何かと上手くできなくて、いつもどこかプレッシャーを感じていた

幼き頃から私はできない。
ダメなんだ…。
ダメな自分は人に迷惑をかける。
両親の笑顔の為には、言われた事や学校や勉強をちゃんとやらねばならない。
いい子でしっかりやらないと親を悲しませる。 役にたたなければ!
思いはあるけど、どれもできない。

兄も姉もできる人だった。申し分がない。親が思う…いやそれ以上な生き方ができる人達だった。
兄姉からすると、私は末っ子で1番手がかかり、可愛がられたと言うが、私はめちゃくちゃだったので、1番厳しい言葉を言われ続けた子だと感じていた。

真っ直ぐに引かれた線の上を歩くのが苦手だった。基本みんな優しかったので、厳し過ぎる家庭ではなかった気がするが、きっちりと線の上を歩ける真面目で勤勉な家族だった。
そんな真面目で優しい家族の中で、自分は浮いていて、考え方が合わなくて、私がやることなす事は理解不能だったから、何かやりたいとなると、最終的にはその方向に進むのだが、いつもまず始めは反対されていた。

母や家族の事は大好きだったのに、自分が大人になり別の世界に住む人達に会えば会うほど、今までの自分に違和感を感じたり、教わってきた事がなんか違うのかも?と思い始めたり、すごく狭い世界に生きていたように感じた。

小さい頃から考えていたもっと大きな別の世界に、自由に羽ばたきたくて、家族といる慣れた時間が心地よくて楽ちんに感じながらも、自分らしく生きれていないように思えて早めに家を出た。

そもそも自分らしさって何だろ?それもぼんやりはしていたが…。

家を離れ自由に飛び回り、自分の思うように生きていたつもりだったけど、違う事をやると家族や親を裏切っているような気がしたり、遠く離れてくらしていても、常に頭の中はこんな事してたら、母はどう思うだろう?とか、常に叱られるような気がして思いっきり楽しめない自分がいたりした。

誰も強要してないけど染みついた感覚。 外れないロックされた状態。

喜んでもらいたい、役に立ちたい…。私の中の子供が成長できずに時間が止まったまま存在していて、どうしたらいいのかわからずに、いつも自分を責めては泣いていて、やりたくない事も自分に合わない事も頑張ってみたり、そんな自分を認めてもらいたくて頑張っていた。

もう1人の自分は、真逆で反抗している。特に自分が母になってからは、更に母に対する反発心が倍増していた。

何故かというと、母が私に言ってきたような事を何一つ我が子に思わなかったからだ。そして私が見た世界も思っていたのとは違う世界だったから。

子供には自由に生きて欲しいと思い、子供の楽しそうな顔が見たいし、やりたいという事はできるだけやらせてあげたいと思った。安心して思う存分遊んで欲しいし、彼らの選択を信頼したい。
そして何より自分が感じていたような思いは絶対させたくないと強く感じていた。

なのに現実は、子育て中に時々出てくる母に似た私。社会との兼ね合いを考えてしまう私。
言いたくないのに、気づいたら自分が言われた事を激しく我が子にリピートしてる自分を心底恨んだ日が多かった。 

子供を産む前には感じでいなかった感覚が確かにあって、不安や心配、自分のように生きて欲しくないという思いは以前のよりも増して、時にキツい言葉で伝える事も多かった。寝顔を見ては反省しては疲れる日々。

でも、時々母の気持ちもわかるような気がしたりして…。

ふと立ち止まると自分には何もなくて、
自分はどこにいってしまったんだろう…。上を見上げたら母の為、下をみたら子供の為。

私の為が一つもなくて、私の事は気にかけなくて、いつのまにか私が喜ぶ事は何もやらなくなった。
何かする時は外側に向けた事ばかりだ。

上下に挟まれた私の気持ちは、自分で勝手に背負っていた『期待に答える事』で精一杯。気づいたらまた自己否定と自己嫌悪だらけになってしまっていた。

完全に空回りの悪循環がぐるぐる回って、自分の思いと現実は逆ばかりを辿っていった。

身体が病んでしまったのは必然だった。
『私に気づいて』『自分の思うように生きて』『力を抜いて息をして』と伝える為だったんだと思う。

宣告されてからは、できるだけ自分の方を向くことを癖づけて、自分の心身の調子に意識して生きようと誓った。

時間は思ってるより短いから、もうこの警告を無視して生きていては、ほんとにダメになってしまう。だから変えていかねば❗️ とかなり意気込んでいた。

退院後の私は家事労働は一切できなかったので、母が1カ月面倒を見てくれていた。その存在はとてもありがたくて大きかった。

それでも時々、同じ屋根の下ぶつかる事も多々あって、自分の思う理想の生活や私らしさと思っているこだわりが、母の生活習慣や美的センスとは合わなさすぎて、不満に思ってしまったり、こんな時にでも母の口癖は変わらず、自分に向けての言葉は飲み込めても、我が子に向けての言葉が、自分がよく言われていた内容だと異常なリアクションが起こり、我慢できずに口論になったりした。

食事にも気をつけて暮らさねばと考えていたけど、自分が思っている食材と母が買い慣れたものが違いすぎてうんざりした気持ちになったり。

今、思えばほんとにつまらないこだわりだ。人の行為はその人のものだから、受け取るか否かは私次第だ。受け取れなくても感謝する事は可能だ。
でも、嫌いなものでも受け取らないと悪いという間違えた思い込みで、仕方なく受け取るから強制されてるように感じたりする。

