日本海山潮陸図

文明と地図を考える その32 「江戸時代における大衆の地図文化」(前編)

さて、前回までの記事

では、おおむね鎖国前に日本に伝来した南蛮地図、そしてそれをベースに作られた「カルタ」について書いてみました。
ただ、これらの地図の多くは一般に普及したものではなく、公的機関や貿易商人、船頭などが特別な目的をもってオーダーメイドしたもの。

鎖国体制ができあがると、外国との通商・交流は著しく制限されましたし、国内的に見れば人口の大半を占める農民は、商業経済から切り離されて自給的生活を送っていた、とされています。

…そんな状況なら地図なんてあまり必要ないんじゃない?と思うのですが…
そんな疑問を抱きながら、鎖国体制が完成した後の日本国内の地図文化を追ってみたいと思います。
江戸時代は、実はかなりアクティブな社会だったんだ…ということも見えてくると思います。

というわけで今回は

江戸時代における大衆の「地図」文化(前編)

です。

結論から言ってしまうと、実は江戸時代の大衆の間には、多彩な「地図」が出回っていました。
つまり、色々な種類の地図が量産されていて、庶民にも手が届く価格で販売されていたということになります。

それを可能にしたのは、まず第一に「印刷技術」の普及です。
安土桃山時代以前のような手描きの地図は、制作に手間も時間もかかり、必然的に高価になります。

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