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灯台の小道

歩くのは好きですか?

(それとどうか、深呼吸を忘れずに、
体に良い、とお医者から聞きましたよ。)

どこかへ向かって歩くのも
当て所なく歩くのも良いものです。

一歩ずつ確かに進んで行く感覚が好きで
私はよく散歩に出かけます。

右足を出し、左足を出す
(あるいは、左足を出し、右足を出す
あるいは、足が悪くても、無くても
それは人それぞれですよね。
向かう感覚には変わりありません。)

その単純作業を繰り返すと
いつの間にかどこかへ辿り着く。
素晴らしい力です。

何が幸せかわからないです。
本当にどんなに辛い事でも
それが正しい道を進む中の出来事なら
峠の上りも下りも、みんな本当の
幸福に近づく一足づつですから

これは、かの有名な
「銀河鉄道の夜」の一文です。

私は宮沢賢治さんの紡ぐ
美しくて優しい言葉達が好きです。

恥ずかしながら、私は
しょっちゅう道に迷います。
(地図上でも、そうでなくても)

欲しいものを欲しいと
したい事をしたいと
何故だか言えない人間なのです。

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歩きながらどこへ向かうかも
わかっていない様な私も含め、
生きるものは皆、歩みを止めません。

正しさや幸福、私達を支配する感情が
私達を、簡単に幸せにする様に
苦しめこともあるのです。

私は私の声を聞く事が下手なので
道に迷う事が多いのだと
ようやっと気が付きましたよ。

外に転がった正しさや幸福を
追いかけてばかりで、それはなんだか
つまらない時代だった様に思います。

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それから私は、私の声を
よく聞く様になりました。

それは絶え間ない囁きで、まるで
真夜中のラジオの様に止めどありません。

そうやって歩き始めた道で出会う
あんまりに悲しいことや
あんまりに辛いことは
厄介でも道すがらの様に思えるのです。

もちろん完全などありはしません。
病も死も、膝が笑う程恐ろしいですし
手に入らない幸せに思い悩みます。
(怖いものばかりで情けなくなりますが...。)

しかし規則正しい幸せもまた
ありはしません。私達の感情が
それを判断するのですから。

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全ての感情は、なんだか
得体の知れないものです。

それでも私達は、それぞれの定義する
幸福に触れたことがあるので、
きっとそれを追いかけて行くのです。

その道が、世界にとって正しいかどうかを
考える必要はありませんよ。私が望むなら、
それが例え真夜中の様に真っ暗な道でも
私の中の、正しさが照らします。
(確信を持てないなら、引き返せば
良いことですしね、大抵は大丈夫ですよ。)

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言葉や絵、思想を遠回りして
私に辿り着いた美しさは
私を穏やかに導いてくれるのです。

気が向いたら、散歩にでも
出かけましょう。部屋の中を
歩き回ったって立派な散歩です。

そして部屋のドアを開けるだけでも
バルコニーに座っているだけでも
それは私達の選んだ小道なのです。



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