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小説 「長い旅路」 4

4.凶行

※警告!!: 主人公が、劇薬を使って自死を図る場面が含まれています。

 転職に伴う引越しを想定して【身辺整理】を始め、大量のゴミを出すことが多くなったためか、俺が辞めようとしているという噂は、瞬く間に広まった。
 日頃あれだけ「気色悪い!」「辞めちまえ!」と罵ってきた連中が、いざ俺の「辞めたい」という意思を感じ取るや否や「裏切り者!」「許さない!」と非難するようになった。
 意味が解らない。

 法律上は「2週間前までに退職届を提出すれば辞められる」はずなのだが、ここでは「最低でも3ヵ月前までには申し出て、然るべき【引継ぎ】を行い、それが完了するまでは退職を認めない」という、違法かつ不可解な独自ルールがある。(それを明記した書類は存在しないが、過去の退職者は皆、何故か それを律儀に守ってきた。)

 俺は、転職先が確定しないまま『一身上の都合』での退職を願い出た。
 後日、場長に呼び出されて面談をすることになり、そこで理由を問われ、俺は『閉じ込め事故』のことを挙げた。
「死骸を触らない部署に移してやっただろ」
「今は、そこでセクハラを受けてます」
 しかし、俺が「セクハラだ」と認識している彼女らの悪行は、場長の感覚だと「悪ふざけ」や「冗談」で「退職の理由としては、認められない」とまで言われる始末であった。
「俺としても、セクハラを理由に辞めるつもりではありません。ただ……体調が、一向に良くならないのです」
「呼吸が、苦しい?」
「そうです。あと……あれ以来、ずっと不眠症です。悪くなる一方です」
「俺だって、忙しくて なかなか眠れないよ!」
「忙しいのを……【健康被害】と同列に語らないでください」
「……どうしたんだ、倉本。おまえらしくもない……」
 俺はもう【上】というものに、馬鹿真面目に付き従うのが、つくづく厭になったのだ。【上】は、俺達を使い倒すだけで、決して守らないからだ。


 俺が場長と面談をしたことで、翌日から、退職の話は「噂」ではなくなった。
 お局様と取巻き達は、元彼との性生活について言及してこなくなった。
 漫画を描いて寄越すこともなくなり、ただひたすらに冷たくなった。あからさまに冷たい態度を取り、俺一人だけ昼休みを短くしたり、休日を減らしたり、無茶苦茶な【制裁】を平気でやった。それを止める人間は居なかった。
 生意気にも有休を使い果たした上に、退職を願い出た俺には、もう「休む権利」が無かった。全てが【会社側の都合】で決められ、俺はただの『駒』だった。
 退職予定者が「最後の3ヵ月」のうちに、死ぬほどの嫌がらせを受けるのも、弊社の伝統だ。

 毎日、俺が風呂から上がっても、課長は まだ残業をしている。俺との接触を避けているのか、人員が減った後を想定して、何か新しい計画を練っているのか……俺には分からない。
 一人で風呂場に居ると、やはり頭の中は うるさい。
(“あいつ辞めるんだってよ……”)
(“うわ、負け犬だ!”)
(“いやらしい店に転職すんのかな?”)
(“やだ!気持ち悪い……!”)
(“むしろ死ねよ……”)

 車の中に居ても、同じだ。
得体の知れない声が、自分の全てを嗤っている。時に「死ね」と囁く。
 あるいは逆に「死にたい……死にたい……」と泣いている、自分にそっくりな声がする。
(俺は『死にたい』のか……?)
 そうか。死んでしまえば、転職など不要だ。夜毎に走り回ることもない。
 俺は、あっさりと転職活動をやめた。

 やがて「いつ、どうやって死んでやるか」ばかり考えるようになった。車で どこかに突っ込むとか、崖から落としてみるとか、現場にある刈払機の刃で頸動脈を切ってみるとか、喫煙所から吸い殻をくすねて帰って、【毒水】を作って飲むとか…………日々、単調な仕事をしながら、そんなことばかり考えていた。

 毎晩のように、自分が死ぬ夢を見た。鶏舎か死骸保管庫で、鶏の死骸と一緒に腐っていく自分の死骸を、上から見下ろしている夢が多かった。
 そんなものを見ると、ひどく寝覚めは悪いが、睡眠が取れただけ「上出来」だ。

 日中、ただ職場内を歩いているだけで、すれ違いざまに「ウホッ」と声をかけられることが、しばしばある。俺のことをアウティングした後輩に「ケツばっか見ないでください!」と笑われることも多々ある。
 もう、うんざりだ。そういうのは。
 俺は、労働者として働きに来ているのだ。下ネタが売りのコメディアンではない。未熟なのは承知しているが、俺は「養鶏場の従業員」だ。生きた鶏が、イカレた設備の中で、少しでも快適に過ごせるようにしてやって、良質で安全な卵を消費者に提供するために、日々 通っているのだ。それなのに……。
 此処には、クズしか居ない。


