イスタフリ_の世界地図2

文明と地図を考える その12

今回は、再び中世に時を進めます。

中世ヨーロッパの地図と言えば、OT図やマッパムンディでした。では、他の地域の地図はどうだったのでしょうか。


ローマ帝国滅亡後、ヨーロッパではギリシャ・ローマ時代の科学技術の多くが失われました。

しかし、その技術を不完全ながら受け継いだ地域が2つありました。
ひとつは東ローマ帝国。ローマ帝国の直系ですので、これはうなずけます。

さらに、もうひとつの地域があります。


それはアラビアです。

7世紀に興ったイスラム教の特徴のひとつは、「アラビア語」という共通言語を用いることです。
(今でも、聖典のクルァーンは原則としてアラビア語以外に訳されません)

そして、アラビアは地理的にヨーロッパとインドの中間に位置します。

8世紀に興ったイスラム帝国、アッバース朝の時代には、首都バグダッドを中心に西アジアから地中海南岸、そしてイベリア半島まで領土を拡大します(下図参照)。

アッバース朝は、東ローマ帝国を通じてヨーロッパの古代科学の技術を吸収する一方、インドの優れた数学や科学技術を取り入れました。

そして、伝わった技術や知識は、アラビア語という共通語を介して国内で共有され、研究が進められていきます。

その結果、アッバース朝では天文学・数学・医学・化学(当時は錬金術)そして地理学がめざましく発展しました。

アラビア商人による陸路・海路による貿易、そしてメッカなどの聖地巡礼で長距離を移動することが多く、地理的知識が必要とされたのです。


800年を過ぎたころになると、プトレマイオスの「アルマゲスト」など、主要な著書がアラビア語に翻訳されました。
また、バグダッドやダマスカスには天文台が建設され、緯度1度あたりの距離もかなり正確に測定されています。

さらに、アッバース朝やそれ以前のササン朝などの領域拡大によってもたらされた知識が加えられ、多くの地理書が編纂されました。

この時に、

・カスピ海の東側にアラル海が存在する
・インド洋は内海ではない(アジアとアフリカは別の陸地)

ということも明らかになっています。
つまり、プトレマイオスの地図の誤りが修正されたということですね。


数学や天文学が発達し、地理的な知見が増えた状態で描かれる地図…
ということは、プトレマイオスの地図を修正発展させた数理的な地図になると考えられます。

では、アッバース朝で地理学の先駆けとなったバルヒーを祖とするバルヒー学派の地図をご紹介します。
バルヒー学派の地図は、それぞれの主著に付属する形で世界地図が作成され、ほぼ原著のまま受け継がれていますものもあります。

では、地図を見てみましょう。
当時のアラビア地図は、世界全図と地域図をそれぞれ収録することが一般的でした。

まずは、バルヒーの影響を大きく受け、「道里および諸国記」など、優れた地理書を著したイスタフリ―が10世紀ごろに描いた世界地図です。

…ん?

続いて、イスタフリ―の業績を受け継ぎ、発展させたイブン・ハウカルがやはり10世紀ごろに描いた地図です。

…んん??

ちょっと想像していたものと違う地図が出てきました。

上の地図は、イスタフリによるティグリス=ユーフラテス川流域図です。
下の地図は、イブン=ハウカルによる世界地図なのですが、もう少しわかりやすくすると

こんな感じです。(上下が逆になっています)
つまり、南が上になって描かれているということですね。

どう見ても、数理的な地図には見えません。


実は、バルヒー学派はイラン系(ササン朝ペルシア)で、その伝統を受け継いでいました。
ササン朝ペルシアの行政地図は幾何学図形(直線・円・円弧)を多用しており、それを引き継いだものと考えられます。
また、その後のイスラム教の影響(イスラム美術も幾何学構造を多用する)も受けたと言われています。

個人的には、ササン朝ペルシアの文化をイスラム教が吸収したんじゃないかな?と思うのですが。


また、このような地図で問題なかったのは、当時の社会制度も影響しています。

アッバース朝では、ササン朝ペルシアから受け継いだ駅逓制度(バリード)が発達し、道に迷う心配が少なかったため、各都市間の距離や、目印になるものがわかっていれば十分だったのです。

どこかで聞いた話ですね。

確かによく見ると、どちらの地図にも線(街道)や円(都市など)が描かれています。
ちなみに各都市間は、正確な距離ではなく、実際にかかる日数で幅が決まっています。

つまり、バルヒー学派の地図は、

・考え方は、どちらかというとローマのポイティンガー図に近い
・ササン朝ペルシアの伝統を引き継ぎ、幾何学図形を多用

という形で描かれ、独特な形を生み出しているのです。


では、数理的な地図は描かれなかったのか?というと、そんなことはありません。

バルヒー学派と双璧をなすのが、アッバース朝の偉大なイスラム科学者、アル=フワーリズミーを祖とする学派です。

次回は、フワーリズミーを中心とするアラビアの数理的な地図について触れていきます。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました!


※画像は各国版Wikipediaからそれぞれ引用させていただきました。

サポートは、資料収集や取材など、より良い記事を書くために大切に使わせていただきます。 また、スキやフォロー、コメントという形の応援もとても嬉しく、励みになります。ありがとうございます。