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腹六分の距離

最近の読書は『ポピーのためにできること』

まだ読んでいる途中なんだけど、とにかく面白い!!!

事件関係者のメールやメッセージなどで構成されているので、日ごろから目にしているメールなどを読むような感覚で事件を追うことができる。これはとても読みやすいので嬉しいところ。

事件関係者が残した手書きのメモなんかも出てくるのだけど、このメモは自分だけが読めたらいいというようなメモなせいか、少しだけ読みにくいフォントが使われていて、こういう細かな配慮が個人的にはたまらないのだった。デジタルの世界になり、手書きの文字を読むことって減ってるんだけど、私は手書き文字が大好きすぎるので、こういう小さな変化に目が向いてしまうのかもしれない。


この本に登場する人物の中で、私が一番気になっているのはイザベルという女性。職場に新しく入ってきた女性・サムに対して執着しているらしく、サムに頻繁にメールを送るのだけど、そのメールの内容がちょっと怖い。

一見すると、サムに対する思いやりのメールにも見えるんだけど、実はいつも自分のことしか考えていないものだから、読み進めていくうちにイザベルに対して恐怖を覚えてしまう。善意のように見えて、実は自己都合を押しつけるだけのメールを日に何度も送るイザベル。怖い。

しかしこの怖さ、イザベルに対して怖いというよりも、周囲にうっとうしいと思われているのに、気遣いの女性に見せようと奮闘するイザベルの姿であり、それはまるで自分ではないのか? と考えてしまうからのような気がする。


自分では良いことをしているつもりなのに、大きなお世話みたいなことってきっとたくさんある。しかしその大きなお世話だったことに、私自身どれだけ気づいてこれただろうかと思うと、本当に謎すぎて白目をむきそうになる。

自分が考えている「良い」と思うことは、相手にとって本当に「良い」ことなのか。誰にとってもベストなものなんて、この世にあるのか。そんなことを考えてしまうと、他者に何かをすることが怖くなる。そしてこの怖さはきっと「誰にも嫌われたくない」という思いから発生しているものなんだろうなと気づく。

考えすぎてしまうと、人間関係そのものに恐怖しか抱けなくなる。ほどほどにしなければ。そういえば最近読んでいた美輪明宏さんの『ああ正負の法則』に、人間関係は腹八分よりももっと少なくていい、腹六分ぐらいで十分だと書いてあった。

人との距離が近ければ近いほど、トラブルや悩みも増える。距離をおいてしまえばそういった問題に出会うこともない。そんなことが『ああ正負の法則』には書かれていた。

大きなお世話だと思われることは、相手との距離が近いことで発生するものかもしれない。そんな風に思ってはみたものの、人との距離はとてつもなく難しくて、近いのがダメなら遠くにいよう!と思ってしまえば、はるか遠くへ行きそうな自分がいて、どうしたものかとまた白目をむきそうになった。

美輪さんは「腹六分」とか「腹四分」の距離がいいと本に書かれているけれど、それってどんな感じなのだろうか。私はそもそも「腹八分」がわからず、毎日食べすぎてはプクプクと成長しているもんだから、皆目見当もつかない。とりあえず私に必要なのは、まず「腹八分」を理解することであり、プクプクと成長する自分を止めることのような気がしてきた。やれやれ。

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