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写真を撮らない人に憧れる


旅行や遊びに出かけて、一枚も写真を撮らない、というか撮る気すらない人に憧れる。

他はたとえば、

超有名人と会っても「応援してます!」と握手を求めるだけで、一緒に写真を撮ることは興味がないような人。

美しい盛り付けの料理の写真は一切撮らず、熱々のうちにすぐ食べるような人。

結婚式で、新郎新婦にカメラは向けず、ふたりに向かって笑顔で全力で拍手を送っているような人。


それはつまり、後で写真を見返そうという気も誰かに見せる気もなく、仕事やブログなどで使うつもりもなく、SNSにアップなんてもちろん興味がない、ということ。

思い出を残すことにはあまり興味がなく、その場を楽しむことを優先し「今」だけを大切に生きている人。(携帯、スマホが普及する前はその光景が当たり前だったのにね)

そんな人の、その無欲さに、私は憧れる。


「憧れる」ということはつまり、私が今「そんな感じの人ではない」ということだ。

私は、すぐにカメラを構えて撮りたくなってしまう。
思い出を残しておきたくなる。

特に娘のこと。

成長スピードも著しく、二度と返ってこない貴重な瞬間なので、いつか子育てが終わって写真やビデオを見返して懐かしむために、未来の自分のために、記録しておきたくなってしまう。(インスタなどのSNSはやめたのでSNSにはあげない)

記憶力も悪いのでなおさら。何気ない日の娘の姿ほど、たくさん撮っておきたくなる。



逆に、人間以外への好奇心、興味、関心がすごくある人への憧れも昔からある。

例えば、昆虫とか魚とか、料理(誰かに食べてもらう喜びではなく料理を作ることへの情熱)とか車とか鉄道とか

まぁなんでもいいのだけど、とにかく好きなものへのハンパない愛と情熱がある人。(要はオタク)

さかなクンとか、もうめちゃくちゃ憧れる。
(魚に興味はないけど)

大好きなことがあって、それに関する仕事をしていて、魚について話す時の彼はいつも楽しそうで、見ているこっちまで楽しくなってくる。


自分自身や、家族、まわりの人のことを考えたり、人生での苦悩や幸せについて考えたり、さらに広く社会問題について考えたりするとき、そこには必ず「人間」がいる。

自然と、人間の行動や思考や感情へ、思いを馳せることになる。


それは、とても大切なことでもあるし、考えるのも大好きな分野だけど、たまに疲れてしまうときもある。

「人間ってめんどくさ!!」と、考えるのもうんざりする時がある。


そういう時、興味が人間以外に向いている人っていいなぁと思う。

私は小説や映画や音楽が好きだけれど、作品鑑賞系は、その作品を通してどうしても自分や他人といった「人間」について考えることに結局繋がっていくので、なんか違う。スポーツ観戦も選手ありきだし違う。

鉄道や車などの物体は人間が作ったものではあるが、その対象物を愛でるときにはその物の魅力を楽しんでいるだけで、それを通して人間のことを考えているわけではないと思うからOK。(何が)


なんというか、良い意味で「人間に関心がない」人に憧れている。

しかも、そういう人って、なりたくてそうなったわけじゃなくて、もとから本当に他人に興味がなく、勝手にそうなっている人が多いと思う。天然。羨ましすぎる。笑


天然には勝てない人工だけど、私も来年は、すぐ写真を撮らないようにちょっと気をつけてみようと思う。

他人に関心がない人を装ってやるんだ。

「人間」のことをこうしてあれこれとここで書いている時点で興味がある証拠だから、すでに矛盾しているんだけどさ。


↓この話の続き。

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