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2023年9月25日 2回目

 昨日、#初投稿 を済ませてしまったので今日からは使えなくなってしまった。正直ずっと初投稿ですと言い張りたいし、昨日の自分と今日の自分は違う人なので毎回が初投稿でもいいだろと思うところがある。
 面接時に我が社の他に何社ぐらい受けているかなどと訊かれた。素直に1社目だと答えた。もしそれが8社目だったりしたら別の結果になっていたのだろうか。
 何のこととは言わないが、1回目は大切にした。でも1回目でこんな感じかと思ってしまったのか、なんでもいいやの思ったのか3回目は無いだろうとか明日も生きてるかわからないと思い、2回目は雑にした。だから、それ以降かなりどうでもよくなってしまった。
 1回目の時に
「後で後悔しない?」
と訊かれたので
「してないし今後もしない」
と答えたが、2回目の分はめちゃくちゃ後悔している。それは1回目をもっともっと大切にしたらしなかった後悔なのだろうか。16歳の私の中では将来よりもその瞬間とか、そのままが継続されるのでは無いだろうかという焦りとか、16歳らしいという簡単な言葉でまとめてしまうと、そういう思春期特有めいた刹那的な考え方を持っていた。
 19歳になり、何故か2年間好きだった人に誘われたが断ってしまった。一気に今までの世界がまるで違う場所のように感じられた。馴染みのあった軽やかな優しさのようにみせた何でも無いものに勝手に理由をこじつけて、買い被るような事をしなくなった。もう、どうすれば良いのかわからなくなったというよりも独りで生きる術を身につけたいと思うようになった。
 20歳になる手前、もっと親しくなりたいと思う人ができた。年に2回も会うことは無かったし、そういう人は何人もいた。でもその人にはちょっと意識してもらえるといいなとか、そういうようなやましいことを思い始めた。
 21歳になり、ひとりでの暮らしをはじめ、何となく寂しくなったとかいうよりも早く決着をつけたいような気持ちになった。なんのバトルでも無いけれども、この気持ちはそれではないだろうか、それではなかったら何なのだろう、きっとそれな気がすると思っていた。
 それは確かに存在していたと実感できるようになった。それは自分の身体の皮膚と空気の境目の縁の部分から周りの30cmぐらいの所まで拡がるフワッとした陽炎のような膜があって、それがじわじわと拡がって、その存在もを包み込みにいくような目に見えない恐ろしいものでもあると感じられる。自分の中でのそれはそういうイメージだ。それは確かに存在していて、それはずっと大切にしたい。それを大切だと感じ始めたから2回目も大切にすればよかったと感じている。だから今日のこの2回目も自分の中でなるべく丁寧に大切にしたい。明日の自分は後悔しているかもしれないが、今この瞬間の自分は後悔していない。いつかという日が来るのを待たずに、朝起きて笑ってしまうような拙いものかもしれないが、これが今の自分の中の2回目だ。なるべく大切にしたかったけれど出来ているだろうか。これは2回目の1回目なので2回目の2回目というタイトルでまた何か書く日が訪れても、受け入れられなくても、2回目の2回目なんだなとやんわり認識していただければ幸いです。

#2回目はもっと大切にしたい


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