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真似するからオリジナリティになるの??

文章を書くなら、オリジナリティを出したい。
自分だけが書ける、自分だけにしか書けない文章を書きたい。
そう思っていた。

ただ思いついたことを書くだけでも、それは自分だけの唯一の文章だから、それもオリジナリティなのでは??と思ったこともあった。

しかし、そもそもオリジナルって何???という思いもあって。
文章のクセが強い人もいるらしいけれど、クセの強くない人はオリジナリティが無いってことではないよね?

文章のクセがオリジナリティ?
それとも文章の内容がオリジナリティ??
もうオリジナリティって何???
(オリジナリティとは「世間なみでない独自の新しさ」ですってよ、奥さん知ってた?)

そんなことを考えていたら佐渡島庸平さんの『観察力の鍛え方』に、オリジナリティの話が書いてあった。

自分のオリジナリティにこだわる人は、自由に語ろうとしてしまうらしいのだけど(私だ)、それだと相手に話が伝わらないんだそうな。

相手に伝わるためにはまず、徹底的に真似をしていくことが大事らしい。
たとえば、マンガがうまくなりたいなら、自分がコレ!と思えるマンガ家さんの絵を真似して書いてみる。
すると真似することがとても難しいと気づく。

人の真似をすることは、自分の「できない」に気づくこと。
自己流はその「できない」に向き合わないので、自分の心を守っているということでもある。
自己流は、安易に何かを成し遂げた気持ちを得ることができるけれど、成長することがないらしい。
自己流でやっていい気になっていた私の心にグサグサ刺さる・・。


そういえば、文章が上手くなりたいなら、自分が尊敬する作家さんの文章を模写すると良いという話を、以前にもnoteに書いていた私。
そのことをすっかり忘れていた・・わけではないけれど、自己流でもいいじゃないかという甘えが先にあったために、模写することを怠っていた。

面白い文章を書く人だなと私が勝手に思っている岸田奈美さんも、向田邦子さんの文章をたくさん模写しているという話だった。
奈美さんも、向田邦子さんの文章を通して、そこから自分のオリジナリティを模索していった人なのかもしれない。
これは憶測なんで、本当のところはわからないけれども。


「真似をする」と聞くと、パクリ?と思ってしまってあんまりいいイメージがなかった。
たぶん頭の中で勝手に「真似」は「怠惰」で、「自己流」は「努力」と判断していたんだと思う。

でも本来はその逆で、「真似」が「努力」で、「自己流」は「怠惰」だったのかもしれないと気づいてみると、色んなことが腑に落ちた。

自分の文章に行き詰まりを感じているのも、「自己流」にこだわっていたからかもしれない。
自分が傷つかないように、自分の心を守るために、必死に「自己流」にこだわって、自分を成長させないようにしていたのかもしれない。

伝わる文章を書きたいと思うなら、伝わっている文章をどんどん真似してみるしかないのかもしれない。

「真似」は、コピーじゃない。
「真似ってコピーでしょ?」と思うから、発想がおかしくなるんだろうな。
真似とコピーが別物だと知ること。
まずはそこからかもしれない。

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