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席を譲るだけのことで勇気が必要だなんて、大人として情けないです


前回、吉野源三郎の小説『君たちはどう生きるか』に出てきた「常に自分の体験から出発して正直に考えてゆけ」という言葉がいいなと思い、あれこれ書いた。



そして読み終わった今、ほかにも素敵な言葉はたくさんあったのに、主人公のお母さんの話がなぜか印象に残った。(どの章もすごく良くてたまに泣いた)


ある日、重そうな荷物を持って石段を登る老人に「お荷物お持ちしましょうか」のたった一言を言う勇気が出ず、結局石段を登り終えるまで声をかけることができなかった、若かりし日の母。

「なぜ私はあの時声をかけられなかったのか」と、勇気を出せなかったことをずっと後悔していた。

でも振り返れば、その経験は恥ずかしくて後悔するものではあるが、決して損ではなかった。

その時の後悔があったおかげで、その後の人生で「あの時と同じ失敗は二度とするもんか」と自分を何度も奮い立たせることができたからだ。

そんな感じの話。



分かるなぁ、と思った。
知らない人に声かけるのって、結構勇気がいるんだよなぁ…。


声をかけると言えば、満員電車でお年寄りに「よかったら席どうぞ」と言うシーンが一番身近だ。

シャイで臆病な我々日本人が長年抱える
「席を譲ろうか葛藤する」問題。


よく考えたら、バカバカしいわけよ。

「よかったらここどうぞ」ってただ声かけるだけなのに、なんでこんなに勇気が必要なんだろう?って。

全く恥ずかしいことじゃないし
むしろ褒められることなのに。

なぜか、結構勇気がいる。
毎回葛藤する。チキンすぎ。


ちょうど先日、私は満員電車で立っていた。
しばらくすると、目の前の席が空いたので座った。(優先席ではない)

座った瞬間、目の前に70〜80代くらいの女性が来たので「あ、わたし座っちゃいかん」と思って「どうぞ」とすぐに立ち、席を譲った。

座った直後だったので考える前に反射的に立てたし、この時は全く勇気はいらなかった。


席を立って少し動いたら、たまたま目の前の席が空いていたので座った。おばあちゃんに譲ったのは端っこの席で、私が座ったのは真ん中あたり。3人分くらい離れたところだ。

しばらくして、顔を上げると、さっき席を譲ったはずのおばあちゃんがまた立っている。

あれ?

代わりに、おじいちゃんが座っている。
90代くらい。かなりご高齢。

おばあちゃん、自分以上の高齢者が来たからきっと譲っちゃったんだ。


私が席を譲ったのに、彼女はまた立ってる。
彼女に譲った私は、座っている。

なんか変な状況。

「これって、またあの人に席を譲るべき?どうしようかな」と思った。


でも、話しかけるには若干遠いところにおばあちゃんは立っている。

目の前なら声をかけやすいけど、ここからちょっと離れて立つあの人に席を譲るのって、どうだろう?
そこまでする必要はないかな。

私より近いところに座ってる人もいるし
譲るのがまた私である必要、あるかしら。


あぁ、どうしよ、どうしよ。
そりゃ、声かけて席譲った方がかっこいいよね。
迷ってるくらいなら譲ってしまった方が早いか。

あぁ、でもなぁ〜目の前ならまたすぐ声かけるんだけど、もう遠いなぁ…私も疲れてるし、今日はやめとこかな。それに席を譲って立つって決めたのはあのおばあちゃんだし、私にそこまでの義理はないかな、このまま座らせてもらおっかな…

譲らなくて済むためのズルい言い訳ばかりが
ぐるぐるぐるぐる。



結局、声をかける勇気が出なくて
私は席を譲らなかった。譲れなかった。

私より先に、おばあちゃんは降りていった。



今思えば、何を迷ってたんだろう。

情けない。
声かけるくらい、なんだよ。
何が恥ずかしいんだよ。
アラサーにもなって、しょーもない。
チキってんじゃねーよ。

勇気を出せなかった自分に、ガッカリした。

同時に、次同じようなことがあったら迷わず声をかけよう。そう自分と約束した。



そもそも、こんな葛藤をするくらいなら、最初から座らなければいいのかもしれない。立っていれば、人に席を譲ろうという機会は生まれない。

でも、人に席を譲るつもりの私が座っておくことで、席に座りたい高齢者や妊婦さんが座れることになるのかもしれない。

悩ましい。
何が正解なんだ。


だけど高齢化社会だから高齢者ってたくさんいるし、毎回高齢者に譲ってたらキリないんだよな、って思ってしまう冷たい自分もいる。

私の中では、
高齢者より妊婦さんの方が圧倒的に優先度高い。

高齢者は正直ちょっと迷うけど、「おなかに赤ちゃんがいます」マークに気付いたら即譲る。迷う理由がない。

お腹がまだそんなに出てなくても、つわりで辛いのかもしれないし、つわりもなくて元気だったとしても、いいから妊婦さんは座ってて!!と思う。(自分の時つわりや貧血が本当に辛かったから余計に)




とにかく、席を譲るってだけのことで、勇気がいるとか葛藤するとか、ズルい言い訳を考えてしまうとか、なんか、大人として情けない。

ご先祖さま、子孫がこんな器の小さい情けない人間でごめんなさい。


そもそもなぜ、声をかけるのに勇気がいるのか?

たぶん、周りに人がたくさんいるからだと思う。

例えばこれが、周りに誰もいない駅のベンチとかだったら、たぶんすぐ声をかけられる。

満員電車で、周りに観察者がたくさんいるという状況が、変に緊張してしまう原因だと思うのだ。



声をかけたら、きっとみんながこっちを見る。
声をかけて、もし断られたら気まずい。
譲れたとしても、そのまま近くにずっと立ってるのなんか恥ずかしいかも。(できれば次の駅でサッと降りたい)
私が立ち上がって譲る前に知らない人がその席にすぐ座っちゃったらどうしよう。


こうなったら、どうしよう、どうしよう。


周りの目ばかり気にして、まだ起きてもいない悪い妄想ばかりして、せっかく持ってる自分の優しい気持ちや勇気から逃げるなんて、なんて情けない、なんてダサい、なんてくだらないんだろう。


『鬼滅の刃』の炭治郎や煉獄さんだったら、絶対にこんな考えすら抱かない。

「そこのおばあさん!この席に座ってください!」と大声で言いながら、サッと立ち上がるに決まってる。


私は、何を迷ってたんだろう。

次同じことが起こったら、絶対に、迷わない。
余計なことを考える前に動く。

これは、自分との約束。

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