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ミニマリストに憧れた飽き性の私

ミニマリストに憧れているので、モノが極端に少ない人のInstagramや本をつい読んでしまうのだけど、
「モノが少なければ、見えている景色に変化がない。その変化のなさに飽きてしまう」
といった話をTwitterで見かけた。

モノを減らして自分にとって本当に必要なモノだけで暮らせば、身軽になって生きやすくなると思ってた。なので飽きるという発想はまったく思い浮かばなくて、なんて斬新なの!!!!!と衝撃を受けた。


この話を受けて思い出したのが、服のことだった。
人間の体は一つしかないので、服はそんなに要らないとミニマリストの方々の言葉を何度も見かけたことがあって、オシャレとは無縁の私は、その言葉に勇気づけられて服を一気に減らしまくったことがあった。洗濯して乾かなかったらイヤなので、最低限の上下3着ずつにして服を捨てまくったことがあったのだ。

服を減らし始めたころは、身軽になれたことに浮かれていた。しかし徐々に、いつも同じ服を着ていることに「つまらない」と思うようになった。いま思うと、いつも同じ景色を自分が作り出していることに飽きて「つまらない」と思ったんだろうな。

服を減らすということは、当たり前だけど服を買わないということでもある。しかし服を最小限にしてみたことで、「今日は何を着ようか」と迷うことや、服を買いに行くことを自分がけっこう好きでやっていたんだと気づいたのだ。迷うことは疲れるけれど、その迷いがなくなると「むなしい」と感じる場面があるだなんて、私はこうなるまで知らなかった。


ミニマリストになりたいと思った自分もいるけれど、実際にミニマリストのマネをしてみたら、自分には合っていなかったと気づくことだってあるはず。飽きてしまったり、つまらないと感じることがあるのならば、無理にミニマリストを目指す必要はない。自分には合わなかったんだと見切りをつけて、自分が楽しく過ごせるほうを選べるようになりたいな、と思えた。


そんな最近の読書は『ひっそり暮らし』

タイトルの「ひっそり」がとても良い。こういう言葉のセンスって、生まれ持ったものなのだろうか? 切実に欲しいので、売ってるなら山のように買いたい。

なちさんの『ひっそり暮らし』を読みながら、ミニマリストに対しての憧れに対してもそうなのだけど、とにかく暮らしをシンプルにするということに私は強い憧れがあるんだろうなと気づいた。

たとえば食事なども、朝はこれ!昼はこれ!みたいに、決まったものを食べることで暮らしがシンプルになるのかも!という期待を私は強く持っていた。

実際に私もなちさんのように「朝ごはんはシリアルにしよう!」と決めて実行したことがあった。最初のうちは「これを食べれば良いって決まっているのはラクチン♪♪♪」だなんて浮かれていたのに、一週間ほどで飽きた。なんなら翌日にはもう飽きてた。残り5日は惰性で食べてた。

変化のなさがラクになることだと思っていたのに、気づけばそのラクになるがしんどさになってる。しかもわりと早い段階で。たんにシリアルが苦手っていうのもあったんだけど(なら何で食べようと思った?)。


シンプルに暮らすことで日々を快適に過ごせると思っていた。けれどそれはたぶん、誰にも当てはまることではない。モノがあふれているほうが安心する人もいるし、毎日違ったものを食べることが最大の喜びだという人もいる。

私はインフルエンサーだったり、フォロワーの多い人が言っていることを正しいと思ってしまいがち。声の大きいほう、数の多いほうが正しいと思ってしまうのだけど、その考えが大きな間違いで、そこを意識し続けないと私はまた大きいほう多いほうへと導かれてしまう気がする。気をつけなければ。

自分にとっての心地よさを、時間がかかっても良いから追求していきたい。飽きっぽいのだから、その心地よさは日々変化していくということも忘れずにいたいところ。

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