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インクルージョン(包括)

noteが半月開いてしまった💦 なんだかすごく忙しない日々。アウトプットする気力がないほど、元気がなかったみたいなのですが、満月を境にちょっと元気が戻りました。

というわけで、思いだせるものをピックアップ。

いま、これを聴いてる。前に読んだものと重複する内容もあるけれど、タンさんの言葉は落ち着きがあって、希望を見せてくれるから、好き。

まだ読み途中だけど、この本は、デジタル技術がこの社会に対して何ができるか、ということを彼女の視点から語っています。

他で読んだ自伝ぽいところからすると、おそらく哲学書の古典もたくさん読み込んでいて、言論に込められている精神が、とても成熟しているように感じる。

「インクルージョン(包括)」の考え方に対して、マイノリティの立場から、怒りじゃない提案ができるというのが、彼女は本当に尊い。(↓インクルージョンの解説は下記を参考に)

話は少し変わるのだけど、今朝、大学の時に所属していた音楽サークルのことを思い出していて、ふと、「インクルージョン」という考えと重なった。

わたしはいろんなところに書いているけれど、かつて「筑波大学フォルクローレ愛好会」という、南米民俗音楽のサークルに所属しており、いまも時々、人前で演奏をするような趣味になっています。

葦や竹で作られた笛と、弦楽器(ギターや、ウクレレのような民族楽器)の構成で、4-6人くらいのグループ(スペイン語でコンフントという)を組んでやるのが、われわれの基本スタイルなんだけど

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※ネットで拾いました

一方コンサートのエンディングなどでは、コンサートの構成員の全員(何十人)で一斉に演奏をするのが、どの規模の催しでも、定番なのね。

その中には、上手な人も、まあそうでもない人もいるわけです。始めたばかりの1年生からOBOGまで。曲は初歩的なものをやるのが一般的。

わたしは、その時の演奏が、どんなにテクニカルな演奏よりも味があって、一番フォルクローレの醍醐味があるなあと思っているの。

少人数だと、スタープレイヤーがいればいるほど、すげえ!みたいな演奏になるんだけど、

全員演奏だと、拙い演奏技術の音を重ねあったり、できる人が他のメロディを乗せたり、歌の得意な人がハモったりして、「上手」という言葉では表せないけれど、全体として、すごい厚みと熱量が発生するわけです。

コンサートだけじゃなく、ふだんの飲み会もこれで、酔っ払って手元が怪しかろうが、どこかで発生した曲に乗ってみんなで演奏するの、最高なんですよ。自分だけがうまく演奏をする責任が絶妙になくて(笑)みんなで、音で寄り添いあうの。

上手とか下手とか、あんまり関係ないの。もちろん上手い人がいてくれると盛り上がるし、それがリードになって非常によいのですが。

OBOGが有志でコンフント(グループ)を組んでコンサートをしても、なかなかこの群舞ならぬ群奏は叶わなくて、現役生マジ羨ましいと思うのは、ここなんです。

ただし、そんな楽しげな大学サークルレベルでも時々浮き彫りになる問題なんだけど、

スタープレイヤーが重宝される有志グループスタイルが中心になってくると、特に上級生になると技術と才能の格差が出てしまうので、あんまり上手じゃない人が排除され気味になる。それを努力の差だと言ってしまえば、そういう部分もあり、誰もその強者の論理を否定できない。

「テクニカルな/上手な演奏をする」ことだけが目的であれば、技術に差がある人と組むのは、上位の人からすると妥協、下位の人からすると引け目というストレスが常につきまとう。

プロの演奏、もしくはそういう目的のある演奏ならば、熟達者のみで構成し、内容を高め合うのは、良いと思うのだけど。

でも、わたしの心に主に残っているのは、スタープレイヤーでもないみんなと、楽しく演奏した、その瞬間なの。(もちろん、テクニカルな意味での思い出の曲もあります)

話を戻しますと、これは社会の多様なものを包括する「インクルージョン」に繋がる概念だなあ、と思ったわけです。

社会って、いろんな人がいるじゃないですか。スタープレイヤー(出来の良い人)や、良いアイディア、事例を崇めることばかり考えていると、格差や排除や分断に繋がる。

できないことを糾弾して、よくしろ、向上しろ、とみんなで圧迫を掛け合うのではなく

ゆるしあって、できる人がそっとカバーして、その時間と空間を共有していく方が、良い世界ができるのではないかと

フォルクローレの体験から、ふと思いました。

あの頃には帰りたくないと、今朝つぶやいたけれど、やっぱりあの頃は眩しい。

演奏をやめてしまった友達、先輩、後輩もいるけれど、みんながつくばを離れていてもなお、繋がってる理由があって、それは決して、彼ら、彼女らが「上手かったから」ではない。あの時の時間、空間を共に過ごした、そのことがわたしたちのゆるい絆になっている。

幸せな世界を目指すにあたって、乗り越えるべき課題は「分断」であり、「インクルージョン(包括)」は人間が集団で生きるにあたり、必要な考えなのだな、と改めて思いました。



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