その逆もしかり、自分を理解してもらおうと必死に訴えてみたりして…。もちろん自分の意思を伝える事は大切だけど、正直相手が受け取ろうが理解しなかろうが関係ない。
自分がわかっていればいいのだ。

母の人生だって色々あったのだ。
大変な事をたくさん乗り越えてきてるはず。何かに言い訳したり文句を言ってるところは見たことがなかった。
自分にも厳しく有言実行する人なのだ。

私はどうだろう?傷ついた気持ち?いつまでもわかってもらいたくて、もう終わってる過去の話を引きずっている。

もし今日また更新されて新たに何かあったとしても、私が私を愛していれば、誰に何と言われようと、どんな事があっても傷はつかないはず。

奥底に存在している本来の魂には、傷なんてきっとつかないんだと思う。

もし痛みを感じたのなら、1番傷をつけてるのは他者ではなく、自分自身であり自分のエゴとエゴの戦いなんだと気がついて急に何かが異常に抵抗を始める。

『ありのままの自分を愛せない私は、ありのままの全てを愛せない。』

1カ月の時が過ぎて、母が帰る日『ありがとう』と随分小さくなった背中を見送った。1分1秒でも大切な時間だったのに、自分はほんとにバカみたいだった。

もう会えなかったらどうする?こんな事になってもまだ変わらない感情。自分に呆れている間にも、何かが崩れ落ちていく…怖くてさみしくて、落ち着かない。部屋を歩きまわりながらこれ以上にないくらい泣いた。

幸い旦那さんと子供達は母を見送りに行ったから、怖いくらいに思う存分泣くことができた。何かが消えてなくなりそうだ。何故だかわからないけど、怖くて怖くて震えていた。

私のエゴは、母が買ってきたものや、外から見た見栄えとか自分の価値観とあっているかどうか、スタイルだけで頭でガチガチに決めている自分だけのルールしか見てなくて、シンプルに私の事を思ってしてくれている純粋な母の存在や心は全く無視している状況だと気づいた。

まさに自分に対してしている行為と全く同じだった。

形だけのもの、目に見える状況、ステイタス、単純に入ってくる言葉だけに反応し、その奥にある隠れた愛には全く気づかない。

それこそ、美しく、そつなく精神性が高そうな振る舞いで、愛に満ち溢れてるような動作をとれる人もたくさんいるだろう。

でも、みんながそうでは全くないのだ。
そうでなくても全く問題ない。
表現できない人もいる。知らない人もたくさんいる。

むしろ心があれば、その他についてくる付属品のような事は正直どうでもよいのだ。

私は精神性を追い求め、瞑想したり人生を探究したり、自己啓発にとりくんだりしてきた。だからこそ色々な事があっても冷静に対処できたり、物事の本質を見る事ができたり、ある程度の心の平穏を保ってこれたのかもしれない。

でも、時折そこには大きな落とし穴があるように思う。

私は特別な事をやっている。私は知っている。私は普通の人とは違い気づき、目覚めている…etc....

普通の人ってなんなんだ?精神世界に携わる人達はよく口にする傾向がある気がするが、普通の人?一般の人?
蓋を開けてみれば、みんな普通なんだ。
みんな違うだけ。

私も大人になって母とは別の道を歩んだから、いつもそんな風に思っては、だからわからないんだ!とか思っていた。
でも、違った。

いつまでも癒される事がない私のエゴとは違い、私の中の子供はどんな時でも純粋で全てが大好きなのに。成長なんてしなくいい。我が子からも教えてもらったが、子供のほうがよっぽどクリアな目を持っているんだから。頑張らなくてよかったんだ。

どんな人でも、どんな状況でもその奥に潜んでいる何かを純粋に感じて見ると、その裏側にはたくさんの愛が隠れている。

それは歪んでるかも知れないし、時には残酷かも知れないけど。

何も特別ではなくて、ただただそこに存在しているだけ。起こる事は全て必要な事だから、繕う事なく損得なしにただ自分を生きていくだけ。

他者は鏡とよくいうけれど、私が私を愛して、ありのままの自分を許して、話を聞いて、癒してあげないと、
いつまでも私の鏡に映るのは、そうやって歪んで拒絶した現実が広がるだけだ。

みんなそれぞれの生き方があり、好みがあるけどそれを拒絶してしまうのは、自分を拒絶し、自分のありのままを許してなかったから。

私は私、あなたはあなたでいいんだと、だから無理に変えなくていい、自分も相手の事も。 わかってもらえなくても、わからなくてもいい。

ただそうなんだと。それが今の精一杯、全てなんだ。否定する事なんて、足りない事なんて何一つない。

今、この瞬間の自分が完全な状態だと許可すれば、他者との境界線も消えてなくなって、シンプルで純粋な感覚だけが残る気がする。

それはとても優しくてあたたかい。

私がこんな気持ちになれたのは、今回の滞在期間に感じた事を止めずに、嫌というほどにぶつかったからかもしれない。

病気になってからは、今まで言えなかった事もたくさん共有して、たくさん話せた時間はとても貴重な時間だった。

そして、何よりも子が母を思う気持ち、母が子を思う気持ちはかなり強烈で根深いものがある。
時に苦しく、でも慈悲深い。

これまで色々な事があって、喧嘩もしながらも、結局はいつも変わらず、母なりのやり方で私を守ってくれていたんだ。そして、そんな不安定な私にいつも正面から向き合ってくれた事に今は感謝でいっぱいだ。

これからも色々あるだろうけど、きっと緩やかな波に変わるだろう。

お母さんありがとう。
あなたの子に産まれてよかった。

…続く

※最後までお読み頂いてありがとうございました。この記事がよかった方は『スキ』又は『サポート』よろしくお願いします。


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