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拒否や否定では何も得られないのだね

窓を開けたまま車を運転していたら、飛んできた虫が頭に直撃した。ビックリして「ヒッ!!」と声が出た。虫のほうが何倍もビックリしただろうに、声をあげてごめんなさい。

虫に遭遇するようになると、散歩中も気をつけなければいけないなぁと思う。目の中、鼻の穴、口の中など、あらゆる場所に虫が「こんにちは!」と訪れるものだから、犬の散歩中にも「ヒッ!!」と声が出ることが多々ある。気をつけなければ。

昔から、外を歩けば虫に当たる確率が異常に高くて、でもみんなそういうものだろうと思っていたのだけど、私と同じような人に今まで出会ったことが無い。おかしい。

唯一、父はよく目の中に虫が入るらしい。父と私はものすごーく目が小さいので、虫ってスゴイ場所を狙ってくるものだな、と感心してしまう。狙うならもっと的の大きなものを狙ったほうが良いのではないだろうか、と虫に言いたい。

そういえば以前、鼻がかゆいなぁと思ったので「ふん!」と強く息をしたら、鼻から虫が出てきたことがある。入ってきたことにまったく気がつかなかった。いつからいたんだろう。そして虫はそのまま飛び去った。あぁ、生きてたのね。


昨日の読書は『タイム・スリップ芥川賞』を少し。

正直に言うと、芥川賞を受賞した作品を理解できたためしがない。そのため受賞作品は避けて通っているのだけど、受賞作品や著者に関する簡単な説明が非常にわかりやすいもんだから、作品にも興味がわいてきて読んでみたい気持ちになっている。でもきっと理解できないんだろうな、と思ってみたり。

ただ思うに、「本に書かれていることを理解できる」と思う気持ちがそもそも間違いだと思うし、著者がどういう思いで作品を書き上げたのかなんてことを、本当の意味で理解するなんて無理なはず。

いままでは理解できないものを否定したり、拒否することを当たり前にしてきたけれど、それだと世界は狭まるしつまらないと、いまでは思う。そして理解できないかどうかは、触れてみなければわからないものでもあり、拒否や否定で得られるものって何にもないね、と思うのだった。

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