江戸初期の儒学者、林羅山。肖像画は総じて僧の姿ですが、彼は僧ではありません。
当時武士に仕える文官は僧というしきたりがあり、僧体になることを命じられたのです。
実は彼は、京都で学んだ際、僧体が嫌で寺を脱走したほどの坊主嫌い。
我慢の代償として林家は江戸時代を通じ栄えるのですが…。
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