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頭が回らないながらも文章は書く、そして残す

暑いのが理由ですか?
それとも元からですか?

自分の頭が回らないことに対して、そう問いかけた。答えなど返ってこない。なんせ頭が回っていない。答える元気もない。とにかく暑い。

私は知識欲を満たすことが好きで、調べ物をするとどんどん調べてしまうといったクセがあり、そのためネットはネタの宝庫でもあり、答えを調べるのも簡単だったりする。しかしこれ、やり始めるとあっという間に1時間や2時間は経過するので、時間泥棒だと言いたくなるけれどぐっとこらえる。

最近はスマホの時間が大幅アップしていて、これはインフレもビックリな数字なのだけど、どうにかしないとスマホで一日が終わってしまう!という危機感があるようでないような、もうどうだっていい気もしている頭の回らなさに、自分でも嫌になりながら、こんなことじゃダメだ!と思い立ち、スマホを断つ時間も必要だ、そのためにはどうすればいいのか、スマホで検索しようとしてやめた。もやは病気。

そんなこんなで読書時間を増やすことにした。そう、最近の読書時間はどう考えても1時間も満たないほどであり、それでも読書家ではない私からしたらスゴイね!という数字なのだけど、スマホの時間が倍以上あるのであれば、スマホの時間をもっと読書に回そうよ、と思ったのだった。

しかし人はラクな方へと流されるものだし、私はとんでもない天邪鬼でもあるものだから、読書をしよう!と決意すると、読書をするのが面倒だなと感じてしまうのだ。まずい、このままではスマホに負ける(もう負けてる)。

自己啓発本やビジネス書に手を出した、数年前から私はどうにも小説が読めずにいた。しかし最近は、自己啓発本を読んでもビジネス書を読んでも、どれも似通った内容に思えて、読書自体が遠のき始めてもいた。飽きたということかもしれない。

飽きたとは言っても、活字がない状態には戻れないほど、活字のうまみを知ってしまい、もはやそれが無ければ生きていかれないほど欲していて、ここまでくると依存している状態でもあり、夫は軽く、いやとても引いている。おいおい、添い遂げる相手に引いてもらっちゃ困るよ。

ということで(どんなことで?)、小説をまた読もう!と思ったのだけど、私の本棚には小説が少ない。大半は漫画だし、あとは自己啓発とビジネス書しかない。あとはクリスティー作品(地道に集まている)。

日本の小説が読みたい気がするのだけど、しかし最近の流行りがよく分からない。いや流行りで手に取るものじゃないでしょ、自分が読みたいと思う本を読むべきでしょ、と思いつつ、しかし自分の読みたいものが分からない人間にとって、取っ掛かりが欲しくなるものだから、流行り廃りが知りたいのだ。いや廃りは知らんでもいいけど。

そんなどうでもいいことを考えながら手に取ったのは、唯一本棚にあった江國香織さんの本。

2003年の本だったので、20年ぶりに再読しているのだけど、サラサラと流れるように読めてしまう。たぶん、サラサラと読むような内容ではないと思われるものの、文体のおかげなのか、サラサラ読める。サラサラは大事。ジメジメしている時期にサラサラは大事。

余談だけど(というかこの記事すべてが余談では?)この本を検索しようとした時、本のタイトルがうろ覚えだったものだから「栗の木 桃の木 山椒の木」だっけ?と思ってパソコンに打ち込んでしまった。そんな言葉はなかった。Googleゴメン。「驚き桃の木山椒の木」が正解だったね(本のタイトルと関係ない)。

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