 ろくでもない会社に【死をもって抗議】してやりたい気持ちが、固まりつつあった。

 休日に、日用品を買いに立ち寄ったホームセンターの一角で、鍵のかかる棚に入って売られている【農薬】を見つけた。
 店員に「職場で使う」と嘘を言い、買い方を尋ねると、公的な身分証と印鑑、農業従事者であることを証明できるもの(農業法人の社員証等)があれば、購入は可能だと教えてくれた。
 俺は、その日のうちに それらを用意して、同じ店に戻った。一回目と同じ店員に「いちばんキツイ除草剤をください」と申し出た。
 劇物であるためか、その場で社員証の提示を求められたが、社名に「ファーム」の文字が入っているのを見た彼女は、あっさりと除草剤を取り出してくれた。(1L入りの容器にしてもらった。)
 店の奥の、人気ひとけの無い小さなカウンターに案内され、所定の用紙に住所・氏名・連絡先を記入した後、通常のレジで会計を済ませ、購入した除草剤を持ち帰る。

 これを原液のまま飲み干せば、死ねるに違いない。安らかに逝けるとは思えないが……。自動車を使うよりは良い気がした。
 決行するのは……いつにしようか。
 俺は、シフト表を確認する。課長が出勤していて、あの女が休みの日が良い。


 決行すると決めた日。俺はいつものように、うんざりするほど大量の鶏卵を検品し続けた後、一人で鶏舎周りの草刈りをした。誰かに「やれ」と言われたわけではない。ただ、外の空気を吸いながら、一人黙々と何かがしたかった。
 「これで見納めだ」と思ったら、全てが輝いて見えてくる。卵や死骸の回収、設備の修理に明け暮れた日々が、懐かしい。
 新人だった俺に、それらの仕事を懇切丁寧に教えてくれたのは、当時は係長だった課長だ。
 課長は、当時から輝いていた。至極当たり前のことが きちんと出来るし、無闇に人を怒鳴りつけたり、殴ったりしない。ミスをした部下には穏やかに諭すことが出来るし、上からの圧力にも屈しない。場長のような【本社の犬】ではない。ただひたすら、大切な ご家族のために頑張っている。
 出会った瞬間から「この人は偉くなるぞ」と感じた人だった。
 今となっては「俺を迫害しない、唯一の人」である……。

 死んでしまえば、その課長には二度と会えなくなる……。
 惜しい。それは、すごく惜しい。
 しかし……おちおち歯医者にも通えない会社で、延々と罵倒されながら、無限に早出と残業を繰り返していたら、劇薬を飲まずとも死ぬだろう。
 それならば、苦しまなければならない期間は、短いほうがいい。

 草刈りを終えて、形だけの終礼に出たら、馬鹿丁寧に業務日報を書き、パソコンに向かって引継ぎ資料を作り続ける。もはや「仕上げる」気は無いが、他にすることも無い。
 無限に座っていられる「理由」があるのは、むしろ好都合だ。

 事務所が、いつも通り自分と課長の2人きりになってから、俺は更衣室に行き、ロッカーの中の鞄から、寮で書いてきた【遺書】を取り出した。
 それを、課長に見られないように、そっと場長のデスクの引き出しに忍ばせる。

 その後、風呂場に誰も居ないことを確認してから、俺は一人で入浴し、念入りに全身を洗う。最期に見せる身体は、少しでも綺麗にしておきたい。
 課長は、俺が上がる頃になって、やっと入ってきた。

 入れ替わるように風呂から上がると、通勤用の私服を着て、頭をよく拭いて、事務所の玄関で課長を待った。
 除草剤の容器のラベルを、改めて読み込む。



 更衣室のドアが開き、課長が出てくる。
「あれ?倉ちゃん、まだ居たの?」
疲れているのだろう。のんびり歩いてくる。
 髪が濡れたままの課長に、俺は、手に持った容器を見せる。
「課長……俺は、今から これを飲みます」
「何それ?」
俺は答えなかった。
「お世話になりました。……ありがとうございました」
「待って、倉ちゃん。それ……除草剤?」
「課長のもとで働くことが出来て……俺は……幸せでした」
俺は、至って真剣だ。
「駄目。倉ちゃん……駄目。やめて。そんなん飲んだら、死んじゃう」
さすがに今は、課長も笑わない。
「俺は……死ぬつもりです」
「なんで!?」
理由を答える必要性は感じなかった。
 俺は、黙って容器の蓋を開けた。
「やめよう、倉ちゃん!俺で良かったら、話、聴くから……今ここで死ぬなんて、やめよう?」
「もう、充分……聴いていただきました」
「なかなか辞めさせてもらえないからって……死ぬことはないじゃない!!」
 正論だ。だが、聴き入れるつもりは無い。
 
