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耳に痛い親子関係の本たち

「四十にして惑わず」の話をnoteの記事にしたら、孔子を知りたくなったので『論語』のマンガ版を読んでみた。

現在の親子関係は、社会問題になるほど崩壊している。
家庭内暴力、児童虐待、介護疲れによる殺人などなど・・。

親子関係が悪化している原因として、親も子もお互いに尊敬する気持ちが失われているのでは?という話が本にあった。

年老いた親を、不自由なく養うことが親孝行と思っている。
子どもに何不自由ない生活を与えていれば、それで良しと思っている親。
これでは親としての役目、子どもとしての役目を果たしているとは言えない。
お互いに愛情と礼儀がなくてはいけない。

子が敬意をもって親と接していれば
親は礼儀を持って愛情を返してくれるようになり
親は礼儀を持って子に愛情を与えていれば
子も親を尊敬するようになるはずよ

『論語』より引用

なるほど・・と思いながら、次に『犯罪心理学者が教える子どもを呪う言葉・救う言葉』を読んだ。

この本では、親の抑圧によって犯罪への道を歩んでしまった人たちの話がある。

「早くしなさい」
「何度言ったらわかるの」
など、親であれば一度は口にしたことがありそうな言葉が、子どもを苦しめているという現実を教えてくれる内容だった。

『犯罪心理学者が教える子どもを呪う言葉・救う言葉』を読むと、いかに自分が子どもに言ってはいけない言葉を使っているのかを思い知らされた。
と同時に、この本に出てくる「呪いの言葉」は、親にとってみると子どものためを思っての言葉でもあるのだということにも気づいた。

子どもを苦しめようと考えて発言しているわけじゃない。
しかし結果的に子どもを抑圧していて苦しめてしまっている。
親の「よかれと思って」が、大きな間違いなのだということがわかる内容の本だった。

『犯罪心理学者が教える子どもを呪う言葉・救う言葉』を読みながら、『論語』を振り返って思ったことがあった。

『論語』では、国語教師が生徒に対して、親を尊敬するのが大事だという場面がある。
しかし生徒たちは、親が自分たちを理解してくれていないと話す。
そこで国語教師は、じゃあ子どもはどれだけ親を理解しているのか、と生徒に問いかける。

誰かに自分を理解して欲しいなら、まずは自分自身が相手のことを理解するように努力しよう。
そんな話があった。

しかし『犯罪心理学者が教える子どもを呪う言葉・救う言葉』を読むと、それも簡単ではないだろうなと思ってしまった。

子どもは親を理解したかったはず。
しかし、親に話を聞いてもらえない、努力しても認めてもらえない、共感してもらえないなどを経て、親を理解する気持ちを失ってしまったのではないか。

そして子どもの心を傷つけるつもりのなかった親たちも、子どものころに親に話を聞いてもらえなくて、努力しても認められなくて、共感してもらえなかった子どもだったのではないか。


親子関係には、愛情と礼儀が必要らしい。
ただその愛情と礼儀が何なのか、わからない人も多くいるのではないだろうか。
私は愛情と礼儀を、きちんと理解できているとは言えないので、この辺りをもう少し勉強していかないとなと思う。

本当に大事なことは、耳に痛いことだと誰かが言っていた。
『論語』『犯罪心理学者が教える子どもを呪う言葉・救う言葉』も耳に痛い言葉の数々だった。
耳に痛くなくなる日は、いつか来るのだろうか(永遠に来ない可能性もあり)。

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