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消しゴム詐欺師。

私は子供のころからひどく大人びていて、いわゆる「いい子」だった。
何に対しても、私がやらなきゃ、きちんとしなければ。
そう思っていたし、周りから求められてもいた。
さらに「お姉ちゃん」だったことが、そんな性格に拍車をかけていた気がする。
これは、そんな「いい子」が消しゴム詐欺師になった話だ。

田舎の小学生事情

小学生のとき、自分が持っているもので個性を主張することに命を懸けていた。特に田舎だと商品の種類が少ないから、何かを持っている、持ってない、というだけでマウントの奪い合いが激しい。
欲しいものがあれば買ってもらえるけど、そもそも田舎はお店までが遠すぎて、自分一人で行って欲しいものを物色するなんてことはできない。
だからお小遣い制ではなかった。使うべきお店に自分で行けないのでは、お小遣いの意味がないからだ。
だから、“たまたま”親の都合で買い物に連れて行ってもらったときに、“たまたま”そこにあるものを見まわし、吟味する間もなく瞬時に選ばなければ、何も手に入れることができなかった。

初めての「物欲」

そんな環境でしか自分の買い物をしたことがなかった小学生当時、学校でプチブームになっていたブランドが、UNITED COLORS OF BENETTON。
“たまたま”買い物に出かけ、BENETTONのペンケースを“たまたま”店先で見つけた。自分の意思があるわけじゃないから、BENETTONという文字だけを見て、「みんなが持ってるから」と、そんなに好きではなかったオレンジ色にも関わらず買ってもらった。

でも学校でそのペンケースを話題に会話が弾んだりして、愛着が湧いてきた。だんだんと、「えんぴつ、消しゴム、定規、もBENETTONのがほしい、そろえたい!」と思うようになった。
もちろんネットなんかないから、そのペンケースを日々眺めては、「次に何を買おうか」「あそこの店に行きたいと頼んでみよう」と、頭の中に想像のカタログを開いていた。
このペンケースは、物欲を持つことを知らずに生きていた私に、初めてそれを教えてくれたアイテムだった。“たまたま”行ったお店で妥協した何かを買ってもらうのではなく、意思を持ったのだ。

消しゴム詐欺師への序章

そんな初めての物欲を沸々と温めていたある日。
学校から帰宅して、ふと妹の机の上を見ると、変わった柄の消しゴムがあった。こんなの持ってたっけ、と何の気なしに手に取ると、そこには「BENETTON」の文字が・・・!
衝撃。

あの子、これをどこで買ってもらってたんだろう。
これは私が今、すごく欲しいものなのに!
そうだ、これは間違いなく私が持つべきもの。
なんとかしてこれを手に入れなければ・・・

直感的に、そう思った。
私にとってその瞬間、この消しゴムを手に入れることがすべてになった。
そして、行動に出た。

「ねえ、ちょっと来て」
「なに~?」

その時、私は12歳、妹は6歳。
妹は私がどんな黒い腹で呼んだかも知らずに、いつものように無邪気に、でも少し訝しげな表情でこっちにやってくる。歳の離れた姉に邪険にされることはあっても、呼ばれることなんてほとんどないからだ。

「この消しゴム、どうしたの」
「ん~、この前買い物に行ったときに買ってもらった」
「ふーん。。」

なぜ私が消しゴムに興味を持つのかわからず、戸惑いで上目遣いになる妹。

「ね、お姉ちゃんの机にあるものとその消しゴム、交換しない?」
「えー??でも・・・」

「とりあえずお姉ちゃんの部屋来なよ。
・・・これは??これはダメ?じゃあこっちは」

交換してもいいよ、という許可を取る気は、さらさらない。
矢継ぎ早に自分の机から妹が好きそうなものを差し出す。

陥とした、堕ちた

「わかった、じゃあこれは?」
「・・・ほんと?」

目が輝いている。陥落させた、とわかった瞬間だった。
最終的に交換していいと妹が言ったものは、もはやなんだったか覚えていない。キャラクターもののえんぴつだったか、何かの小物入れだったか。
それほど必死だった。

「それならかえっこしてもいいよー」

妹が、嬉々として件の消しゴムを差し出す。

「ハイ!」

「・・・」

そこからの記憶は、スローモーション。
勢いよく広げられたはずの妹の手のひらがゆっくりと開き、喉から手が出るほど欲しかった消しゴムが目の前にある。

だが、それに手を伸ばした瞬間、吐き気に襲われた。

リョウシンノ、カシャク

「・・・いい。この消しゴム、やっぱりいらない!」
「え?! じゃあこれ返すよ」

急に笑みが消えた姉を見て、妹が慌てて取り繕う。

「いい。それもあげる!」

交換しようと言われたのは何だったのかと、わけのわからない表情。
それでも、急に私の様子がおかしくなったことと強い口調に押された妹は、いつもの気分屋か。なんかよくわかんないけどトクしちゃった、といわんばかりに、無邪気な「ありがと!」を残して出ていった。

私は一人、自分のしでかしたことに呆然としていた。
吐き気で我に返り、泣くにしてはおこがましい、どうしようもない気持を抱えて考えた。
私は、してはいけないことをしようとしたのではないか。
いや、したのだ。


6歳の妹にBENETTONの文字なんて読めるはずもない。
おそらく、店で見て柄が気に入っただけのはず。
私はこの消しゴムがBENETTONであることを知っていて、学校でのBENETTONのブランド価値も知っている。なのに、交換しようと言ったとき、このことを妹には教えなかった。
金銭的な意味ではない。
自分にとってBENETTONの消しゴムと同等の価値のものなんて、机の上にはなかったのに。
私は明らかに、相手より知識が多く立場が有利なことをいいことに、大きな価値を小さな価値と同等に見せかけ、その偏頗を利用して手に入れた。
つまり、詐欺師だ。


良心の呵責、なんて言葉は知らなかったけれど、自分の欲望にとらわれて相手のことを考える余裕をなくし、挙句の果てに守るべき妹を相手に罪を犯した。

ごめん、ごめんね。
ごめんなさい。

それまで基本的に「いい子」だった私は、生まれて初めて自分に絶望した。
胸の奥の方に鉛のような重さを感じつつ、なぜかこれを、苦しいと思ってはいけないものだ、と感じていた。

罪に罰

最終的にラッキーだと思ったままの妹は、姉の謎の行動に振り回されたことなど忘れ、その日の夕飯時は上機嫌。
「今日お姉ちゃんからこれもらった」と嬉しそうに話している。
無邪気な言葉が、まだ流血中の傷をエグってくる。
ああなるほど、これが罰というものか。

「よかったねえ、いいものもらえて。ありがとう言った?」
「うん、言ったよー」
「お姉ちゃん、エライねえ」
「別に、もういらなくなってたから」

いつもの「いい子」回答をしながら、味のしない夕飯を口に押し込んだ。

違うんだよ、お母さん。それは慰謝料。
私が罪を犯したんだから、妹が手に入れて当然のもの。
私がエライからじゃない。

もちろん、当時の私の「いい子」プライドはすべてをぶちまけることを許さなかったし、こんな自分の心の機微を伝えられる能力もなかった。

私はこの日、罪を犯し、良心の呵責を知り、罰を受け、禊ができない苦しみを知った。
妹は、きっと何も覚えちゃいないだろうけれど。

もしかしたら、私が仕事をするうえで、すべてにおいてどんな条件のもとでも全員がフェアであることを徹底しなければ気が済まないのは、これが原体験になっているからなのかも、しれない。

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