 容器を奪われないよう課長に背を向けて、一気に飲み干そうとした。
 しかし、明らかに有害な液体であるためか、身体が、嚥下を拒絶する。咽せ返り、吐き出した。
 舌や喉が痺れ、息を吸うたびに、じりじりと痛む。
「倉ちゃん!」
駆け寄ってきた課長の脚に向けて、薬剤を少しだけ撒いた。劇薬に触れることを恐れた課長が ひるんだ隙に、上を向いて、容器の中身を喉に流し込む。吐こうが、こぼそうが、顔にかかって目に入ろうが、知ったことではない。
 俺はもう、死ぬのだ。
「倉ちゃん!!」

 腹の中には、半分も入っていないかもしれない。それでも、容器は空いた。得体の知れない【達成感】があった。
 目の前が、暗い。見えてはいるが、明るさが違う。視野が狭い。細長い筒を覗いているかのように、中心部しか見えない。
 凄まじい吐き気が押し寄せ、激しく咳き込む。薬剤ではなく血を吐くのではないかと思うほど、激しい痛みと痺れを感じる。間違いなく、消化器は爛れている。……ということは、飲めている。
「馬鹿!!」
課長に罵倒されたのは、初めてだ。
 首根っこを掴まれて、引きずられるように、どこかに連れていかれそうになったが、やがて脚がもつれて動かなくなり、担ぎ上げられる。
 服のまま浴室に放り込まれた後、薬剤まみれの服を些か乱暴に脱がされ、顔や目にかかった薬剤を洗い流すべく、シャワーが浴びせられる。まだズボンは穿いたままだが、全身が ずぶ濡れだ。
 目と顔を洗い流すが、それでも息継ぎが出来るよう、課長は湯をかけない「空白の時間」を作ってくれる。
 ひとしきり顔を洗い流した後、洗面器に張った湯を「飲め!!」と言われたが、もはや俺は自分の意思で動くことが出来ない。
 課長が、大きな湯船を背に座らされたままの俺の口に、洗面器を押し当てる。
「水、飲んで!倉ちゃん!」
 劇薬を無理に嘔吐させたら、食道が再び損傷し、更には誤嚥によって気管や肺まで傷つける恐れがあるからである。本人に意識があるなら、胃洗浄が可能な医療機関に着くまでの応急処置としては、水を飲ませて「腹の中の薬剤を薄める」のが正解だ。(容器のラベルにも「誤飲した場合は、吐かせずに多量の水を飲ませてから、すみやかに医療機関を受診」と書いてあった。)
 湯を飲めた実感が無いまま、俺は冷たい浴室の床に横向きに寝かされ、課長は居なくなった。何かを取りに行ったか、救急車を呼ぶために事務所に行ったのだろう。
 目は洗ったが、視界はどんどん暗くなる。頭や顔は、痺れて、動かない。舌や喉も痺れていて、尋常ではない量の唾液が出ている。
 胃は痛み、身体が震えているが、不思議なことに、死骸保管庫で倒れた時よりも、ずっと安らかな気分である。
 ここには酸素があるし、何より「やっと解放される」という実感があった。

 戻ってきた課長によって、上半身のみ浴室から引きずり出され、課長の私物らしいバスタオルで、ひとまず上半身だけが拭かれる。ずぶ濡れの下半身は、そのまま浴室内に残され、俺は浴室の入り口に転がされたまま、課長の判断に全てを委ねた。
 ぶるぶる痙攣しながら、唾液か水か分からない液体を口から多量に垂れ流している俺のために、課長は外部業者用のバスタオルを山のように持ってきて、頭の下に敷いたり、ズボンや靴下、下着を脱がせてから下半身を拭いたり、忙しい。
 最終的には全身が浴室から引きずり出され、外部業者用の ぶかぶかのズボンだけを穿かされて、残りの部位はタオルで隠された。
 依然として意識があるのが、なんだか申し訳ないのだが、それでも、目は ほとんど見えていないし、自分では動けない。
 課長が、やっと自分の腕を水道水で洗い流しているのを耳に聴きながら、その音が、どんどん遠くなるのを感じていた。
 いよいよ、ここまでなのだろう。
(俺は、最期に 課長に介抱していただけて、幸せでした……)
床に寝かされたまま、決して届かないメッセージを、強く念じた。


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【5.離脱】
https://note.com/mokkei4486/n/n195858608adc

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