「お祭り」から「感謝する日へ」~私のクリスマスの過ごし方~
病気療養中のmominです。
クリスマスです。ハロウィーンが終わったと思ったら街は一気にクリスマスモード。逆に落ち込む私。
診察で検査の結果が悪かったんです。大動脈解離の関連かどうか定かではありませんが,腎臓の機能がおかしいとか。酒の飲みすぎ?主治医に聞いてみたら関係ないとのこと。ほっとする私。酒が飲めるぞ~。
でも、MRIとエコー検査が決定し,またドキドキの私。
今年は奥さんや子供たちにクリスマスプレゼントは用意できませんでした。大病を患い,職を失った自分にとって,毎年してきたことをやめるのはつらいことです。子供たち3人は成人していますが,今年は春から私の病気で苦労をかけてしまいました。それを思うと情けなくなる私。
でも,でもじっとしていられない私。
重い体をおして街に出てみると…。
ショッピングセンターに大きなクリスマスツリーが。そのてっぺんにはお定まりのようにダビデの星が輝いています。この星って,救い主イエスが生まれたことを羊飼いたちに知らせた星だそうです。本来私たち人間が持っている罪(原罪)や神への不信仰を許すために神様が世に使わされたのです。
また歩くと,サンタクロースの赤い服を着たペコちゃんやらカーネルサンダースやら…。
そもそもサンタクロースってニコラウス神父のことらしいです。
この神父,クリスマスだというのに何もできない貧しい家庭が多くいることに悲しみ,せめてクリスマスぐらいは楽しい思いをさせたいと金貨や銀貨,キャンディーやお菓子,クッキーを窓の換気口などに投げ入れて歩いたそうです。その一つが乾かしていた靴下の中に入ったそうな。(のちに「セント・ニコラウス」が「サンタ・クロース」になったそうな。)
聖書の一文に「神はその一人子を世に遣わすほどこの世を愛してくださった。」(原文と照合してはいません。)とあるのを思い出しました。互いに愛すること,思いやることの大切さを思うにつけ,戦争などの愚かな行為に悲しくなるのは私だけではないようです。
また,私は寛解と言えないまでも命を与えられ,不自由さはあるものの,生かされています。神に感謝です。そんなこんなの気持ちを何かの行動で表したいと思いました。
まず,家にクリスマスツリーを飾らないことにしました。子供たちは独立していますので家をお祭りにしなくてよいのです。その代わりにキャンドルハウスをテーブルに置きました。
次に,奥さんとステンドグラス体験会に行きました。今までプレゼントをしていたのですが,今年は叶わないので,せめて思い出だけでもと思ったからです。
教会には,今まで通りに供え物を教会員数以上の数を贈りました(なけなしの金をはたいて気持ちだけ高価なものにしました)。私の病気でたくさんの祈りをささげていただいたと聞いています。小さいころにキリスト教系の幼稚園に通っていたので,教会にはなじみがあるんです。
最後に,これから迎えるクリスマスイブに,奥さんと二人で静かに夕食の時を持つことです。もちろん,私が料理を作ります。せめてもの奥さんへの感謝の気持ちです。
本来のクリスマスの意味を知っている方は多くないと思います。私もそうだったのですから。また,私が思っているクリスマスが本来のクリスマスの意味と同じだとは思っていません。信仰は別として,せめては「今ある自分を支えてくれた人やことを思いめぐらし,感謝する」そんなクリスマスであればと思っています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?